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2010年1月31日日曜日

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(浅倉久志訳)


 冒頭から『輝くもの天より墜ち』が出てきた(九ページ)。あれの方が後に書かれたものだと思っていたけど、調べてみたら邦訳が出たのが最近なだけで、実際は『たったひとつの冴えたやりかた』(The Starry Rift)の前の『Byte Beautiful』の更に前に出版されたものだった。どうやら世界観を共有しているらしく、『輝くもの天より墜ち』は『たったひとつの冴えたやりかた』以前の歴史を語るものらしい。この前古本屋で安く買えたので今度読もう。
 書き出しはホラー小説とかによくある手法。これはある人物から聞いた話だ……というアレのSF版。“ヒューマンの幼い女性が自分で口述した実在のテープから採集されている”というもので、大筋は学生が勉強の為に図書館に行って、司書の人から順番に計三本の過去の記録を貸してもらう。その一本ずつが中編になっている。あ、ちなみに学生も司書もエイリアンで、人間は中編の中にのみ登場する。もうエイリアンと人間が大きな共同体として一体になっている宇宙時代の話。彼らのやりとりは中編の前後にインタールードとして画かれる。
 司書から貸りた資料の最初のものが「たったひとつの冴えたやりかた」というタイトルの中編になっている。これは宇宙開拓時代の英雄たちに憧れ、自分も冒険に出ようと、スペース・クーペに乗って新天地を目指す少女コーティーと、彼女に寄生した極微エイリアンのファースト・コンタクトもの。SFを普段読まない人は宇宙の冒険とか、宇宙艦隊とかを想像するように、これもいわゆる非SF読者から見た典型的なSFだろうか。実際こういうの少ないけどね。コーティーとエイリアンはお約束のように簡単に仲良くなり、二人は行方不明になった人類の先発探索隊を捜し出そうとするが……というもの。
 つづいて「グッドナイト、スイートハーツ」。『たったひとつの冴えたやりかた』は『夏への扉』と並んで女性によく勧められるSFらしいが、この中編があるからこそ推奨作として挙がるのだろう。といってもぼくは両方とも女性に勧めるどころか他人に勧められるものではないと思うけど。こんなに古いものをオススメのSFとして挙げるなんて、「いつの時代の人ですの!?」(CV:新井里美 『とある科学の超電磁砲』ネタ)って感じ。方程式ものと言われるのもこの中編。宙族が襲ってきて、逃げ出すために船外活動のスーツが必要だけれど人数分ない、というもの。もっともその選択肢はクライマックスで登場して、劇を盛り上げる為に存在するので、この方程式が物語を支配するというわけではない。どちらかというと冷凍睡眠による生化学的反応の停止で、普通に生活する人間よりも若いままの状態でいる主人公が昔の思い人や、その孫クローンと偶然出会ったりして思い悩むという方が前面に出ていた。
 最後は「衝突」。タイトルは異種族感の相互無理解による衝突という意味。本書に収録されている話はどれも連邦基地九〇〇とその周辺を舞台にしていて、これは人類が殖民した場所でも辺境にあたる部分にあり、そのむこうは〈北部大星溝(グレート・ノース・リフト)〉、あるいは単純に〈リフト〉と呼ばれる星のない空間がある。詳しくは書かれてないけど、ヴォイド的な空間だろうか。そのために原題も『The Starry Rift』とされている。ともかくその〈リフト〉の彼方へ、冷凍睡眠技術を用いて長い時間を若いままで生きながら調査する宇宙船は異種文明圏の母星を発見した。しかし人類のイリーガルな追放者たちがその異星人たちを一部の星で隷属化していて、彼らは連邦の調査員たちに良い感情を抱かず、コンタクトは困難を極めるというもの。そこまではいいんだけど、異種文明の宇宙船を一見しただけで停泊灯が点っているのや惑星破壊ミサイルを調査員が見るだけでわかったり、言語コミュニケーションがかなり楽に進んだり、異種知性体という感じがせず、異民族的な印象を受けた。ファースト・コンタクトものとしてこういうのはあまり面白いとは思わないし、同じファースト・コンタクトものだった「たったひとつの冴えたやりかた」の方がまったく違う生態の生命同士のやり取りということで魅力的。
 全体的に古臭さと安っぽさを感じた。各中編も読み進めていけば一つの大きな物語になるのかと思ったがそういうものでもなく、がっかり。しかし挿絵が付いていたのには驚かされた。ハヤカワSFでははじめての経験。特にコーティーが可愛らしく描かれている。ボーニイとコーの補給船を探索する時の絵は、スペースクーペのスタイリングが、なんというか……独創的?とか、他にも宇宙服もなんかスゴいな、というか肩からマニュピレーターが付いてるんだ……とか色々思ったりもしたけど、基本的にこういう古い感じの絵で少女漫画風ってのは好きなので挿絵自体はけっこうたのしめた。

2010年1月29日金曜日

うえお久光『紫色のクオリア』


 ラノベ版イーガンと少し前に話題になっていたのがこの作品。流石に話題になるだけあって面白い。内容は言ってしまえば普通の量子論SF。イーガンの『宇宙消失』や『万物理論』とかぶりまくる。死んでしまった親友の毬井ゆかり――まりぃ――が助かる分岐宇宙を探すために、波濤マナブ――ガクちゃん――が時空を駆ける。
 『紫色のクオリア』のタイトル通り、紫色の瞳のまりぃが見る世界は人がロボットに見えるというもの。しかし主観宇宙ものっぽく、まりぃがそう認識するものは物理的にロボットとしての性質も持つ。ある事件によって瀕死の重傷を負ったガクちゃんはまりぃにロボットとして修理される。ただしガクちゃんや他の人間にとってはやはりガクちゃんは純粋な人間で、機械的な物質によって構成されているわけではなかった。もうこれ、クオリアとかじゃなくて、明らかに状況によってガクちゃんら普通の人間の此方宇宙とまりぃの彼方宇宙に別れてる。その事実を受け容れたガクちゃんは干渉性を失ったエヴェレット分岐した宇宙に干渉できるようになる。つまり宇宙の線形分解と、選択された固有状態の位相変異および優先的強化ができるようになっちゃって、選択されなかった分岐宇宙に対しての干渉性を保って記憶も共有化できる。しかも時間次元的にも制約を受けることはなくなり、過去にも遡行できるし、遺伝情報を前後に辿って他人として存在できるようになる。〈アンサンブル〉(『宇宙消失』に登場するガジェットで、蓋然性の低い選択宇宙に優位性を与える神経インプラント)も〈基石〉(『万物理論』に登場する概念で、めちゃくちゃ簡単に説明すると人間原理の中心人物)もお手の物で、最終的に物理理論が異なる宇宙(作中では宇宙を根本から作り直すみたいな描写だけど、実際は物理情報が異なる宇宙ってだけな気がする)を作り出す。こうまでしなきゃまりぃはどの分岐宇宙でも死んでしまっていたのだ。流石に宇宙を侵蝕する認識の持ち主だけあって、アーカーシャクロニクル/アカシックレコードから排除を徹底されてるなぁとか思った。こう書くとガクちゃんのすごさだけが目立つけど、主観物理系を此方宇宙に苦もなく干渉させるまりぃも、数学をゲシュタルトとして理解しちゃう上に、TOEを提唱しちゃうアリスという少女もスゴイ。チートしすぎというか、この宇宙バグありすぎ。デバッグ中の宇宙だったけど、バグにも人権があるんじゃー!と乗っ取ってしまったガクちゃんでありました。
 結局のところは助けられるとしても分岐宇宙の一つでしかないので、数多のバッドエンド的宇宙が存在してしまうのだが、それを〈クァスプ〉(イーガンの「ひとりっ子」に登場するガジェットで、コヒレンス阻害能力があるため〈クァスプ〉を搭載するアンドロイドは絶対的な選択能力がある)のようなものでデコヒレンスする必要があると思うし、デコヒレンスしても消失した分岐宇宙があったという悲しみがある。これは『宇宙消失』で主人公がすごく悩んでいた問題だけれど、この小説ではあまり触れられていない。選択の無慈悲さやガジェットによる人間性の在り方(機械的に働く肉体の再認識だと思う)というのがイーガンの小説では問われるが、そういうものをあまり感じさせず(だってラノベだしね)、とにかく主観的に一つの分岐宇宙でいいから望みに近いバージョンを発見したいという流れ。外見上はイーガンの小説と似ているが、構成要素がまったく違うので、特定タイトルを挙げるならまだしも、イーガンに近いというのはまた違うのではないだろうか。
 既存のSFが踏み固めた道であったとしても、それをマイクロカーとかクーペで駆け抜けた爽快感がある小説。もちろんサッと駆け抜けすぎて脇道の発見とかは見られなかったんだけれど、これはこれで良さがあった。うえお久光の作品は他のものも読んでみたいと思った。

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(宇野利泰訳)


 ブラッドベリの本ははじめて読んだが、これはあまりSFという感じではなかった。舞台は本の所持を禁じられたとある国で、普通の住宅に壁面モニターがあったり、機械シェパードがあったりもするけど、昔の人が考えた未来都市みたいな感じで、逆に古臭さが漂う。酒、煙草、薬物がいくら社会で禁止されようと裏社会で出回るように、本が社会的に禁止されようと、なんとか手に入れようとする人間もいる。主人公は不法に所持された本を見つけ出し、それを焼いていく焚書官の男。この主人公が仕事を進める間に、いつの間にか自らも本をもつようになってしまって、指名手配されるというもの。物語そのものや設定はおもしろいとおもわなかったが、クライマックスで他国との戦争になったときに街が爆撃されるときの描写は文章的に綺麗だと思った。
 過去に書かれたものでありながらも、先の時代を見抜いていたとして評価されているが……そりゃ都合よく解釈しすぎだと思う。小説、音楽、芸術、舞台、映画、言論等々、これらはいつの時代もいわれのない弾圧を受けるものだ。たまたま現在の規制状況と似ているところがあるからといって先進的だと言えるだろうか。また、出版業界の低迷と言われている今だからこそ、この小説にある本の貴重さというものを味わうべきだと言う意見もあったが、いやいやこれも自分に都合よく利用してるだけだし。なんというか徹底的に利用される可哀相な作品だと思った。たしかにぼくもイーガンの小説で語られる人間の問題というものを味わい深いと思って読んでいるが、あくまでフィクション。この小説で書籍の重要性を軽んじることへの警句とするのはどうかと思う。そもそも小説内ではインターネット技術が存在せず、真の情報=本という形式で画かれていた。一応ラジオやテレビといったものはあるが、データが至る所から発信され蓄積されるという現在の情報氾濫時代とはまったく状況が違う。それでも尚、現代の状況は小説で書かれた社会の姿と似ていると言うなら、それは本という巨視的な形状に惑わされているのではないか。本質というのはそこにある情報であって、電子書籍も、ウェブサイトの内容も、オーディオブックも、もっと言えば元の姿から形を変えた訳本だって元のものとほぼ同等の価値がある。さらに一九五〇年当時(本書刊行は五三年)ブラッドベリが住むアメリカで赤狩りなどを行ったマッカーシズムという運動があり、この社会情勢に大して抗議する意味で書かれたものがこの小説だとも言われているが、wikipediaによれば”この作品で描いたのは国家の検閲ではなく、テレビによる文化の破壊”とブラッドベリはインタビューで自ら語っている。大きな目で見ると、書籍文化の破壊ということで似ているが、やはり外圧的な文化の破壊と内圧的な文化の進化というものは別物だ。だからといって、個々人がどう印象を受けようとぼくが知ったことではないが、著者の意図しないプロパガンダに無意識に利用してしまうという事態をぼくは避けたい。

2010年1月28日木曜日

リチャード・W・サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳)


 サイードの著書を読むのは二度目になる。一度目はもちろん『オリエンタリズム』。今回も驚くような社会論ではなく、「ま、そりゃそーだろうな……」と思うことが書いてあった。知識人のありかたを見つめ直すといった内容のイギリスのBBCで放送されたリース講演全六回を一冊の本にまとめたものがこの本。
 主旨は要約すると、知識人は特定の団体に寄り添わず、利益に左右されない第三者的立場を取るべき、というもの。一種のマッチョ論っぽい。この論を構成する過程で祖国喪失者――亡命者という概念が登場し、知識人はその亡命者たるべきと述べる。あるいは非プロフェッショナルのアマチュアこそが知識人たるべきだと。亡命者だとかアマチュアだとかできれば忌避したいポジションを推奨しているけど、これも要するに概念上のもので実際にそうである必要はなく、要するにどこかの集団が持つ既成の考え方に囚われない、自立した考え方を持ち、発言も他人に影響されないようにしたいということ。
 正直一〇ページなくても主旨は書ききれる内容。ぼくは人文科学の本を読むと大抵もっと簡単にまとめやがれ、こんちくしょうと思ってしまうが、今回の本もまさにそれだった。このジャンルの本って、反論に対する反論ですごく長い注釈が付いていたり、わかりにくい専門用語を作って(ラカンとか!)身内だけの共通語で語ってばかりな気がする。なんだかそろそろ論者本人の書いたものは読まなくていいような気がしてきた。読んでいて繰り返し同じ内容が出てくるのは仕方ないとわかっていても辛いものが。エンタメじゃないんだから仕方ないんだけど、話を無駄にややこしくしている印象は否めない。
 主張されている内容はそこそこに同意。実際の生活もあるから、全てを投げ捨ててサイード流知識人になれというのは酷だと思う。この知識人論に対する反論としては「サイードは安全なアメリカで地位の確立した人物だからそんな無茶が言える」というもの。いやはや、これはまったくだが、それを言っても仕方ないような気も。正直、ぼくにはこの知識人論ってヤツはあんまり内容があるものだとは思えなかった。イーガンの小説で人々が抱える問題の方がグッサリ刺さる。
 ただひとつ印象的だったのはこの本の原題『Representation of the Intellectual』にある〈Representations〉という言葉。訳者は多義性を持つこの言葉ゆえに、書名に悩んだらしい。二〇三ページの訳者あとがきから引用すると、
〈レプリゼンテーションズ〉を、知識人のもつイメージ/表象と考えると〈知識人の表象〉でいいかもしれないが、〈レプリゼンテーション〉には、代弁とか代理さらに主張や表現という意味もあって、〈知識人の代弁/主張〉と考えることもできる。また「知識人の」という場合、知識人を表象したり代弁したりするとも、あるいは知識人が表象したり代弁したりするとも、両方にとられてしまう……。本書で「知識人とは何か」を標題として採用したのは、知識人とは何か(知識人の表象)と、知識人が代弁し主張することとは同じであるという前提に立ったからである。この邦題は、次善の策かもしれない。だが本書の内容を裏切ることはないと確信している。

 表象(うわー、人文科学っぽい表現)というものが代弁の意味も持ち合わせるのは当然なように思えるが、なんとなく言いたいことはわかる。それよりもぼくが気になったのはこの〈Representations〉の持つ多義性が、物事を考える上で役立つ道具ではないかということだ。ちなみにこの単語は英辞郎によると
{名-1} : 描写{びょうしゃ}、表示{ひょうじ}、表現{ひょうげん}

{名-2} : 説明{せつめい}
The representation to our customers was not satisfactory. 顧客への説明は、満足のいくものではなかった。

{名-3} : 代表(者){だいひょう(しゃ)}
Ideally, the electorate should be a good representation of the population. 理想をいえば、選挙民は全市民の的確な代表でなければならない。

{名-4} : 選挙制度{せんきょ せいど}◆【参考】proportional representation(比例代表制)

{名-5} : 上演{じょうえん}、演出{えんしゅつ}

{名-6} : 肖像{しょうぞう}、絵画{かいが}

{名-7} : 代理{だいり}

{名-8} : 《分子生物》発現量{はつげん りょう}

{解説} : 動詞 represent(代表する)から派生した名詞。cross-section よりも知性を感じさせる語だ。ちなみに represent から派生したもう一つの名詞 representative は「代理人」「国会議員」のこと。
とのこと。だから特定のものが「どういったものか」ということを考える上でとても役立つ。何ならこの日本語化された名詞表現ひとつずつを列挙していっても、そのものの性質がかなり明らかになるのではないかと思う。

2010年1月22日金曜日

移動手段復活。ランシューと自転車の鍵を購入

 自転車の鍵が壊れ、靴も長時間・長距離の移動に適したものがなく(電車?乗らん乗らん!)、自発的幽閉状態……つまりヒキコモリになりそうだったのでさっさとネット通販で鍵とランニングシューズを買った。ランニングシューズさえあれば、新宿(のとらのあな)まで三〇分とせずに着けるのは都心の強みだなあ。

 この靴はアディゼロ ボストン。割とビギナージョガー向きらしいのだけど、アディゼロ テンポみたいなフォーモーション(ヒールに深い切り込みがある形状で衝撃分散……だっけ?〈ランニングシューズ2「アディダス」 - [ジョギング・マラソン]All About〉を参考)はない。しかし軽さ、クッション、安定性はほどよく思えて、ほとんど初心者みたいなぼくでも普通にいい感じに走れた。テンポの反発もいい感じらしいので気になるが、ボストンは少しだけ価格が安いのもいい。これは送料込みで六〇〇〇円くらいだったけど、たとえばナイキの新作を買うとするとこの二倍はかかってしまう。ナイキのランシューは見た目はカッコイイんだけども、なかなか安く手に入らない。ついでに言うと一番カッコイイものはフリーというシリーズだが、これは裸足感覚が売り(〈裸足感覚のランニングシューズ『ナイキ・フリー』 | WIRED VISION〉)ということなので、これでトレーニングして脚を痛めたという話を多々聞いて恐ろしくて手が出ない。店員にフリーを指して唐突に「フリーってやっぱりヤバいですか?」と聞いたら意味が通じるくらいヤバい。あと新作のルナ スウィフト+のインナーソールはぼくの扁平足気味の足裏には合わなかった。プーマのランシューもカッコいいんだけど、あんまり走れるイメージがない。個人的にプーマの靴は運動しないときに履くものといった思い込みもあるし。けれどカジュアルシューズとして見たときにはアディダス、ナイキ、プーマのビッグスリーの中では一番スタイリングに気合いが入っているのがプーマだと思う。昔は96HOURSというプーマのブランドがあって、ちょいお高めだったんだけれど最高に格好良かった。

 かろうじてネットで写真を発見。これは欲しかったけれど、もう売ってないだろうなあ。

 シューズが来た翌日に届いたYPKのcafe2.0というやつ。写真の緑の方。黒いのはYPK klepto 2.0というcafeの八ミリよりも四ミリ太い一二ミリのものだが、もう少し軽いヤツがほしい(かもしれない)と思って少し細いのを買ってみた。まあ自転車を窃盗されるときはきっと八ミリだろうが、一二ミリだろうが持っていかれるだろうし、だいたいぼくが使ってるGIANTのEscape R3というモデルは大して高いものでもないからきっと狙われないだろう。あとkleptoはこんなカラーがないしね。メッセンジャーバッグの黄色と少し似たライムグリーンだけど、自転車のフレームのワインレッドとは合うと思った。kleptoの方は一見問題ないように見えるけれど、シリンダーの内側と外側のカバーがお互いに勝手に動いてしまって使い物にならない。kleptoでは一本しか付いていなかったマジックテープが二本付いてきたが、これはkleptoを使っている時にもすぐ切れてしまったし、そもそも使っていなかったのでまったく必要なかったりする。むしろ邪魔ってくらい。どうでもいいついでに言うと、ラベルもkleptoのものよりお洒落。説明書とか入ってたし。うーん、必要だろうか?シリンダー部の機構が微妙に違っていたりして少し戸惑ったけど、これはすぐに慣れるはず。ユーザの声を聞くと、車体取付用のブラケットが付属していないので、走るときにわざわざ鞄の中に入れるのとかがメンドイってのがあるらしい。で、別売りブラケットを買う人もいるらしいけど、ぼくは丸めてメッセンジャーバッグのサブのベルトに通している。昔使っていたスペシャライズドのワイヤー錠は変な巻癖が付いていて上手くまとめられなかったので、こうやって持ち運べなかった。こういう巻癖が付いていないのがYPKの鍵の一番いいところだと思う。

2010年1月19日火曜日

グレッグ・イーガン『万物理論』(山岸真訳)


 これで、グレッグ・イーガンの邦訳単行本の過半数を読み終えたことになった。残すは短編集第一弾の『祈りの海』、奇想コレクションの『TAP』、超難解SFと名高い長編『ディアスポラ』。とりあえず『ディアスポラ』はあとに回しておきたいかも……とやや及び腰(もっとも、すべては古本の神の御心次第)。しかしどうせ少し勉強したくらいではそのの難解さに正面から太刀打ちできないであろうことは予想できる。せいぜい参考書を見つけておいて一読するくらいか。短編集第三弾『ひとりっ子』に収録されていた「百鬼夜行」で挙げられていたダニエル・デネット『解明される意識』、マーヴィン・ミンスキー『心の社会』(いわゆる認知科学か)や、巻末に書かれていると思われる参考書群に目を通しておきたい。立ち読みでパラパラっと見ただけなので正確タイトルは忘れたけど、数字の複雑性なんちゃらとかいうのと、ブラックホールうんちゃらとかいう書籍も参考文献として挙がっていたような。
 『宇宙消失』と『万物理論』を殆ど間を置かずに読んだ身としてはイーガンの長編は短編よりもずっと信頼をおけると思った。それともぼくが短編より長編を好むという性質が明らかになってきたのか。主人公に感情移入でき、さらにイーガンがナノテクガジェットを用いた短編でも扱っているヒューマニティというか、それを構成するウルトラ・ダーウィニズムに関するあれやこれも、大ネタと綿密に絡んで読者へ叩きつけられるので真剣に考えることが多々ある。感情移入はともかく、他の小説でここまで自分の生について思い馳せさせるものはナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』くらい。あれは無眠人(スリープレス)が睡眠薬を飲むシーンがとても印象的で、死ぬこととはつまりこういうことではないかと(つまり死と眠りは似ているのではないかと)、読んでいる時は考えなかったのだけれど、読んだ後しばらくして明白なヴィジョンとして掴めたような気がしている。イーガンもクレスもわかりやすい作家ではないと思うし、イーガン長編は読みにくいという声もあるけれど、たぶん、だからこそ何かを掴めるという面はあるのだろう。チープな感動とかよりも、倫理観糞くらえでガッツンガッツン掘り下げていったときに見つかるものがあるのだと思う。
 本編はいわゆる「いつものイーガン」と言ってしまっていいはず。宇宙論と人間論とサスペンス……とガジェットの太文字。巻末解説によると、イーガンは自身で本書を『宇宙消失』、『順列都市』に続いて“主観的宇宙もの”と呼んでいるらしい。とてもわかりやすいネーミングだ。読者を徹底的にフィルタリングするタイトル通り、TOEを扱った物語で、量子論も超弦理論も名前は出てこないが、「読者諸氏はもうおわかりだろう。説明は飛ばす!」と言わんばかりに当然のごとく十次元ウンヌン、ビッグバンの特異点ウンヌン、プレ宇宙ウンヌンが話題に出て、更に「イットはビット」とか言い出しちゃう。もちろん深いところまでわかってなくても一応は読めるのだが(ぼく自身がソース)、それらの言葉に馴染みがないと置き去り感を味わうと思う。だからこそフィルタリングしてるんだけども。途中、人間原理と数理論理学とデジタル物理が混じったようなのが出てきて『ハルヒ』かよと思わずにはいられないが、自身を説明することによって、その説明の正しさが実際の正しさになると言われて事態は混迷。情報と物理は実際上は結びつかないはずだけれど(ミクロスケールで見た物質のはたらきが不確定であっても、地面は固いまま……というのはアナロジーだろうか?数学的にはミクロでは不確定であってもマクロではほぼ確定するのが当然であるのかも)、そんなの思い込みだし(たしかにそうだ!)、情報系のビッグクランチ(→物理系に遡行して影響を与える……このへんはぶっちゃけ理解も中途半端だし説明も厳しい)が起きそうでヤヴァい!物理学者は宇宙を作り出す=説明という自覚がないままに喋るなお!というカルト集団と、いやいや、ソレはねーだろ、常識的に考えて……とあくまで冷静にかまえた(ように見える)理論物理学者の闘争……になるのかと思いきや、そんな単純な話ではなかった。これらが話されるのは第二部より後になるのだが、第一部で話された内容――正体不明の疫病が爆発的に罹患者を増やしている(ように見える)ことや、自閉症の原因はラマント野という脳の部位が欠けているという説明(八九ページ)――が、長編の支柱になってる大ネタの宇宙論と絡み合う。長編という大樹を構成するように、アイデンティティ問題、政治的問題を絡みつかせて読み応えがあるものになっている。特に政治的問題が大きく前面に出てたのも『万物理論』の特色だと思う。
 全四部構成になっていて、時間経過と主人公の在り方は割と普通小説っぽい進行。主人公が強制的にナノマシンを注入されて意志のありかたを変えることも、サイバー世界にオリジナルのコピーを転写することも、数百年単位で時間が経過することもなく、時間はゆっくりと過ぎていく。話している内容はいかにもSFっぽいんだけれど、舞台も二〇五五年の近未来だし、ある意味では馴染みやすい作品と言えるかも。第一部ではジャーナリストの主人公アンドルーが『ジャンクDNA』という番組を作るというエピソードが書かれている。そこに登場するのは(三七ページから一覧)死後復活、生体工学によって独自の生物系を作り出そうとしている人々、自発的自閉症者協会。死後復活はその名の通り、死んでしまった人を一時的に蘇らせることのできる技術。けれどその時に使う薬は猛毒で、死後復活の対象が蘇生不能な状態になってからでないと使うことは禁じられている。これを使って殺人犯を特定しようとするのだが、死後復活させられる方はたまったものではない。あまり想像ができないシチュエーションだ。眠ってるのに起こされて、しかも自分は犯人を告げるだけで絶対に起きることがない眠りにすぐ引き戻されてしまう感じか(このヴィジョンはもちろん、前述の『ベガーズ・イン・スペイン』から)。生体工学によって独自の~というのは分子遺伝学方面の会社をいくつも自分のために買収したセレブのこと。呼吸をしなくてもいいし、ウィルスが人体に害を与えるときに媒介する既存の構成を持たないし、食料はゴムタイヤでまかなえる。彼らは自分たちと同じような生態を持つ新たな生態系を作り出せると語る。自発的自閉症者協会の前には《ヘルスガード》インプラントという画期的な医療技術が語られるが、それが小説に、二〇五五年の社会にどのような影響を与えるのかはイマイチ理解できなかった。自発的自閉症者協会は自閉症の原因をラマント野という脳の部位の欠損によるものだと説明する。そして完全にそれが欠損したものが重度の自閉症者である。主人公がインタビュウした人物は軽度自閉症者で、彼らはラマント野を修復する手法を否定もしないが、ラマント野を自ら除去するのも手段だという。当然ながらラマント野は正確には自閉症を司るのではなく、結果が自閉症なのだ。その過程は他者のモデル化にある。このモデル化=イメージを作り出すということがラマント野が実際に行う作業である。しかしそれはイメージであり、不完全なもので例えば愛というものは自己欺瞞でしかないと言う。そんなものはない方がいいと考え、ラマント野の完全な除去の合法化を目指しているのが自発的自閉症者協会。これらが緻密に描写されて、二〇五五年っぽさを感じさせる。そして主人公とその奥さんの生活が画かれるのもここで、生活の端々にジェンダー問題が見てとれる。特に単純な男性女性問題だけではなしに、氾性、微男・女性、強化男・女性、転男・女性とかがこの社会では存在してる。それでそれぞれ個人のアイデンティティの有り様が現代社会以上の独立性をもつのものだと感じ取れる。
 第二部以降は『ジャンクDNA』を作り終えた主人公がTOE講演で注目の若手物理学者に密着取材することになる。ここから舞台はステートレスという科学的にも政治的にも特殊な状況下にある島に移る。そこは生体工学産珊瑚によって作られた島で、この生体工学技術は国際的な特許に違反しているとされていて、各国から輸出入をボイコット(通商禁止)されている。登場人物の中にはそのボイコット反対派の手助けをしたいと思う者もいる一方で、特許で商売している企業群はこのステートレスは許し難い無法地帯ととらえている。二部では予想されていた騒動――無知カルトによるプロバガンダ――などがあるも、特殊なカルト集団と主人公が接触する以外は大きな事件は起こらない。しかし三部に入ると政治状況がいかに緊張しているかがわかるような惨状が書かれる。二部は科学的な話満載で主人公共々付いていくのが大変だけれど、それを乗り越えると大ネタが段々明らかになり、さらに今までの事象が絡み合った事件が明らかになる。やや助長と言われるかもしれないが、ぼくは長編のこういう丁寧さは好きだ。
 反科学な態度の神秘主義、あるいはエデン主義、あるいは無知カルトと呼ばれる人々の登場は、作品を通したイーガンの政治的意見が感じられる気がする。これらの無知カルトの言説はブライヤン・アップルヤードの『Understanding the Present: Alternative History of Science』を下敷きにしているらしい。無知カルト的態度は実は自覚しないうちに人々に根付いているとぼくは思う。鳩山首相の地球益とか、スパコンの事業仕分けとかは明らかにそれだし、他には虫をコントロールする実験に対する倫理的(?)非難とか、人工肉への生理的嫌悪とかも、すべてそう。それらを乗り越えるためには感情という生化学的トリックを乗り越えて、理性を武器にするしかない。それが非人間的と言われようが、そうしたヒューマニティへの非難のせいで人種差別が起こるのではないか。作中でそれはHワードをめぐる戦いとして書かれている(九八ページ)。Hは複数の意味をもつ。healthがまずそれで、健康とは何かという問題。生体工学による長寿?それとも生物として最適化されている状態として三〇~四〇歳で寿命を終えること?健康という言葉は欺瞞をはらむ。もうひとつはhumanity。相手に人間性がないと認めること。健康はキャッチコピーで人間性の非難は武器としてよく用いられる。ドーキンスに対する非難はグールド派進化論者よりも、「人間性とはしょせん遺伝子の延長された表現型だとでも言うのか!」と怒る人間性のある人々の声が大きいように思う。“利己的遺伝子論は遺伝子だけが価値ある物で、生物個体は無価値だと言う意味”だと非難する声もあるが、価値という言葉の意味が不定なので、それの何が悪いことになるのかわからない。科学に溶解する人間性という問題は、イーガンが特にナノテクガジェットを用いて問いかけることの多いテーマだ。イーガン小説はテーマが楽しいのではないし、さらに言えば長編より短編の方が簡潔な記述としてこれらの問題を描写しているが、それでもなお『万物理論』内でこれらの人間性に関する記述は目立つ。名詞もとてもわかりやすいものが付いているし、科学主義vs自然主義のガチバトルみたいにも見えるシーンがある。主張を異にする人々が争うのは、心情小説調の短編の中で、自己にひたすらアイデンティティを問いかけている様子とはまた違って見えた。
 緊張する場面で、ご都合主義が過ぎるかも、と思う部分はあれど、そういう部分を期待しているわけではないのでまあいいか、と流せる……むしろ『宇宙消失』や「ひとりっ子」で見られるご都合主義過ぎるのがよかったりする。物語としては『宇宙消失』の方がエンタメしているが、それに比べると『万物理論』はネタ、テーマで勝負する小説だと思った。うん、おもしろかった。
 ところで珍しいことに創元社のサイト最初の数ページが読める。他の全ての本でもぜひ読めるようにしてほしい。ついでに言うと、冒頭に以下の文章が二ページにわたって書かれているのが省略されている。うーん、これはよくないよ。ちゃんと頭から載せないと。以下が省略された部分。
最後の不当な国境線の消去とともに自由の地図が
  完成されるというのは真実ではない
われわれにはまだ雷のアトラクタをチャート化し
  干魃の非周期性を図示することが
一千の人間の言語並みに豊かな
  森林やサヴァンナの分子レベルの方言を解明することが
そして神話を超えた太古からわれわれの情熱の最深部にある歴史を認識することが
  残されているのだから

ゆえにわたしは数字の独占権を所有している企業はないと
0と1を囲いこめる特許はないと
アデニンやグアニンの主権をもつ国家はないと
量子波を支配する帝国はないと宣言する

そして真実というものは売買することも
力ずくで押しつけることも、抵抗することも
逃れることもできないのだという
理解を祝う集会にはだれでも参加できる余地が
  残されているべきだ。

――ムテバ・カザディ『テクノ解放主義』(二〇一九年)より

2010年1月13日水曜日

海冬レイジ『幻想譚グリモアリスⅢ 誓えその名が朽ちるまで』


 前巻を読んだのが一年以上前なので、流石に内容を半分くらいは忘れていた。しかもこのシリーズ特有の時間軸シャッフル演出(章毎に正確な時間軸に沿ったepisode XXというナンバーが割り当てられている。例えば本を普通に頭から読むとepisode 10がepisode01の前に置かれている)もあり、冒頭に何が起こっているのか判断つかなかった。新しいキャラクターがいつの間にか登場していたり、前巻の最後に攫われたのは主人公(誓護)の妹(いのり)の筈なのに、誓護が囚われたヒロイン(アコニット)を助け出そうとしているし……あれ、前巻の記憶が改竄されている!?とゴーストハックを疑うも、ちょっと読み進めるうちに今回の事態は明らかになった。以前から思っていたけど、このシャッフル演出は効果的な時もある時もあるが、あんまり意味がわからないときもあって、この巻の冒頭は特にそうだったような気がする。無駄に混乱してしまった。
 今回は舞台が一新された。前巻までは幕間に書かれる程度だった異世界=冥界に舞台を移し、そこで主人公方も敵方も大軍勢を率いて戦う。今までのアコニットを狙う刺客を撃退するみたいな話から、規模が一気に膨らんだ。その分だけ登場人物や作品内用語が多くなり、読者はそろそろ情報をまとめにかからなければいけないような気がする。また、今回は作品の華であるアコニットの登場シーンがとても少なかったけれど、尚エンターテイメントとして充分な魅力を持っていたと思う。ラノベなので一ページあたりの文字は少なくスカスカで、事件が次から次に起こるということもないのだが、それでも密度とスピード感があるような、不思議な軽やかさがある。一方で読み終えた後にちょっと考えると、やはり甘い部分は見られる。アザレアの幼少期の孤独に起因する人格形成の過程とか、エクレレールのキングやアザレアに対する心境とか、もう少し突っ込んでも良かったかなとは思う。それらを書くとクドくなってしまうのかもしれないけれど、少しくらいはクドい方が読んだ後に残るモノがあるとは思うのだ。
 しかし麗血開花と書いてアーマメントと読ませる厨二病っぷりが発揮されている一方で、登場人物の描写も無理がないし、殆どの登場人物が持つ特殊な力も、「まぁそんなもんだろう」と軽く流せるあたりがいい。がんばって理屈付けして失敗するよりも、思いっきり嘘=フィクションではあるけれど、嘘を巧く使っていて突っ込みどころが逆になかったりする。なかなか気持ちが良い。

 以下、ネタバレありのメモ(暫定版)。こうやって登場人物の特徴をいちいち羅列すると、本当に厨二病設定ばかりなのでこっちが恥ずかしくなってきた。
  • 誓護:今回登場する唯一の人間。相変わらず異様に冴えてる。そりゃ惚れるって!
  • アコニット:花烏頭の君。ツンデレ……の筈だけど、もう誓護にデレッデレ。その代わりにツンは他の方面に発揮されてる。
    「お……ともだち……に……」
    「聞こえないわ!もっと、はっきり言いなさい!」
    マジで鬼すぎる。この後さらに
    「お友達に――なって!」
     その瞬間、アコニットはかすかに微笑み――
     容赦ない平手を、アザレアの頬にかました。
    ひどい。ひどすぎる!
  • ギシギシ:口は悪いけれどクラゲ(誓護)と姫さん(アコニット)は死んでも守る。見た目は取っつきにくいけれど実は良い人の典型例。鍔鳴りの音で相手を麻痺させるフィグメントだと思っていたけれど、二一二ページでエクレレールがそれを躱す描写があった。音を躱すなんてことは不可能だから、音は媒体でそれに能力を乗せているのだろう。
  • イノセンシア:魔動全書。魔導書だけど人型のちびっ子幼女。ちびっ子というよりは本なので手のひらサイズ。結構活躍するけどうざい。禁則次項は喋れない。
  • ヒササキ:アザレアに反旗を翻し、誓護側に付く。この機会にアザレアに良い子になってもらいたい。目を瞑っていても心眼を用いた空間把握能力で闘う。目を瞑っているのは魔眼質の為。魔眼は目を開いているだけで魔力があふれ出してしまう。ひとたび目を開けば溜まった魔力を開放させ、ザ・ワールド的能力を発揮する。
  • キング:本名オドラ。キングと呼べ!前巻で誓護の漢っぷりを買って、霊廟方から主人公方へ付いた(んだっけ?うろ覚え)。チートキャラ。とにかく強い。スーパーサイヤ人(〈アーマメント〉の開花)になれるのに、ならなくてもスーパーサイヤ人に勝てる。
  • アザレア:蘭躑躅の君。お嬢様言葉のヤンデレ策士ですわ。能力は千里眼。透視ではない。〈アーマメント〉は空間を握りつぶす能力。最終的に改心して次巻以降は主人公側に付きそう。
  • スプニール:アザレアの衛士で槍使い。妙なところで言葉を切る、癖が、ある。おっとり気味だけど戦闘派。〈フィグメント〉は対象の弱点を見抜く……ぶっちゃけ〈直視の魔眼〉。〈アーマメント〉は攻撃した部位を弱点に作り替える=弱点を狙わなくても、結果的に弱点になる。ヒササキとの戦闘で死亡?
  • エクレレール:アザレアの衛士で剣士。相手の動きを見切る達人で、〈アーマメント〉は逆に相手の動きを大幅に鈍らせる。そんな能力もキングには及ばずフルボッコされるし、忠誠を誓った主はアザレアはアコニットにご執心だし、なかなかの苦労人。
  • リコリス:基本無能メイド、実質ニート。誓護のことは変態シスコン野郎なので好きではないけどお嬢様はおまかせします。今回はあんまり出番なし。

2010年1月4日月曜日

フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート』(浅倉久志・他訳)


 これも去年読んだもの。新年に入ったけれど、しばらく去年読んだもののエントリーが続くかもしれない。やっぱり一回溜めると書き出すモチベーションが生まれるまでペースが乱れる。
 久しぶりのフィリップ・K・ディックで今回は短編集。なかなかわかりやすい話が多く、内容も面白い。殆どの話に皮肉が利かせてあって、結末が笑えてしまえるようなものが多かった。イメージ的には「ちょっと古い普通のSF」というところか。今なお力のある作品として評価するかと言われると難しいような。
 表題作の「マイノリティ・リポート」は映画化もされたし、先日放送された『とある科学の超電磁砲』のサブタイトルがこれのパロディだったから(アニメにありがちだけど、内容はまったく関係ない)知っている人も多いんじゃないだろうか。結構昔に映画を観たが、随分内容が違うように思えた。未来予知によって事前に犯罪者を逮捕する犯罪予防局の、長官のアンダートン(映画ではトム・クルーズが演じる)が自覚しない殺人事件の加害者として予知されてしまう、という書き出しは同じ。スピルバーグの映画だとこれは手の込んだ陰謀で、事件は二転三転するが、小説は未来予知によるパラドックスをアイロニカルに画いている。映画より小説の方が面白いというのがマジョリティらしく、たしかにこの短編は上手くまとまっていると思う。だが、映画は映画ならではの面白さがあった。アクションシーンや未来の技術の描写など、トップアーティストを集めていて、なかなか魅せてくれる。むしろ小説を忠実に映像化するより、同じ下敷きで別の物語を画いたあの映画版は評価すべきだと思う。
 「ジェイムズ・P・クロウ」。シンギュラリティ後の世界が舞台。ロボットが人間を支配している。人間はロボットにできないことをするために、ロボットによって作り出された生命だとされる。平等を謳っているが、ロボット優先にどうしても作られる社会で、試験を次々にパスしてキャリアを駆け上がる人間がいた。彼は真の歴史を知り、ロボットを他惑星へ移転させ地球を人間だけのものにする政策を打ち出す。そんな彼にロボットの友人が「人間だけでやっていけるのか?」と問いかける。そういえばサターンのCMでロボットが進化して……というものがあった。偽の歴史のイメージビデオはこんな感じか。

 「世界をわが手に」。これはオチが予想できた。外惑星探査に疲れ果てた人類の間では個人で育てられるミクロサイズの擬似地球が流行る。ミクロ地球の出来映えを競い合い、熱狂する人々だが、それを自ら破壊したりなどもする。ミクロ地球には生命もいるのに……これは気まぐれな虐殺だった。そしてそんな人たちが暮らしている地球も、さらにマクロな存在の持つミクロ地球だとしたら?
 「水蜘蛛計画」は太陽系内宇宙への進出にとどまらず、時間連続体の移動や異種知性体とのコンタクトにも成功した未来の話。ここまでテクノロジーが進歩しているが、地球外植民計画のために運用される亜光速航行は技術上の問題があり、今まで何人もの犠牲者が出ていた。技術的欠陥を解決するために、この時代には存在しない予知能力者(プレコグ)を過去から連れてくることになる。しかし予知能力と未来で言われているが、当時のプレコグたち当人にはその認識はなかった……
 ここからが面白くて、彼らはSF作家なのだ。しかも実在するSF作家=プレコグとして書いている。だから彼らが書いていたものは小説ではなくて論文なのだ。アシモフとかハインラインとかが出てくる。連れてくることになったプレコグはポール・アンダースン。妻のカレン・アンダースンも出てくる。ちなみに娘さんはアストリッドというお名前らしい。アンダースンは彼を未来に連れてきた人々のところから逃げ出すのだが、文化様式が大きく変わっている世界なので他の人間とまともに情報交換することすらままならない。しかしそこに助けが入る。突然出会ったダークイエローのスライムはアンダースンの思考を読み取り、紳士的にこの時代のことを教えてくれる。一番手っ取り早いのはアンダースンと同化することだけれど、それは恒久的な同化なので嫌だよね?という気遣いまで。未来で出来た最初の友人が粘菌生物って面白いなあ。当然、この未来旅行の体験を現代に持ち帰り作品とするのだけれど、ぼくはポール・アンダースンの作品を読んだことがないので、これが特定の作品の誕生秘話的なものなのかどうかはわからない。メタフィクショナルSFというとナンシー・クレスの「ケイシーの帝国」があるけど、あれよりずっとエンタメしていて純粋に面白い。ある作品をどう作ったのかを考えて、こんな作品が作れてしまうという手法はなんだか色んな可能性を見せてくれる気がする。
 「安定社会」。ああこれは小林泰三の「時空争奪」っぽい。でもイマイチ最後がわからなかった。
 「火星潜入」はこの作品集の中では駄作に見える。事実、解説でもかなりどうでもよさそうな扱いをされている。地球と火星が敵対していて火星に潜入した工作員が新兵器の都市収縮機械を使うのだが……工作員がおしゃべりすぎて、自分のやった極秘任務をバラす。こんな口の軽い工作員がいてたまるか!しかも地球と火星の戦いって古い。
 「追憶売ります」はおもしろかった。『トータル・リコール』のタイトルで映画化されているらしい。名前は聞いたことがあるけれど未見。
 主人公は普通のサラリーマンをしながらも、日々火星に思い焦がれていた。火星なんて、政府から依頼を受けた工作員くらいしか行けないのだから、実際に夢が叶うことはない。そこで彼は自分が火星に行ったという記憶を持とうと、手術を受けることにする。しかし記憶を植えつける段階で大変なことが発覚する。彼は既に火星に行っていたというのだ。火星に行った記憶は政府によって抹消されていた。政府は記憶を完全消去できない彼を危険だと見なして排除しようとするが、男はもう一度自分から記憶消去を選び、政府は彼を見逃すことにする。そこで記憶を消去し、新しいものを植えつける段階でまた大変なことが。彼は地球外の異種知性体と接触した唯一の地球人であり、彼らと友好的なコンタクトを果たしていた。彼らは男が生きている間は地球を侵略することはないという。政府は彼を殺すこともできなくなってしまった。
 ありえないことの連続だけど、それが娯楽小説の楽しみだろう。ぼくはこういうバカバカしくもスケールが大きいのは好きだ。

2010年1月3日日曜日

グレッグ・イーガン『宇宙消失』(山岸真訳)

 二〇〇九年に最後に読み終わったモノがこの『宇宙消失』。個人的にはすごく満足できる読書体験になった。イーガンで量子論SFなのにかなりわかりやすい。「ひとりっ子」は、この『宇宙消失』の別アプローチだったんだなあ。イーガンの短編集『ひとりっ子』の表題作「ひとりっ子」(ついでに「オラクル」も)は主人公のアンドロイドがクァスプという量子的ゆらぎを生じさせないという特性を持ったガジェットを搭載していた特殊性から、読んでいても感情移入できなかったし、するような筋の話でもなかった。一方この小説の主人公は、量子的なゆらぎの中で不思議な体験をする。どのくらい不思議かというとファンタジー世界に行くとか、そんなチャチなもんじぇねぇ。有限系の限界に挑戦するという体験を味わったぜ(AA略)。なのにしっかり感情移入できたと自分では思った。ありえたかもしれない可能性世界と、それを摘み取った自分の選択にこれほど思い馳せることのできる小説はそうそうないだろう。これは主人公視点のテクスト(こういう文章を指す名詞ってあるの?)がその威力を発揮したのだと思う。
 初期の段階で登場する太陽系を包み込む暗黒球体〈バブル〉 や、その〈バブル〉の混乱から誕生した新興宗教などはウィルスンの『時間封鎖』との類似点となる。しかし物語もまったく違うし、『時間封鎖』では物語の大きな要素として文章を割かれていたそれらの現象や集団が、『宇宙消失』ではかなり影が薄い。〈バブル〉はまあいいとして、新興宗教の方はカワイソスレベルの出番のなさ……冒険小説調だった『時間封鎖』とは違って、サスペンスと心情小説の面白さというものを味わえる作品だった。
 さて、最近イーガンが良い感じに自分の中で消化できている。調子がいいので『順列都市』を読み直そうかとも思ったけれど、まだ『ライフゲイムの宇宙』が買えていないので先に『万物理論』に手を伸ばそう。

 ここから梗概。相変わらずネタバレを気にしない文章を書いてしまったので、未読の人は自己責任で。

第一部:
 フリーランスで探偵業を営んでいる元警察官のニック・スタヴリアノスところに捜索依頼が入る。病院で何十年も寝たきりで、生後半年程度の発達しかしていない脳を持つ女性が失踪したという。ハッカーに情報収集をさせ、彼女が何者かの手によって新香港に攫われたのではないかという仮説を思いつき彼は現地へ赴く。彼女を国外へ運んだ手段は恐らく死体偽装だろうと考え、仮死状態からの蘇生に必要な薬品を取り扱っているところから怪しい場所を特定し、《バイオメディカル・ディベロップメント・インターナショナル》(BDI)(六六頁)社に潜入することになる。そこでローラを発見するのだが警備に見つかり脳神経を再結線(忠誠モッドのインストール)させられ、彼はBDIの母体たる《アンサンブル》に物理的な忠誠を誓うことになる。
第二部:
 BDIのエージェントとして 、同じく《アンサンブル》を母体とするASR(《先進(アドバンスト)システム・リサーチ》)に潜入するニック。そこではローラの特殊能力をオリジナルとしたモッドの実験が行われていた。ASRも一枚岩ではなく、忠誠モッドをインストールされている人間はASRもBDIも偽なる《アンサンブル》であると言う。彼らが忠誠を誓うのは真の《アンサンブル》であり、《アンサンブル》とは彼ら自身で定められるものなのだ。真の《アンサンブル》の力にするために、忠誠モッドをインストールされた人々はASRで研究しているモッドを実用可能段階まで状態を移行させ、自分たちのものにしようとする。ニックはそのモッドで実験をしている女性と親しくなったために、彼女の意識がないときにはそのモッドを使えるようになっていた。モッドを完成させるためにはBDIに保管されているモッドも必要になる。ニックはモッドの能力――デコヒレンス、ただし確率的なものではなく、任意の選択が可能――を用いてBDIに再び潜入する。

 以下、またもやネタバレGOGOなメモ。

第一部:
  • モッド:
    本作の主要ガジェット。神経インプラントみたいなもの。“脳神経を用途別再結線(モディフィケーション)して脳自体にデコード機能をもたせ”、“デコード用再結線(モッド)の暗号書記(ニューロコム社製)、五九九九ドル)は仮想声帯オプションつきなので”(共に九頁)など。脳にナノマシンで“脳神経再結線(インストール)”して使う。
  • 〈バブル〉:
    太陽を中心にした半径百二十億キロで太陽系を取り囲む謎の現象。ウィルスンの『時間封鎖』と本作の類似点。ちなみに『時間封鎖』では〈スピン膜〉というものが地球を覆う。“表面は非物質で、そのふるまいは、凹面状になったブラックホールの事象の地平線との類似が多い”(三〇頁)。
  • アンジェラ・レンフィールドの『楽園』(三七頁):
    “このROMはオリジナル・チップからの何十万というコピーのひとつだが、どのチップでも演奏のたびに曲がその回独自のものになることが売りだった。レンフィールドは曲にある程度のパラメータを設定しているが、そこから先は日時や時間、オーディオシステムの製造番号などの擬似ランダム関数で決まるのだ。”
第二部:
  • シュテルン - ゲルラハ装置(一五五頁):
    シュテルン-ゲルラッハの実験 - Wikipedia
  • 状態ベクトルの神経作用による線形分解と、これにつづく選択された固有状態の位相変異および優先的強化(一五八頁):
    〈アンサンブル〉。量子的ゆらぎの“状態ベクトル(以下略)”とするとわかりやすい。テレキネシスとは別物。なんでも出来るわけではなくて有限系の中で可能性がわずかでもある状態を任意に選択できる。
  • 波動関数の収縮(一六八頁):
    デコヒーレンス、歴史の分断、干渉性の消失……呼び方はいろいろ。ここから漸くイーガンっぽくなるのだが、「ひとりっ子」ではデコヒーレンスとかキュビットとかを一切説明なしに物語に絡ませて登場させていた作家が、わざわざ説明してるのはちょっと新鮮。
  • ただ観測するだけで、宇宙をずたずたに切り裂いている(一七八頁):
    波動関数の収縮は可能性宇宙を消し去っているから。〈バブル〉で太陽系を包んだ〈バブル・メイカー〉はいくつもの可能性宇宙に生態を依存する存在であるとここでは仮定される。
  • 形式論理学において、矛盾する公理を組み合わせれば、ほとんどどんなことでも証明できるのに。矛盾原理――AでありかつAでない――がひとつ見つかれば、そこから演繹できないものはありません。ぼくはそれを、ぼくたちに特有の種類の自由のメタファーだと考えたいのです。ヘーゲル哲学にいうジンテーゼなど忘れていい。ぼくたちは、純粋なオーウェル風二重思考をしているのです(二一一頁):
    形式論理学?ヘーゲル哲学?その呼称は知っていても内容を知らないんだよなあ。“おれはこの男を引っつかまえて、頭から抽象的たわごとをゆさぶり落としてやりたくなった”(二一七頁)とは主人公談。
  • [帰無仮説否定されず(ここでは要するに、サイコロの目の出かたが確率的に予想されるとおりのものであることを意味する)](二四八頁):
    仮説検定 - Wikipedia
  • どちらにせよ、もはやこの先に進む意味はない。(三〇六頁):
    このバージョンのニックはここで終了。