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2010年11月29日月曜日

Frontwing『グリザイアの果実 - LE FRUIT DE LA GRISAIA -』体験版

『グリザイアの果実』 2011.1.28発売予定

 あまり期待していなかったのにほぼ確実に購入を決定させられてしまうくらいには面白かったです。何だか気にはなるけれど実際あんまり大したことないんだろーなー、と思わせるような雰囲気が漂ってるオフィシャルサイトだと思わんかね。キャラクター紹介の際の変な文体に、事前情報ほぼなしのストーリー紹介とPV映像。それでいて意味不明瞭なキャッチフレーズ、“世界刃向かう、6つの果実。”……素晴らしき地雷臭かな。しかし、体験版後には、十周年作品だし~とか、予約特典欲しいし~とかで予約の上に新品での購入まで検討するに至ってしまったではないか。くそう。良い意味で、くそう。
 事前情報が著しく不足しているので、体験版なり製品版なりで一度作品に触れないと、その作品のカラーがわからないというのは、なかなか思い切ったことをする。そしてここに来て渡辺明夫の本編投入。しかも“『化物語』キャラクターデザイン/総作画監督”という肩書きまで使って。こっちでやる時はその名義使わないんじゃなかったっけ。ファンダムでは広く名を知られ、支持されているこのメーターをエロゲの原画として用いる作品は『ぽぽたん』以来久しくなかった。フロントウイングの本気を垣間見たのであった。『ジブリール4』との並行開発という大義名分で、空中幼s(いや、もう止めとくわ
 タイトルの果実という単語は惑星(地球)や知性(脳)をイメージさせる。キャッチフレーズにある通り、主要登場人物たちが果実として指されているものなんだろう。また、公式サイトにある“ The name of the gray tree is Grisaia. They are fruits that ripened on the branch. ”という文章からは単純に舞台がグリザイアとも読めなくはないが、この文章を補完する文章がアニメイトの商品紹介ページ【グリザイアの果実| animate ONLINE SHOP(アニメイトオンラインショップ) (http://www.animate-onlineshop.jp/special/grisaia/pc/)】にあることも注意かな。そこには以下のように書かれている。


『グリザイアの果実』
(The World Tree of Grisaia.)

The name of the gray tree is [Grisaia].
They are fruits that ripened on the branch.
But a flower is not bloom.

(その灰色の世界樹の名は“グリザイア”──彼女達は、その枝に実った“果実”である──しかし、花は咲かない)


 以上。逆にわかんなくなった。世界樹に実った果実なら、その世界の、っていうか人間原理的宇宙の主要構成であると解釈できるんだけれど、花が咲かないというのはどういうことか。
 キャッチフレーズでは世界に刃向かう、という言葉に説明が加えられていないから、プレイ前は色々と妄想を逞しくすることができたし、プレイしてもそれに関して具体的に情報を与えられないので、その妄想を棄却しないでおける。考えついたところでは、主人公たちは画期的な脳外科手術(要するにロボトミー)を受けていたり、世界的にも稀有な特有の脳波パタンを持つ人物(年齢が近いのは、誕生する際に何らかの外的要素に影響を受けた為。天音に関しては後述の「エンジェリック・ハゥル」によって後天的なものだと予想)だったりする。そこで《ブギーポップ》みたいな「世界」の一般意志に対して対抗要素として管理されているとか、科学的ブレイクスルーを起こそうとする実験設備の偽装が学園であるとかそういうの。ちょっと有り得そうにないかもしれないながらも、あくまでも着眼点の一つとして報告してみたんだけれど、体験版をプレイした他の方はどうか、というプロポーズなのだけれど(by一姫)。
 総括的に内容を整理して、各キャラクターや物語の全体像の予想を書き出すのはめんどいんで下記を参照、というかそんなに予想できる程の情報でもないので、どちらかというと整理も何もないという感じ。ただ今回の体験版は、普段の会話でキャラクターたちに愛着を感じられたし、シリアスな面を少し出されたときには先が気になって仕方がないという大変期待できる内容だった。逆に期待が高まりすぎて怖い。この期待に応えられるようなゲームは最近だと桜井光のスチパンシリーズと閂夜明の『Omegaの視界』くらいだが、体験版時点での方向性の違いからまったく予想できず、且つ桜井光と閂夜明は大きく信頼している一方で本作のライターは実力がよくわかんね、という状況なので懸念もあり。買うには買うが、これが面白くなかったらフロントウイング作品からは暫く離れることになるかも。不安は期待の裏返し、ということで発売を心待ちにしつつ応援したいと思います。


 以下、体験版で見ていった場面順に、その際に書いたメモ兼コメント。色々妄想したことについてのメモもあるけれど、体験版は展開や設定を妄想してナンボ。そして妄想させてナンボ。その意味でもよく出来た体験版だ。


●「オープニング」
 各キャラの顔見せは随分簡単に済ませてしまっている。最近のゲームにしては急ぎ足かも。或いはこれすらも抜抄版か。蒔奈の言語野云々はジョークか本気かはわからない。みちるの声はイメージとは違ったが後々この声しかないと思うまでに至った。声優はまったく詳しくないながら、『ひだまりスケッチ』の宮子もこんな感じの声だったなあ、とか思って調べてみたら(以下略……四十の芸名って、それは純粋に憧れる)。この「オープニング」の段階で一番気になるのは学園および主人公の背景。ちょっとだけ『フルメタ』っぽい。どう考えても軍務だか何だかで戦闘に馴染んでいた人間。で、後になればなるほど『フルメタ』っぽい。


●天音エピソード「サプライズ・パーティー」
 あまりにも早い乳首解放。まあおっぱい丸出しで喜ぶとか、ぼくはあんまりわからないからどうでも宜しい。見えそうで見えないのが好きだ。アニメとかでも乳首が出るとご褒美的な反応をする輩が多いけれども、どうにもわからん。付け加えて、カタルシスではないけれども、愛着や妄想を積み重ねてきた対象でもないのに秘めたる部分を出されても美味しくないというか。天音の乳首ディスりまくりでごめん。


●由美子エピソード「お前、ビビリやん」
 みちる様の「ウオッホウゥゥゥッ」。どんな喘ぎだ。彼女は「オープニング」でも幸に物理フォーマットで云々言っていたし、ここでも「洗脳してよ!」とか言うけれど、何かを象徴しているのかもしれない。6月13日分のエピソードということで蒔奈とは「オープニング」に比してかなり友好な関係になっていた。お兄ちゃんとか呼ばれてるのに、その過程を知らないとありがたみがない。エピローグの文章は二人の情景が立ち絵からでも想像できるような上手さがあった。


●みちるエピソード「猫ニャー登場」
 薄々気付いていたけれどみちるは完全に弄られキャラで大変愉快。すごく元気で精一杯で、見ていて気持ちが良い。彼女の優しさや、他のキャラクターと比べた場合の普通さも感じられるエピソード。「猫ニャーがかわいそう」って、きちんと言えるのは彼女の善性の顕れだ。さらにみちるは幸や蒔奈のように頭の回転が速かったり博識だったりするという意味とは別に、ころころと話が転がるのは軽妙でダンスのようです。でもダンスは「みちるの儀式」で本当に披露してくれる。


●蒔奈エピソード「豊かな食生活」
 6月20日分エピソード。ここでも蒔奈と仲良くなる段階は既に過去のものとなっている。製品版でお楽しみくださいってこと。蒔奈はモノホンのフォトリーダー。主人公以外で、このゲームのキャラの特異性が初めて垣間見える内容。尤もこの程度で舞台である特異な施設に入れられることはないだろうから、特異性のごく一部分なんだろう。ていうか、ヴァギナとか言っちゃうんだ。そいつはヴァッギーナだね!……えー、話は変わりまして、ザリガニを青くするためにカロチンを含まない食事を与えているらしい。検索してみたんだけれどこんな色になるのは初めて知りました。まあぼくはザリガニに関しては飼育よりも食ってみたいと思っているのよさ。ヴァッギーナ!




●幸エピソード「振り向けば幸がいる」
 6月29日分エピソード。制服ガーターはエロい。掴みにくいキャラクター。


●天音エピソード「ランニング・カンデス」
 “一見すれば、どこにでも居る近所のエッチなお姉さんを気取り、その実、まるで呼吸するように、当たり前に人を殺す殺人装置…。”ひでぇw


●由美子エピソード「あなたのご趣味は」
 蒔奈はシモネタ好きなんだね。ヴァギナとかオナニーとか。執拗なセクハラを受けるみちる。


●みちるエピソード「みちるの儀式」
 カクタス・ダンス!!みちるエピソードの筈なのにうめき声しか発せていない彼女。哀れ!あまりにも、哀れ!ライターはSFに関心がないのだろうか。宇宙人の話はもっと盛り上げなきゃ。


●蒔奈エピソード「犬と鉛筆とありがとう」
 この程度の英語コントなど、「No, I am my cottage.」(『百花繚乱サムライガールズ』第七話より)を体験した我々には何ということはない。蒔奈は本当に脳を弄られてるっぽいんだけれど。特に幸が言うとシャレにならない。言語系問題に関しては幸のエピソードでも取り上げられるけれど、蒔奈を見ると『スノウ・クラッシュ』あたりを思い出すなあ。『バベル17』は未読。


●幸エピソード「まむしごはん」
 幸はどんどん忍者っぽくなっていく。このエピソードの時点で雄二やJ.B.の同業者かと疑い始める。蒔奈のコントには声優の凄さを改めて思い知らされる。


●J.B.エピソード「謎の金髪登場」
 とりあえず形式上は雄二が希望し、J.B.も手回しをして、舞台である学園に学生として入り込むことになったということらしいけれど、それは果たしてどこまでが本当なのか。個人的には記憶操作や意識誘導も疑っているので。


●由美子エピソード「CV:榊由美子」
 由美子よりも蒔奈の唐突なボケに対する幸の神対応と、その二人による執拗なみちる弄りが光る。


●みちるエピソード「いつもと違うみちる」
 みちる優遇エピソード。打ち抜かれたのは、吸血鬼でもみちるの心臓でもなく、プレイヤーの購入意志……この時点で購入がほぼ決まった。みちるは自発的に使えるアビリティを持ってるわけじゃなくて主観としてはフツーの少女だけれど、心臓に何か仕掛けがありそう。『ひとりっ子』の〈クァスプ〉や『Omegaの視界』の〈雫〉みたいな全自動機能とか。まあ、この六人が全員特異な因子ではなく、中にダミーとして配備された人物がいるとしても、みちるは逆にアレすぎてなさそうだし。目下怪しいのは天音と幸か。特に幸はイレギュラーに対応する用途として配備されたSPみたいな存在に見えるし。
 このエピソードで雄二を通して語られる死については、ぼくの考えと一致している。前もどこかに書いたかもしれないけれど、連続性の断絶だから、入眠してから起きないのと同じだと思っている。だから各個人は毎日のように死と似た現象を体験しているとも。苦痛や未知の感覚は一時的なものだし、消滅してしまうという意識的恐怖はそこまで感じおらず、死によって行動不能になって未来が見られなくなるのを恐れているんだよね。。というわけで、ぼくはみちる様に『ベガーズ・イン・スペイン』を推す。


●蒔奈エピソード「一子相伝、風見流スーパー護身術」
 ついにみちるへの弄りは暴力にまで発展する……


●幸エピソード「誤植プレイ+」
 幸の「ごっつぁんです」には「まむしごはん」の時ほどではないにせよ、声優の凄味を感じた。褒められて喜ぶ下りで、昔雄二が戦場で結果的に命を救った少女が幸とか、そういうオチを考えてしまう。それで後を追うように幸も兵士になったとか。ううん、幸戦闘要員説から抜け出せない。でも過去に雄二に助けられたのは千鶴っぽいんだよね。


●天音エッチシーン抜粋「青い果実」
 果たして体験版に入れる必要があったのか。フロントウイングのエッチシーンに関してはシナリオ/キャラゲーの「そらうた」が予想以上にエロかったのに反して、抜きゲーの「ジブリール」が予想よりもエロくなかったので期待していいのか、そうでないのかわかんないのよさ。


●天音過去編エピソード「エンジェリック・ハゥル」
 一姫かわいいよ一姫。天音の過去のシーンのように見えるけれど、このシーンの天音とそれ以外の我々が見た天音に連続性があるかは不明ってところがSF者としては主張したいところであります。でも、これは結構マジな話、怪しいところではなかろうか。「豊かな食生活」で蒔奈のフォトリーディング能力について雄二は自分の姉にもその能力があったことを明らかにしているし、同じ風見という姓も、この過去時間に於ける天音が本編時間で記憶に連続性があれば強く意識している筈。このような遭難を経験した際に深く交流を経た相手のことならば、深く記憶に刻まれるだろう。それでも「豊かな食生活」の会話で特筆したリアクションがなかったということは、偽装か、記憶にないか、そのどちらかしかあり得ない。体験版「エンジェリック・ハゥル」後に起こったこと(人食いっぽいよね。みんな同じこと想像するけど、ライターさんには裏をかいて頂きたい!関連:【『グリザイアの果実』エンジェリックハゥルでの塩の使い道を予想してみた あしたがみえない (http://asitagamienai.blog118.fc2.com/blog-entry-804.html)】)の心理的圧迫によって関連する記憶を想起できないようになっている、という精神疾患的なものだと考えるのが普通だけれど……これもありがち。「オープニング」であった「質問に対して質問で返すのは~」の下りや、「豊かな食生活」の「天才になったところで、得られるのは賞賛じゃなくて敵意と嫉妬~」の下りもまた無視できないところだ。どこで誰に言われたのかを天音自身は記憶していない様子。ヒントはもう一つあって、それは「エンジェリック・ハゥル」以外の天音は眼鏡を掛けていないという事実。コンタクトレンズ説はシャワーや風呂のシーンでそういった描写がなかったので、個人的には否定したいところ。そこで思いついたのは神経移植でした。天音に一姫の視神経等の神経細胞を移植した結果、それが神経突起を伸ばして既存のニューラルネットワークと結合したので、一姫の表現形の性質が天音に伝わって、それが視力を良くしたということ以外にも、姉という性質も伝わることになったとか。予想していなかった表現形の現出は、まあイノシトール三リン酸の制御を完全にできそうな未来の話でもないし、手術にあたっての副作用によるものとか。もっとSFっぽければ一姫の脳のデータを天音の脳内に共生させて前意識上で一姫が存在するってネタも思い浮かぶところだけれど本作の設定ではそこまでは無理。で、その手術なんだけれど、ここから蒔奈が過去に病院に長いこと居たことや、みちるの心臓機能不全疑惑などを思い出す。やっぱり全員何らかの施術を施された人間だったりするのかもしれない。実家が飯屋という天音の設定はこの過去編でも殆ど真実だと確認できるが、むしろ辻褄が合う部分と合わない部分が混在している不気味さを残す。そして読み手はそこに惹かれる。
 天音について以外では、なぜ一姫がほぼ確実に助かることを核心しているのかがわからないところ。全員が生き残るとも、絶対に大丈夫とも言わないが、少なくとも数人は生き残れるだろうと言っている。そうなると人食いというアイデアは一姫の生き残るという核心とあまり一致を見られない。そこで思いつくことは一姫が意図的にこの状況を作り出したということか。冗談だと笑っていたけれど、この状況になることを予想していたと言ってもいたし。あるいは外部の組織からの手引きなのかもしれない。彼女を誘拐したり、殺害しようとしたりするならば行動が遅すぎるからそれはないとして、上層部が仕組んだテストだとも。それがわかっているから一姫としては適当な点数でクリアするために役を演じているなどの可能性も考えられる。
 さらにミスリードの可能性も多いにあり、プレイヤーはゲームの本時間軸で雄二の姉らしき人物〈師匠〉が既に死亡していることも知っているから、同じ姓を持ち特徴も一致する一姫を姉だと思い込んでいる。いや、一姫が姉であることは間違いないんだろうけれど、ぼくらが読み違えているのは一姫がここで死ぬということではなかろうか。さらに個人的には一姫が〈師匠〉だとも思っていた。しかし「エンジェリック・ハゥル」以前(ゲーム内世界の時間的には以後だが)の本編エピソード群で語られたことを思い返してみると、雄二の〈師匠〉は一姫とは別人物だと考えられる。師匠は長身で(「オープニング」)、J.B.曰く麻子という名前(「謎の金髪登場」)であり、しかも色々なエピソードで語られる〈師匠〉の適当さと一姫の繊細さは一致し難い。J.B.と〈師匠〉は友人同士で、〈師匠〉の死後にJ.B.が雄二を引き取ったとある。だから主人公の姉が死んだという確定情報はまったくないわけね。例えばフォトリーディングの能力を語る際などに「俺の姉にも同じ能力があった」と過去形で語られるので、我々は一姫が死亡したと思い込んでいるというわけ。しかも死ぬのはこの「エンジェリック・ハゥル」に於いてであると誘導されてしまっている。むしろぼくなどは、敵方にまわっているとかの可能性も捨てきれないとは思うのだけれど。
 あとはエロゲーで常々不満に感じることがあって、どうせ十八才以上の男性が対象のゲームなんだからブレインストーミングの説明とかはサラッと流してくれればいいのに。せめてこんな感じに……
一姫「マイクロブラックホールが激突したって可能性はまずないでしょうし――」
天音「例え物質密度がホログラフィック限界に達してマイクロブラックホールが生成されても、ホーキング放射ですぐに消滅しちゃうんじゃないの?」
一姫「そうよ。けれどもブラックホールが持つ情報密度をホーキング放射でブラックホール外に発生させれば、エアーバーストと同等かそれ以上の熱エネルギー放出になるんじゃないかしら」
とかね。まあこの時点の一姫と天音が中学一年生だと考えるとやや無理があるし、一姫が色々と説明しないと天音が何もわからないのも仕方がないか。まあ何にせよ、ここで公式サイトで紹介のない魅力的なキャラクターが登場したことは嬉しいハプニングだった。一姫がこの後どういった状況になったのかをどうしても知りたくなる。そんな終わり方だった。

2010年11月21日日曜日

ホログラフィック宇宙について

 宇宙ホログラム説というものをネットで聞いた。なんじゃそりゃということで調べました。感覚的にはM理論に於いてカラビ-ヤウ多様体がそれぞれ互換性を持っているのと似ている。特定時空Aの境界面とA内部の関係は互換性があり、その関係が適用できる宇宙モデル(反ド・ジッター時空とか)なら時空内部を観測/計算しても法則が証明し難い物理理論が、境界面でその物理理論と関連する法則を調べることによって計算の不備が補える。
 以下はメモ兼簡単な解説。


●情報収集の発端
【「宇宙ホログラム説」、超高精度の時計で検証へ | WIRED VISION (http://wiredvision.jp/news/201011/2010110423.html)】の宇宙ホログラム説。
 なるほど、わからん。しかしわからんものは調べるのがSF読者のメンタリティ。ということでググる。すると〈日経サイエンス〉誌の記事が目に付いた。その詳細は後述。


●上の記事のノイズについて
【「この宇宙はひとつの巨大なホログラムである」~GEO600の騒音の謎に大胆仮説 : ギズモード・ジャパン (http://www.gizmodo.jp/2009/02/geo600.html)】も参照。
 なるほど、やはりわからん。だが所詮は憶測と知識不足で成り立つブログ〈GIZMODO〉。たぶんライターもわかってないから放置する。というか最近〈ギズモ〉がホットエントリになりすぎじゃなかろうか。クソエントリに集りおってからに、と思わずにはいられないが、そこが出発点となって発展するならそれも良しとするか。


●前提
 文系とか理系とか以前の低学歴なぼくでも読めたけど、一応、前提知識について。

 計算する宇宙モデル(【デジタル物理学 - Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6)】)がとりあえず重要な概念。物理と情報の結びつきがわからんって人はセス・ロイドの『宇宙をプログラムする宇宙』を勧める。


 それから参考資料としてホーキングの著書が載っていたけど、ホーキングよりはブライアン・グリーンの本が良いと思う。ブライアン・グリーンはこういう話題が出る度に勧めているような気がする。

 
 色々調べていて読んでおきたいと思った本は以下の二冊




●〈日経サイエンス〉二〇〇三年十一月号
〈日経サイエンス〉誌の記事【ホログラフィック宇宙:日経サイエンス (http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0311/hologram.html)】。
 図書館で借りて読んだ。正直かなり端折った記事だが、WIREDの宇宙ホログラム説というもののイメージは掴めた。

一般化第二法則(GSL ; generalized second law):
 物質がブラックホールに入っちゃって、そのエントロピーも中に入ってなくなっちゃうように思えるけれど、エントロピー分もちゃんとブラックホールが増大する。ブラックホールは地平面の面積に比例したエントロピーを持つから、ブラックホールがでかくなればブラックホール外とブラックホール内のエントロピーの総和は減少しない。ついでに言うとホーキング放射でブラックホールが質量を失って地平面の面積が減少しても、物質がブラックホールに入るときとは逆の向きに一般化第二法則が働くらしい。

ホログラフィック限界と普遍エントロピー限界という孤立系のエントロピーの限度について(p59囲み参照)――

ホログラフィック限界(universal entropy bound):
 レオナルド・サスカインドが考案。物質やエネルギーを含む特定の空間領域――面積A――がブラックホール化するとする。そうしたらそのブラックホールの表面積は元の空間領域の表面積よりも小さい。さらにブラックホールのエントロピーは、そのブラックホールの表面積に比例しA/4となる。ここでブラックホール化する前の面積Aのことを考えると、それが持つエントロピーもA/4以下になっていたと考えられる。よって特定の空間領域が含む最大エントロピーはその表面積に依存する。
サスカインドの記事は【日経サイエンス 日経サイエンス 1997年7月号 (http://www.nikkei-science.com/item.php?did=50707)】

普遍エントロピー限界(holographic bound):
 特定の空間領域がブラックホールに飲み込まれると、ブラックホールは特定の空間領域の質量に比した分だけ表面積が大きくなるという事実は上記と同じだけれど、情報密度の求め方の違い。これは計算を質量に依存するから(?)、ホログラフィック限界よりも普通、ブラックホールの増加分が小さい。ただしホログラフィック限界みたいに、その空間領域がブラックホール化する直前の密度があったと考えれば、情報限界量はホログラフィック限界と一致する。

 どっちにしろ、特定領域内の体積がどんどん増えて、その熱力学的エイントロピーが表面積から算出される情報エントロピーを超える前にブラックホール化してしまうから、エントロピーの限界値はやっぱり表面積依存ということ。
 これらの計算法によって表された自由度の限界を「レベルX」と呼ぶ。これは差し渡し1センチメートルの装置では、原理的な限界値で10の66乗ビットまで情報の保持が可能になる。

 上記の事柄から、境界面内部の情報は境界面に全て記述可能だ。だから我々の四次元宇宙の物理法則も、時空の三次元境界面のどこかで機能する物理法則と等価であると考えられないだろうかということで研究が進む。でも四次元宇宙と三次元宇宙で等価に機能する法則はまだわかってないし、境界面としてどんな面を使えばいいのかもわからないので、とりあえずは単純化モデルの研究が必要になるとのこと。
そこで出てくるのが反ド・ジッター時空。ド・ジッター時空は一定の速度で膨張し、高度な対称性を備えている空っぽな宇宙モデル。このモデルはアインシュタイン方程式の宇宙項に反発力を用いていて、この反発力を引力に変えると解は反ド・ジッター時空になる。ド・ジッター時空と違って反ド・ジッター時空は無限遠に境界面がある。この反ド・ジッター時空で働く超弦理論は境界面で成立する場の量子論と等価となる。ここでやっとホログラフィック理論がどうして重要かということが明らかになった。境界面の記述を読み取れれば、内部宇宙の法則に翻訳できるということだ。今ではここから発展して、様々なモデルに於いてホログラフィック理論による境界面と内部の対応関係が知られているという。
 とは言え、我々の宇宙は境界面のある反ド・ジッター時空にはならず、物質と放射が均一だと単純化してもフリードマン・ロボートソン・ウォーカー宇宙というモデルに近くなる。こうするとホログラフィック理論による関係の対称性が使えなくなってしまう。

 この後、ブーソー限界という上記のホログラフィック限界の求め方を修正したものが出てきた。他にも変形版のエントロピー限界が提案されつつある。ホログラフィック理論は各所に浸透し、計算が平易な究極理論を目指しているというところで記事は終わり。
 境界面に情報が記述されていて変換可能だなんてイメージし難い……というよりもイメージすると逆にややこしくなるけれど、理論物理学の考え方として、より計算し易い式から計算し難い式の解が出せるなら、そのモデルは意味があるよねというオハナシだ。最も、イメージし難いからそれが実在的には関係なく、理論上の話に収まるという単純なことではなく、我々の認識では区別が付かないという話なのがSFちっくで熱くさせてくれる部分だ。

 ここから、上記WIREDの記事はレベルXを見つけようとしている内容だということがわかる。それによって我々の宇宙のエントロピー限界が逆算できるということかな……?


記事の末尾に載ってた参考資料:


 上記サスカインドの記事も要参考。


●備考
【【仮説ヤバイ】 この宇宙はホログラムでした 俺もおまえらも本当は2次元の情報に過ぎないらしい…… (http://www.unkar.org/read/namidame.2ch.net/poverty/1234343753)】の51参照。スレタイは誤解しているかと。


●追加情報
【重力は幻なのか? ホログラフィック理論が語る宇宙 (http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0602/gravity.html)】
 〈日経サイエンス〉2006年2月号の記事。最寄りの図書館で取り寄せて貰っているので今度読む。

マイケル・タルボット『投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待』は書名はそれっぽいけれど、今回の話とは関係なさそうだが、一応図書館でチェック。

2010年11月14日日曜日

Sphere『ヨスガノソラ In solitude, where we are least alone.』



 アニメ化ということを聞いて、放送前にプレイしておこうと思ってたら、いつの間にかアニメがはじまっちゃって、ギリギリ追いつく前に終えた。アニメの方は殆ど期待されていなかったのに反して、かなり巧く出来ていて、実際に楽しく視聴している。ところがこの原作はびっくりするほどつまらんかった。奈緒と初佳のシナリオだけは許す。
 なんというか、難しい題材を選択して失敗しちゃった感が。やったことがあるゲームの中では『そらうた』(ただしファンタジー的設定は抜きにして)とか『さくらむすび』とかに雰囲気が似ている。類似点は田舎が舞台で、サスペンスな展開とは縁がなく、基本的に登場人物との会話による交流に、文章のほとんどが割かれているように感じるところ。さらに謎を漂わせる発言や、それとは逆のコメディ調のやりとりもこの種のゲームとしては驚くほどに少なく、どちらかといえば、我々の生活にありそうな会話でリアリティを感じさせるところか。要するに幻想小説じゃなくて普通小説系ね。少なくとも社会派小説ではないんで。世界観の設定が物語に強く影響するもの(つまりSF、ホラー、ファンタジー等の幻想文学っぽいものを、ここではそう呼ぶことにする)はその設定自体が強みになるだろう。コメディタッチなものも普段の笑いでプレイヤーと登場人物の距離が近しくなれば、シリアスな文脈に入ったときに、対象キャラクターに救いがあってほしいという隣人愛的な感情(倫理観と言ってもいいだろう)に訴えるものがある。どのみち、同じシリアス文脈を読むときには、それ以前の文脈が物語というものでは重要になると思う。こういう大人しい物語では主要登場人物、特に主人公にどこまで感情移入できるかというのは大切な問題だが、ぶっちゃけ無理でした!きっと「上品さ」というものを目指したんだろうなあ。
以下、各シナリオについて攻略順に感想。

●奈緒:
 まともなシナリオその一。人気のないヒロインだけど重要人物。不遇すぎて辛いけど、それもほとんどのプレイヤーが穹を好きな故か。ぼくは割と好きです。普通に良い人だし、穹シナリオでも大活躍だし。幼なじみの主人公が戻ってきてくれたのを素直に喜んだ彼女。昔日の逆レイプ事件は悠と互いに話題に出さぬようにして、改めて良い関係を築こうとした。けど逆レイプの現場を直に見てしまっていた穹には許せなかった。もちろん遥も奈緒も、穹に知られていないと思っていたし、自分たちが穹の世話をしていると思っていたから予想外の反撃だったわけで。その時に妊娠はしていなくても、一度でもセックスを体験した子供というのに対して、大人たちはより管理責任を重く背負わされて、それに穹も巻き込まれてしまった。知らなければ何に巻き込まれたかはわからないままでいられるけれど、知ってしまったし、そもそも第一発見者だったし、穹としては色々と辛い立場だっただろう。最後には主人公が穹を説得して、穹は奈緒を許す心境になるのだけれど、過去に何をしでかしたかを考えると、穹に対面すべきは奈緒だったのではないかと思う。ここでちゃんと穹と話し合えれば眼鏡ウザイとか言われなかったのに。もちろんそういう場を設けられなかった主人公がショボいのがいけないんだけど、それは期待しすぎか。


●一葉:
 残念ながら全ヒロインのうちでもっとも頭の悪い印象を受ける。人間の付き合いに限らず、生きていく行為は須く物理的リソースの消費を伴う。一葉シナリオでは遥から離れて瑛と共にいようとした一葉。それはいいんだけど、暗に瑛は一葉からプレッシャーを与えられているようで見てられない。お前さえいなければ、とは思っていないんだろうけど結果としてはそういうこと。そういうのがわかってる瑛は自分から一芝居打つ。その芝居を真に受けて、一葉は自分の浅はかさを知る。結局、その浅はかさも(とは口に出さないけど)受け容れると言った遥と結ばれるわけなんだけど。瑛シナリオでもこの子の対人関係の感覚は極端であるのが露呈する。特に語るべきことはない。空気読めないけれど悪い人ではないという娘さん、ということで亮平とは似たもの同士の同族嫌悪みたいな感じか。


●初佳:
 まともなシナリオその二。奈緒と初佳くらいしかマトモなシナリオがないというのが何とも。奈緒や一葉に比べると、主人公がかなりモノ化というかエピクロス派の形而下の欲望というか目的物みたいな。だから「悠の」/「悠と初佳の」物語ではなく、あくまで「初佳の」物語。
 就職や仕事や合コンが上手くいかずにアイデンティティが損なわれた女性と言ってしまうと安っぽいけど、そんなことはない。誰だって人から見たらどうでもいいようなものにしがみついていたりする。本人としてはそういうトコロは弱くて、情けなくて、落ち込んでいる自分を他人に見せたくなくて、だから敢えて明るく振る舞ってたりするんだけど。実際に初佳ほど溌溂に振る舞うのはものすごく難しいんだけど、そこは虚構の良いところ。でもそんな風に途中から思ったりしたものだから、明るく振る舞う初佳を見ると少しだけ悲しくなる。
 ちゃんとエッチできてるのかってのも気にしそうなキャラクターだから、その流れでいつもなら割とどうでもいいエッチシーンも比較的真面目に読んだりした。三回あるうちの最後のだけは流石に呆れたけど。
 しかしこのシナリオの主人公はホント、奈緒とか穹に顔向けできない。穹が超怒るのも無理ないわー。セックスそれ自体が神性であったりとか、逆に猥褻なことだとは思わないけど、奈緒シナリオをやった時に、責任の取り方を重く考えていたように主人公が言っていたから、あんまり考えないうちにエッチして欲しくなかった。奈緒と一緒になって初めて幼い頃のセックスを考え直したと言われればそうかもしれないけど。しかし穹のことを考えているのが唯一の良いところだった主人公が突然朝帰りしちゃうのはなあ。気持ちはわからんでもないけど、こういう優先順位がブレまくるのも、この作品の主人公が不評な理由の一つだろう。
 モトカレが絡んできたときに主人公を振る描写はある意味で一葉と似てるのだけれど、一葉は他者の存在が重要で代替不能なんだけど、初佳はここでも執拗に自分のアイデンティティを求め続けている。こういう人物はキャラゲーに合ってないんじゃないか。さらに、もしもどちらの男を逃がしてしまったとしても、酒を飲み、仕事をすれば忘れることができそうなあたり、ダメイドではあるがやはり社会人ではある。しかも実家暮らしで、特に生活自体は困っていない……つまり他のキャラクターと違って家庭環境が複雑ではない。もう何でこの人の為に一本のシナリオが書かれたのか謎なんだけれど、亮平のフォローとしてだったりするのかもしれない。亮平は馬鹿で空気が読めないけれど、決して悪い奴ではなく、馬鹿なりに善くあろうとしているということを書きたかったのかもしれない。
 他のルートでも海に行く時に引率として必ず登場するけど、その時の描写がまた好きだったりする。上司抜きで適度に力を抜いたサバサバ感とか、でも年上としてなんだかんだで一行に軽いサービスをしていたりするところとか。まあ酒で記憶が飛んじゃう先輩とかいうのは往々にして厄介だったりするんだけど……これはまた別の話だ。


●瑛:
 表面上は典型的なゆるキャラ(という言葉を誤用してるかもしれない)とか天然とか呼ばれるような〈うぐぅ系〉性格で、その描写方法がいちいち不愉快。「あはー」「わくわく」とか喋らせちゃう人、嫌いです。でも本当はいつも人に気を使っている。下瞼の線がくまにも見えて、ああやっぱり疲れてるのかなあとか。養父の亡くなった後は一人で神社に住んで管理もしている。境内の掃除は日課になっていて、そんなに大変ではないと言うけれど、デートで掃除機を見ていた時に庭の掃除に使えたら楽、というようなことを言っていた。そういうちょっとしたところからも苦労が伝わる。
 他人を傷つけるよりは自分が傷ついた方が良いという考えは、誰にとって良いのかというとあくまでも自分にとってでしかない。ダメージの受け方が違うし、どちらの方が総ダメージ量が多いかはともかく、自分が傷つくことを選択するならば多くの場合に能動的行動を起こす必要がない。初回アクションを起こさなくていいだけラク。もちろん選択によって最終的な着陸点も大きく変わることがあって、瑛はその分岐で悩んでいて、その性質は日常にも当然のように浸透していったような気がする。とはいえ、そこまでオレオレな人でなければ彼女ほどではないにしろ、ある程度の遠慮というものは常にある。人に気を遣って、それで上手くいけば、それはそれで嬉しいことでもあるということを許容してくれる物語もまた、一つの正解だったのではないだろうか。
 そもそも両親からの愛を享受したことのない十代後半の子が、今更それを求めるかという疑問がある。特に自分を今まで邪魔者のように扱っていた一葉の母親が本当は瑛の母親だとしても、互いに大きな不利益にしかならないような気もする。家族が大切な存在という感覚は、過去から現在に至るまでのきちんとした形がある上で成り立つものであって、血縁関係や同居しているという形式的なものだけからは生まれないと思う。だから瑛の親は彼女を養子として引き取ってくれた神社のお爺さんしかいないんだと思う。
 そして瑛シナリオの悠はホントに何がしたいのかわからん。まったく共感できないという最悪の状況だったが、この愚者がどういった着地点に至るのか、というひどくネガティブな読み進め方をした。でも一方で、彼の気持ちを嫌味な形で理解できるようにも思える。当事者が事実関係を隠しているのは殆ど苦もなくやっていることでも、他者がそれを知ってしまうと放っておけないというのは。それこそやひろが言うようにお節介というものなんだろうけれど。自制が利かないだけ、という話かもしれない。面白半分という気持ち。だから本当はそんなことはやってはいけない。
 しかもオチは、当事者たちにとって忌むべき事態が真実である可能性もあり、それを隠蔽していたが、確認をとったところそんな真実はありませんでした、というもの。ど、どこで感動すればいいんだってばよ……たぶん、隠し事に対する長年の蟠りが解消され、自由を得られたと捉えればいいのだろう。本人が最初から大した心理的圧迫を感じていたようには思えないので、下手に引っかき回したようにしか受け取れないんですが。たぶん瑛と一葉の本当の親がどちらかということがわからないままでも、エピローグの風景は画けたはず。特定の終状態に至る経路が複数あるのはわかるんだが、それにしてもねぇ……


●穹:
 ソランザムなどなかった。こういう妹が出てくると近親相姦の背徳感がーと言う意見が多いと思うけれど、自分としてはそういうのは少なくとも今回はどうでもよいからせっかくの双子という設定を重視して欲しかった。ドッペルゲンガーとしての相手。自身は相手にとって同遺伝子プールから発現した別のバージョンの個体である。互いの中に、一人の人間としては決して得られない、失われた生命の源が垣間見られる……とかを希望していたんだけれど、さすがにそれは無理か。
 実際にプレイする段階ではさすがにテンションが上がった。見た目がとても良い。小柄な上に、立ち絵では肩を広げないし、画面に対して身体の正面を向けていないから、上半身がとてもすらっとして見える。どう考えても本作一の美少女。下半身にも無駄な影が落ちてなくて綺麗だ。一人だけ長袖にしているのも、いかにもって感じだけど、これでプレイヤーが彼女の線の細さを勝手に補完できる。口数があまり多くないというのも巧妙な罠。プレイヤーの勝手な〈最高の美少女補完機構〉的なるものが働いて、直接に語らぬことが返って多くを語る。口を開かなければ……とはまた違うけれど、シナリオライターに余計なことを書かせなければ、みたいなところはある。
 どうでもいい話。穹を見ていて思ったんだけれど、ツインテールって不思議な視覚情報を与える髪型だよね。房になっている部分は線的な輪郭を与えるけれども、細い房だから中の重みは感じさせない。房を見なければベリーショートになる。このへんの違和感はツインテールやポニーっぽい髪を描く時にも感じる。顔-身体の左右に房があるだけで、ここまで印象が変わるというのは、人間の認識能力の特徴なんじゃなかろうか。実際の量は多くなく、モニタなり視覚素子なりの面で大きく面を埋めるわけじゃないのに、パッと見て素早くショートではないと認識される。コンピュータでこういう認識ができるのだろうか、などと考えたりした。どうでもいい上に関係ない話でした。
 穹√では他のシナリオではまったく活躍の場が与えられない委員長が大活躍だったり、瑛も他のシナリオ以上に神性とまでは言わないけれど、元来の洞察力による力強さを感じさせてくれるのが良い。奈緒も当たり前のように絡むが、本人のシナリオよりも強さが伺える。その一方というか、案の定というか、主人公はどーしょーもなく愚かなのであった。何度も穹と身体を重ねた後に、人に知られてしまったから、やっぱり元の兄妹に戻りましょーって……穹が仮に「そうだね、いけないことだし止めよう」と言っても、他人に知られてしまった事実は変わらないのに。何故ここまで男たちをとんまに描写するのだろうかと思う。主人公の友人役の亮平も、初佳シナリオでフォローはあるにせよ、馬鹿な男として画かれる。シナリオライターがどこまで考えてこれらを書いているかってのは、もう二度とこのシナリオライターの作品は触れないだろうし別にどうでもいいんですが、これが意図的だと男という性について否定的なんじゃないかなと邪推せずにはいられない。
 多くのプレイヤーに瑛と穹の√が評価されている理由というのが気になる。ぼくはシナリオは兎も角、キャラクターとしてはこの二人は他のヒロインと比べて、自分から不幸をある程度受け容れてるところに魅力を感じる。瑛は現在進行形の不幸だし、穹は悠と関係を持ってからの未来の不幸。しかもこれらが解決不可能だと割り切ってるから迷いが少ないし、想像力があるから洞察力も鋭い。初佳はともかく奈緒と一葉もそれぞれの決意を持っているけれど、その性質が違う。各自の選択の是非はそれを知ったプレイヤー各人によって異なるけれど、決断への一途さという魅力は瑛/穹が一歩進んでいる。それとは別にやっぱり喋り片とか見た目とかは可愛い。はじめて卵が上手に割れた時の穹ちゃんスマイルでブヒった人は多いのでは?

 また、クライマックスのエッチシーンの導入が唐突という意見もあるけれど、あれは別に唐突でも違和感なかったかな。つまりそういう行為が非家族たる他のヒロイン以上に二人の関係の象徴であり、互い関係の継続を了承した後のある意味で自然な行動だったのではないだろうかと。あと瑛が説明してくれたように、湖が人生の再スタートの場所という象徴として捉えられるなら、二人の関係が始まりを告げた行為を再度演じるという意味もあるんじゃなかろうか。そうでなければ、最初の会議で決まったエッチシーンの回数合わせに加え、もう絵も上がってきちゃったから濡れ場にしなきゃいけないから無理矢理入れた、という自体が予想されるわけで、そうなると唐突以外のナニモノでもないわけですが。個人的にはクライマックスの湖セックスよりも、帰省した後に口調が変化するところが気になった。主人公もある程度唐突だと感じるところだが、それにしてもちょっとやり過ぎ。寡黙とまでは言わずとも、あまりハキハキ喋るイメージが前半ではなかったのに、後半では一転して台詞を淀みなく読み上げているかのようでゲーム内世界での不自然を通り過ぎて、ライターと声優の存在感を感じさせる不自然さだった。

2010年11月13日土曜日

<S-Fマガジン>二〇一〇年一月号

S-Fマガジン 2010年 01月号 [雑誌]


 〈S-Fマガジン〉をこんなに隅から隅まで読んだのははじめて。図書館はたまに使っていたけれど、雑誌コーナーは殆ど見ていなくて、本誌があるのを知らなかった。割と多くの図書館に置いてあったので少し驚く。以前古本で買った〈S-Fマガジン〉から十年程刊行年月が開いているが、とりあえず区切りの良い今年の一月号「創刊50周年記念特大号 PART・Ⅰ 海外SF篇」というのを借りて読んだ。以下はそのメモ、感想。
 この判で五三〇ページちょいだから、平均的な文庫四冊分くらいか。かなりのボリューム。値段は二五〇〇円する。創元SF文庫とかを新品で四冊買うと四〇〇〇円だし、ハヤカワ青背でももう少し安くなる程度だから、色々読めるアンソロジーとしてはちょっとだけ安いって感覚か。


●p162 連載評論 中野善夫「黄金の薄明かりの向こうへ 第一回 理想郷への帰還と未知の世界への旅立ち」

 おもしろいけどファンタジーのファンからは反撥があるだろうな。そして、それでいいのだ。肯定(定立)>否定(反定立)>否定の否定(総合)、でレベルうp。ヘーゲルのいう弁証法的発展とか否定的思考ってヤツ。
 英雄が目的を達成した後の無力感はわかる。画なり文章なり何らかの技芸に於いて、仮に最高のものができてこれ以上望めなくなってしまったら、そこで全てが終わってしまう。とは言え、これは現実ではありえない状況だろう。現実的には、ゲームAをフルコンプしたら別のゲームBをプレイすればいい。無力感は孤立している状態でより一層強くなるが、開放形では緩和される。ただしゲームAに永遠に浸っていたい欲求もまた存在するので、ノスタルジーという感覚はまた別に存在する。
 永遠の持続性や停滞について。状況によってその評価は変わる。それらが完全な停滞と倦怠で、何ら進歩的なものが物理的に否定される状況ならそれは打開されたい。ただしその停滞ならば、意識というものが存在しない筈なので、そもそも打開されたり否定されたりするものがない。なぜ意識というものが存在しないかというと、例えば私たちが一切の外部刺激がない空間で孤立していながら、永遠に生きられるとする。そういう場合にも思索という進歩が存在する。進歩が存在しないというのは逆に意識がないということではないだろうか。享楽にせよ苦渋にせよ、そういう状況でも意識があるなら停滞や永遠というものは肯定したい。
 とは言え、そういう状況は現実にはありえないし物語にもなり得ないので、どうでもよろしい。最近のオタクカルチャーのフィクションで有名で、この永遠性を扱ったものは、『鋼の錬金術師』がそうかな。(注:先に言っておくとぼくはアンチ『ハガレン』です。これから面倒な批判をします。『ハガレン』が面白いというなら、まずその巫山戯た幻想を……あ、『禁書』も嫌いだった……)アルフォンス・エルリックは有機物の人体を失って無機物の人体を獲得している。この構造体は堅牢だし、私たちの身体のように食事や睡眠を必要としないし、劇中ではそれなりにポピュラーな技術の錬金術によって簡単に再生可能。そういうことだから、当然死というものはない。Turritopsis dohrniiより羨ましい。しかし劇中では度々、正常な人間ではないことを本人も周囲も嘆く。これはぼくにとっては完全に意味不明で、不快感すら覚えた。つまり五体満足健康ながら数十年で死ぬというのが正常な人間であって、争いがなく周囲と友愛を深めるのが正常な環境だとされ、それらが無条件で正義と変換されている。永遠性を否定しつつも、多様性という進歩も否定している。ここでは熱的死は想定されず、生命の循環こそが永遠だという無邪気さと無知がある。これは多くの人々の在り方への肯定なんだと言われても納得しない。肯定されるべきは大衆ではない。


●p10 テッド・チャン「息吹」(大森望訳)
紹介文:
今、ここに刻む。わたしがいかにして、生命の真の源を理解するにいたったかを。

 テッド・チャンの滅亡ものって始めてだよね。滅亡ものだけれど、一欠片の希望は感じられる。個体の死を乗り越えた種への貢献というものに何となく似ている希望にも思える。とはいえ悲壮感があまり感じられないのは、実際にそういう描写がないからでもあり、しかも物語に登場する人々が生物として我等人類とは異なったものだからであろう。

 作家詳細:
 【テッド・チャン(Ted Chiang) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfc/chiang.htm)】

 wikipedia:
 【Exhalation (story) - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Exhalation_(story))
 Online:
 【Night Shade Books presents Ted Chiang's "Exhalation" (http://www.nightshadebooks.com/Downloads/Exhalation%20-%20Ted%20Chiang.html)】
 Free Podcast
 【Ted Chiang's story Exhalation -- free podcast - Boing Boing (http://www.boingboing.net/2009/02/26/ted-chiangs-story-ex.html)】


●p24 グレッグ・イーガン「クリスタルの夜」 (Crystal Nights)(山岸真訳)
紹介文:
男の望みは、意識を持つ“真の”AIを特別なプロセッサを用いて生み出すことだった――

 常温ビッグバンてなんすか……
 いわゆるいつも通りのイーガンで安心のクオリティ。ネタ的にはよくあるものを、イーガンが書いたらこうなりましたって感じ。正直、あまり他の人の感想を読んでみたいとは思わない作品です。歴史上、我々が知りうる意識の発生過程は進化しかない。コンピュータ内の仮想環境において時間を加速させ進化を促し、AIを作るという内容。
 マジに考えると、超高性能なプロセッサを使って生物進化を高速シミュレートするならば、原モデルの構造が正確でなければならないと思う。つまりDNA的なものの完全なモデル化。今のところ正確には脳のどういった構造が意識なるものを作り出しているのかもわからないわけだし、DNAの使われていない容量とか、不明部分が多すぎるから、簡略化なんてできない。
『順列都市』の〈コピー〉は人間の意識を完全にコピーできていた……すなわちモデル化までバイオインフォマティクスの技術が進んでいたわけで、そういったような前提条件があれば意識所持体≒知性体の原モデルを作ることは可能だと思う。
 チャンの『息吹』が孤立系を内部から見た小説なら、こちらは外部から見た小説。
これを内部宇宙から見たバージョンも読んでみたい。ただし、内部宇宙の言語は我々の言語で言い表せない概念を扱ったものが多く、素粒子物理学が我々のものよりも50年程進んでいるので難しくなるが。それを書けるのがイーガンだし。
 タイトルについては【水晶の夜 - Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E3%81%AE%E5%A4%9C)】を参照。ここによると……引用開始――
水晶の夜(すいしょうのよる、独:Kristallnacht(クリスタル・ナハト)) とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動である。ユダヤ人の住宅、商店地域、シナゴーグなどが次々と襲撃、放火された。ナチ政権による「官製暴動」の疑惑も指摘されている。事件当時は「帝国水晶の夜(Reichskristallnacht)」と呼ばれていた[1]。後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった事件。
――引用終了……とのこと。
 ネットで軽く他の人の感想を見ていたら黙っていられないものがあったので一つだけ。【綺譚亭 (http://f49.aaa.livedoor.jp/~kiten/sayaka/sayaka.cgi?l_no=0&act=response&m_no=299)】でAI書かせたら山本弘の方が遥かに上とか書かれているけど、個人的にそれはない。山本弘は倫理の在り方に対しても、作品の設定に対しても無邪気すぎる。『アイの物語』を駄作と思っているワタクシでありました。

 参考リンク(著者サイト内【Works Online (http://gregegan.customer.netspace.net.au/BIBLIOGRAPHY/Online.html)】より):
 Online:
 【TTA Press - Interzone: Science Fiction & Fantasy - Crystal Nights by Greg Egan (http://ttapress.com/553/crystal-nights-by-greg-egan/)】
 Free Podcast:
 【Transmissions From Beyond | Transmission 7: Crystal Nights by Greg Egan(http://transmissionsfrombeyond.com/2008/09/transmission7/)】

 作家詳細:
 【グレッグ・イーガン(Greg Egan) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfe/egan.htm)】


●p54 テリー・ビッスン「スカウトの名誉」(中村融訳)
紹介文:
ある日突然、わたしに届き始めたメッセージは、“彼ら”に対する詳細な観察の記録だった…

 テリー・ビッスンの作品にしては普通のSFで割と好きだった。この作家は、ハードSF作家じゃなくて、分類的にはスタージョンとか、ヴォネガットとか、ああいう人たちっぽい気がする。ヴォネガットはちょっと違うか。まあ『ふたりジャネット』しか読んだことがないんで、また違った一面があったりするのかもしれないけれど、ぼくにとってイマイチどこを愉しめばよいのかわかりにくい作家であります。スタージョンも同じく。一方でスターリングは難解だけど、それなりに愉しんでます。
 ちなみにこの作品は今年七月に刊行された奇想コレクションの『平ら山を越えて』に収録されている。

 作家詳細:
 【テリー・ビッスン(Terry Bisson) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfb/bisson.htm)】


●p68 ジーン・ウルフ「風来」(宮脇孝雄訳)
紹介文:
ビンには友だちが一人もいない。そのことに気づいたのは、ついこのあいだのことだった。

 そういやこの前読んだ『僕は友達が少ない』は評判が良い割に、すごくつまらなかった。どうでもいいけど。
 おもしろいっつーのもどうかと思うが、良かった。実はジーン・ウルフは初めて読んだ。無力感とか、やるせなさとか、色々感じるところだがうまく言葉にならない。最後の雨は風来が降らせてくれたのだろうか。というか何をしに来たのか謎。詳しくは語られないが、雰囲気を楽しませてくれる。

 作家詳細:
 【ジーン・ウルフ(Gene Wolfe) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfw/wolfe_g.htm)】


●p86 シオドア・スタージョン「カクタス・ダンス」(若島正訳)
紹介文:
グランサム教授の消息は、ペヨトルの標本の送付が途絶えるのと同様に途絶えた。

Luke Short's Western 誌の一八五四年十月号に掲載されたものらしい。まあとっくに亡くなっている人だし。
やっぱりスタージョンは難解。物語の波に乗れないんだよなあ……

 作家詳細:
 【シオドア・スタージョン(Theodore Sturgeon) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfs/sturgeon.htm)】


●p110 ブルース・スターリング「邪教の都」(小川隆訳)
紹介文:
白・黒双方の魔術が横溢する都市トリノ。現代の技術者とミイラ男がこの魔都を闊歩する!

紹介文が『デモンベイン』っぽい。バイオマンサーVSネクロマンサー。ニューロマンサーも呼んでこい!
正直スタージョンより難解で全体像が捉えられない。ただ、「おんもしれぇ!」という感想を抱くものより「わっかんねぇ!」って作品の方が、他人の感想とかを読みたいと思ったりするので、読後の行動は愉しかったりするんだが。
クライマックスがわけわかめ。「つまり…どういうコトだってばよ…?」どうしてサタンに対峙していた筈なのに主人公がサタンになるのか。サステナブル産業に移行するといういかにも天国に行けそうな人物(あくまでもサタン)に自己の存在を譲り渡すような誘惑の術中に嵌っちゃったとか、そういうコトなのか?〈万華鏡車輪眼〉的な。

 沽罪(シムニー):
 【シモニア - Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2)】
 
 作家詳細:
 【ブルース・スターリング(Bruce Sterling) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfs/sterling.htm)】


●p138 コニー・ウィリス「ポータルズ・ノンストップ」(大森望訳)
紹介文:
なんの変哲もないアメリカの片田舎ポータルズ。そこにやってきたバスツアーとは……

うむ、面白い。読後にニヤニヤします。ジャック・ウィリアムスン作品は一つも知らないけれど、思わず読みたくなる良い作品です。

 メモ:
 【ジャック・ウィリアムスン - Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%B3)】
 
 作家詳細:
 【コニー・ウィリス(Connie Willis) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfw/willis.htm)】


●p171 磯光雄インタビュウ
『Sync Future』と『グラン・ヴァカンス』繋がり。礒光雄さんは好きですが、このインタビューはどうでもいいです。スーパーアニメーターの無駄使い。


●p177 SF BOOK SCOPE
一七九ページ柏崎玲央奈の担当ページは書き出しは良いものの、紹介されてる本がラノベなので読む気は起きない。
一八一ページ林哲矢の担当ページは海外作家の作品。自身、やっぱり海外のものの方が多く読んでるだけあって惹かれるものがあります。『時の娘 ロマンティック時間SFとか傑作選』、『壊れやすいもの』、『メデューサとの出会い』はどれもそのうち読みたいと思っていた。『クリスタル・レイン』は迷っていたが、読むのは止めた。
一八二ページで三村美衣が紹介する『クシエルの矢』は既に注目していたし、特に目新しい本は見あたらないと思っていたら、一八三ページのホラー担当笹川吉晴が挙げている朱雀門出『今昔奇怪録』は良さそうな感じ。話の概略からするに普通にありがちな筋だが、その仕上げ方が気になる。
一八五ページのノンフィクション二冊、『妖術使いの物語』と『謎解き・人間行動の不思議――感覚・知覚からコミュニケーションまで』はおもしろそう。


●p190 朝松健「魔京」連載最終回
いきなり連載最終回を読むのもどうかと思ったのでスルー。


●p210 ラリイ・ニーヴン《ドラコ亭夜話》
紹介文:
今夜もわたしの酒場には、さまざまな種族が訪れ、さまざまな話をわたしにしていく。

紹介文のままのショートショート集。とても良い。

「文法のレッスン」
引用:
「笑ったりしてごめんなさい。だってあなた、“あなたの”と“わたしの”に、外的所有格(エクストリンシック)でなく内的所有格(イントリンシック)を使うんだもの。まるであなたのズボンがあなたの身体の一部で、わたしの椅子がわたしの身体の一部みたいにね。突然のことでびっくりしたのよ」

どんな正体不明の存在とも、コミュニケーションの基本は言葉によるものだから、言語の問題というのはSFでは重要なことだと思う。まあソラリスくらいわけわからん存在となると、基本フォーマットが違い過ぎて、会話が成り立たないんだが。
ここで言語とは何かということを考えた。虫だって会話をしているのかもしれない。異なる言語を使う人間同士のコミュニケーションの概念を拡張すれば、ほかの生物との(広い意味での)会話に繋がるだろう。声を出して喋るだけが、広い意味では発話ではないから、SETIが実際に行っているような他文明に向けた信号発信も会話の一種だと思える。これらの場合でも文法ではなくとも、文法的な一定のルールは存在するのだろうか。ここらへんはよくわからない。
うーん、やっぱり文法という一定のアルゴリズムを用いるのが、我々の理解が及ぶ範疇の会話なのだと思う。それ以外にな?と、単に信号とか、逆に理解不能な会話形式になりそう。点字や手話も、詳しくは知らないけれど、多分基本的なフォーマットは同じだよね。耳から入るなり、指先からなり、眼からなり、それが脳みその中でエンコードされてるという感じ……だと思うんだけど。
とか、ここまで言っても特に結論はない。

「その話題は打ち切り」
天国があることが立証され、そこに確実に行けるなら、生者はどう行動するのか。天国は名ばかりの天国ではなく、あらゆる意味で最高最上(この時点であらゆる意味的矛盾が生じている気がするが)と感じられる場所ならば、すぐにでも死にたくなるのは当然だろう。

「残虐で異常な話」
引用:
「ひどいPRでしたね。あれはわたしたちの流儀じゃない。ご存じないと思うけど、わたしたちの法律では、残酷で異常な罰は与えないことになってるんです」
「じゃ、残酷で異常な犯罪にどう対処するの?」
 わたしは肩をすくめた。
「残酷で異常な犯罪に対しては、残酷で異常な刑罰で報いなければね。あなたたち地球人には釣り合いの感覚ってものがないのよ。どう、リック? ウィスキー、もっと飲む?」

確かに、釣り合いの感覚は皆無とまでは言えないだろうけど脆弱だ。環境によってブレが生まれすぎる。だから本当は残酷で異常な犯罪に対して、残酷で異常な刑罰で報いたいけれど、それが実際に可能なほどに我々の社会は平等ではない。

「戦争映画」
人間ってのは子どもの頃から大して成長しねェなあとか思った。学校で先生が見ている前ではお互いに大人しくするけど、そういう監視者がいなくなれば基本的に好き放題。最低限の規律が守られているのは、互いに監視し合う社会性があるから。だからそういう枠組みから一歩突き抜けると、容易に規律を意に介さないようになる。

「現実の世界」
このラストのショートショートはユーモア溢れる内容。

 作家詳細:
 【ラリイ・ニーヴン(Larry Niven) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfn/niven.htm)】


●p228 新連載座談会 [新版]世界SF全集を編む

 現代日本SF界を代表するアンソロジスト大森望、中村融、山岸真による[新版]世界SF全集編集会議録みたいな内容。各人のSF感とかが垣間見られてなかなかに興味深いものでした。ぼくは今までにSFのアンソロジーは読んだことがなかったような気がする。ホラーなら『怪奇小説傑作集』とか経験があるんだけどね。だからアンソロジストというより、大御所訳者という感じ。ただし中村融だけはあんまり馴染がないかな。〈奇想コレクション〉の編者だけど、言われてわかるくらいだし。
 でもこの[新版]の内容をどうするかって話で、中村融が一巻に三人の作家を入れて、そのうち二つが文庫版からの再録で、ひとつだけ本邦初訳でいこうって言ってるのね。山岸真はそれに対して「それを目的に買うの!?(笑)」と突っ込んでいるけれど、中村融は「泣きながら買ってもらう(笑)」と言う。これは大抵の読者がムカつくのではないだろうか。いや、大抵の読者という味方はいなくていいけど、少なくともオレはムカついたのね。本は普段、余程の事情がなければ古本で買うか図書館で借りるかで、本誌も図書館で借りたんだけど、それでも「少なくとも新品では買わない。買いたくねぇ」とか思った。こういうセコいアンソロを出すなら普通に未訳本を出すなり、絶版本を再版して欲しいよな、常識的に考えて。


●p240 名作SF再録 フィリップ・K・ディック「凍った旅」(浅倉久志訳)
紹介文:
予期せぬ事態で冷凍睡眠から覚醒させられた男は、不完全な状態で旅を続けることになったが……

 この話は初めて読んだけど、いつものディックって感じだ。沢山の絶望の後に僅かな希望。だけど、希望について多くは語らない。

 作家詳細:
 【フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfd/dick.htm)】


●p254 名作SF再録 カート・ヴォネガット「明日も明日もその明日も」(浅倉久志訳)
紹介文:
仲睦まじいルウ(百十二歳)とエム(九十三歳)の夫婦。そんな二人にも悩みがあって……

 ヴォネガットはあいかわらずどこを楽しめばいいのかわからんなあ。

 作家詳細:
 【カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfv/vonnegut.htm)】


●p266 名作SF再録 R・A・ラファティ「昔には帰れない」(伊藤典夫訳)
紹介文:
ムーン・ホイッスルは、ふさわしい者がふさわしい場所で吹かなければならない。

 ラファティ初読み。なのでじっくり読んだ。たぶんSFを読んだことがない人には「こんなのもSFなの?」と言われそうな、不思議なビジョンの作品。つか、ファンタジーだと思うのね、これは。少なくとも<プラチナ・ファンタジイ>。トラックの屋根から登れるくらいの超低空を浮かぶ直径百ヤードほどの巨岩が、月――まいご月/ホワイトカウ・タウン――と呼ばれている。しかもそこの下側にはヤギやアヒルがいて、月自身の重力に囚われているから(?)、さかさまに立っていても落っこちやしない。自転はしないらしく、その月の上側に数世帯が暮らしている。よくわからないけれど、人間だけは月の重力には殆ど捕捉されず、その下の地球の重力に影響される。そして仕事の為に毎日、地球に降りてくる。……説明だけで、感想とかは特にありません。

 作家詳細:
 【R・A・ラファティ(R. A. Lafferty) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfl/lafferty.htm)】


●p280 名作SF再録 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「いっしょに生きよう」(伊藤典夫訳)
紹介文:
わたしは力をのばしてみた。その生き物をもっと知るために――八八年発表、後期の傑作中篇

ティプトリーの画く寄生生命体物語は暖かで良い。「たった一つの冴えたやり方」よりも好きだ。

テレパシーを防ぐ為に強迫唄(カコネモニックス)を使うくだりでは、『分解された男』を思い出していたら、直後にそれから引用があった。やっぱりなあ。ここでは、ぼくが覚えていた創元SF文庫版の沼沢訳ではなく、ハヤカワ・SF・シリーズの伊藤訳だから、あの“いわくテンソル”ではなく
“緊張、変徴、乱調のはじまりや”とある。

 作家詳細:
 【ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(James Tiptree, Jr.) (http://homepage1.nifty.com/ta/sft/tiptree.htm)】


●p304 名作SF再録 ウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニイ」(黒丸尚訳)
紹介文:
ぼくは散弾銃をアディダス・バッグに入れて歩き出した――サイバーパンクの記念碑的作品

ちょいと前に『クローム襲撃』を読んだので、そこに収録されていたこれはスルー。

 作家詳細:
 【ウイリアム・ギブスン(William Gibson) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfg/gibson.htm)】


●p328 鹿野司「サはサイエンスのサ」

第一七七回目の連載というのを見て、たしかに古本で買った十年前の〈S-Fマガジン〉にも載っていて、しかもその時から面白かったなあと思った。SFあんまり関係ないけど、良いものは良い。


●p330 金子隆一「センス・オブ・リアリティ」

のっけから“変態という現象には、昔からずいぶん惹かれるものを感じている。”とあってびっくりするが、生物学的な意味ってことだからな!
最初は昆虫が幼虫から成虫までの間に、水生から陸生に変態することが書かれている。後半は恐竜の話で、ドラコレックスがパキケファロサウルスの亜生態でこの変化はすげぇ、超楽しい!みたいな文章。それだけなんだけど、共感するよね。やっぱり、こういう「面白いよ!」と力強く伝えてくれる文章は好きだ。あー、でも個人的には恐竜は好きだけど信じられない種も結構あったり。で、その信じられないものの中に、このドラコレックス→パキケファロサウルスの成長過程も含まれているんだよね。まあ、恐竜の研究なんてまだまだこれからと言われている分野ですので、先を楽しみにしていましょうか。

 ドラコレックス:
 【特集:奇妙な恐竜たち 2007年12月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP (http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0712/feature01/gallery/12.shtml)】


●p348 深山めい MAGAZINE REVIEW 〈アシモフ〉誌 《2009.6~2009.9》

 面白そうなのが多くて良いですなあ。六月号はあまりそそられないか。七月号掲載のキット・リード「恐怖のキャンプ場」(“Camp Nowhere”)と八月号掲載のメアリー・ロビネット・コワルの「意識の問題」(“The Consciousness Problem”)と、九月号掲載のマイク・レズニックとレズリー・ロビンの共作「ソウルメイト」(“Soulmate”)が読みたいと思った。
 こうして色々なものの中から読みたいと思った作品を取り上げていくと、自分の好みとかがある程度形式化されるのかもしれない。「恐怖のキャンプ場」はホラーっぽさがなんとなく面白そうという理由で上に挙げたから、ここでは触れないでおいて、とりあえず「意識の問題」と「ソウルメイト」のことだけを考えてみた。「意識の問題」ではクローンが登場するし、「ソウルメイト」ではロボットがそれぞれ出てくるが、主役はあくまで人間っぽい。クローンものなんて言わずもがな。ロボットものは大して好きじゃないけれど、これは疲れ果てた中年男性がロボットと出会うことによって、自己を掘り下げることになるのではないかと予想される。SFは自然-宇宙の神秘性に焦点を当てることが少なくないけれど、どちらかというとこういう、人間の持つ解明されない神秘性というところが自分は好きなんだろう。


●p354 アレステア・レナルズ「フューリー」(中原尚哉訳)
紹介文:
銀河帝国を統べる皇帝が狙撃された。背後の謎を探るべく、遙かな星域へ旅に出た私は……

 アレステア・レナルズ……すみません、どなたですか?とか思ったが、『啓示空間』とか『量子真空』のお人だと調べてわかった。『啓示空間』もそのうち読んでおかないと、と思っているんだけど余裕ないんだよなー……ニュー・スペース・オペラの旗手として、チャールズ・ストロスと並んで紹介されていたりするけれど、実際の知名度はストロスが昨今伸びて、このレナルズは半ば忘れられかけているような気がしないでもない。
 これも紹介文から察することができるようにスペオペにカテゴライズできる。“銀河帝国”を統べる“皇帝”とあるように、少し古くさいようにも感じられる世界観だ。皇帝とその側近の物語。話の筋も、SFでなくてはならないというようなものには感じられず、特にめちゃくちゃすごいというわけではないが、それなりに読ませてくれる。皇帝と主人公の信頼関係や、主人公の出自の謎など、ベタながら引き込まれる要素が織り込まれている娯楽作。
 一応、モラルフェーブルとしても読めるか。『インサイドマン』という映画を思い出した。

 作家詳細:
 【アレステア・レナルズ(Alastair Reynolds) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfr/reynolda.htm)】


●p379 ジョン・スコルジー「ウィケッドの物語」(内田昌之訳)
紹介文:
宇宙空間で戦闘を繰り広げてきた戦艦〈ウィケッド〉に、突如思いもよらぬ異常が発生し……

 『老人と宇宙』の著者。本号一の読み易さかと思われる。ベテラン勢よりも率直・端的に内容を伝える文章で、少し修飾が足りないと思われるかもしれないが、別に嫌いじゃない。話自体も純粋に面白い作品だと感じたし、なかなか良いのではないだろうか。まあ、強めの酒を連続で飲んでいる時のインターバル的な作品ではあるが。自由意志を持ったAIについて本気で考え出すと、色々と面倒な哲学的内容を含み出すんだけれど、そういう難しいことを考えるような内容ではない。
 敢て突っ込んだことを考えてみると、このように高等意識を持った存在が、なぜ一定の規範を求めたのかということかな。イーガン作品では問答無用に造物主たる人間の手を離れていくのだが、〈ウィケッド〉はそうしなかった。カントや合理主義では、人間には善悪を区別する能力――道徳律とか道徳法則とかいうもの――が前経験的に備わっているという。カント後に誰がそれに反撥したのかは忘れたけど、今では環境が倫理感を生み出すという考えにぼくらは自然と納得していて、いかにもそれが正しいように思える。この経験的な考えを適用させると、〈ウィケッド〉は戦艦で、軍隊の中にいたという事実が重要な点になる。軍隊の中の規律に、意識が明確に発現する以前から馴染んでいたのならば、それまでの自分の行動様式から反した存在になるよりは、自己にルールを科してでも自己像を堅固なものにするという選択をしたのかもしれない。

 作家詳細:
 【ジョン・スコルジー(John Scalzi) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfs/scalzi.htm)】


●p400 パオロ・バチガルピ「第六ポンプ」(中原尚哉訳)
紹介文:
環境汚染が進行したニューヨークでは、今日も下水処理用のポンプが故障してしまい……。

 パオロ・バチガルピ……誰!?邦訳本は刊行されていないようで、今までに何度か〈S-Fマガジン〉に掲載されただけの作家みたい。レナルズとスコルジーから一転して、環境汚染で破滅に向かう世界を描いた作品。若手の技巧派という印象。ポール・J・マーコリイやこのバチガルピという、暗いけれど鋭い話を書けるような作家がもっと日本でも人気が出て欲しい。少なくとも本誌に載っている作品に限っては、イーガンを超えてると思う。スコルジーとかは極端な言い方だが、ライトノベルの一形態という程度にしか思えなかったし。
 本誌一六二ページの連載評論 中野善夫「黄金の薄明かりの向こうへ 第一回 理想郷への帰還と未知の世界への旅立ち」では、熱力学第二法則に対する無力感と恐怖をSFは常に秘めており、例えばそれを表した作品が本誌のテッド・チャン「息吹」であると書かれている。しかし熱力学第二法則による宇宙的死よりも、人類という種が自らの生存環境を維持できなくなり、どん詰まりのままに衰退していくというこの作品の方が圧倒的な無力感と恐怖を感じさせる。今のところの人間の知性や技術は時代に合わせて進歩しているように思えるけれど、もしかしたらこれからはそう上手くいかなくなるかもしれない。そういう大局的視点で捉えなくても、個人の能力は歳を経て衰退しがちだし、明日にでも事故に遭って幾分か能力を失うかもしれない。卑近なところでは、一人暮らしを始めると実家飯の美味さを実感するアレで、簡単に得られるうちはその尊さに気付くのは難しい。ゲーテも、時よ止まれ、お前はナントヤラと書いていた。

 作者詳細:
 【パオロ・バチガルピ(Paolo Bacigalupi) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfb/bacigalu.htm)】
 【Paolo Bacigalupi - Wikipedia, the free encyclopedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Paolo_Bacigalupi)】


●p426 ダン・シモンズ「炎のミューズ」(酒井昭伸訳)
紹介文:
惑星を巡業中の劇団は、人類を統べる種族の前で演劇を披露するよう命を受けたが……

 巻末にダン・シモンズを持ってくるとは良い意味で卑怯な構成だと思う。実はシモンズ初読みですが、一応SF読者としてその名は知っているので期待大なわけだったし、実際に面白かった。<ハイペリオン>シリーズは読んでおかなければなあ。
 人類を支配する種族の名はアルコーン。その上にポイメン、デミウルゴス、アブラクサスと連なる……アルコーンが使うロボットもカペイロスだし、そっち系の名称どころか、宇宙観もそっち系。惜しむべくは、グノーシス主義については殆ど知識がなく、シェイクスピアについては全く知識がなかったことか。解説にあるようにかなり雰囲気で愉しめたが。もしかして『イリアム』と『オリュンポス』もギリシア神話がわからないと辛かったりするのだろうか。
 内容はまさにシメに相応しい。しかしどうすればいいのかわからん。良い意味で。巻頭のテッド・チャンも感想がなくなってしまうタイプの作家だけど、シモンズもなくなるな。チャンのはまだしも、この「炎のミューズ」はよくわからん面白さなのだから。登場人物たちの如く、読んでいてもガリガリ体力を減らされるが、常に興奮状態は続く。しかも他の作品のように単なる思考問題に取り組むようなオハナシではなく……うまく言えねぇ……

 作家詳細:
 【ダン・シモンズ(Dan Simmons) (http://homepage1.nifty.com/ta/sfs/simmons.htm)】


●p503 SFマガジン年表
一九五四年の「星雲」創刊から、SF界やらの出来事を記した年表。松岡正剛が『多読術』で言っていた年表ノートが作りたくなったなあ。こういう年表あったら楽しいだろうし、今ならデジタルで簡単に作れるだろうし……