さすがに情報が少なすぎるので、これは評判聞いてからかな。サントラとマキシシングルの特典は欲しい気がするけど、それでも突撃するまでにはいかない。体験版とはいえ、数時間付き合ったわけだから何かないかと言われても……体感的には面白くないですと言ってしまっていいのか?製品版で化けるかもしれないよ、と予防線を貼りつつ……
所謂日常シーン部分は『のーぶる☆わーくす』ってもしかして面白かったんじゃなかろうか、などと思わせるものです。キャラクターの声はエロゲーのメインストリームから悪くない意味で外れていて印象的だったけれど、台詞読みのスピードがすごくゆっくりだったり、読点でいかにも台詞読んでます的な切れ方をするのが気になるところだった。オーガストのゲームでもあるような演技っぽさ。
これも主人公は正規の学生ではなく、軍人の潜入工作として学生になりすましているというものだけれど、その辺のネタをあまり使ってなかったから大人しいだけの会話文になってしまったのではなかろうか。潜入が上手く行えているということなんだろうけれど馴染みすぎです。所々では周囲にはバレない程度に軍人らしさが出しながらもギャグにまで発展させない控えめっぷりを発揮。一方で学生に馴染めなくてテンパってしまうんだけれど、軍での禁欲的な生活が長かったのか、一度箍が外れると子供のように熱中してしまう棗はテンプレ以上にダメな軍人で人気は出た模様。彼女が人気が出るのも当然で、それは他のキャラクターのカラーがわからなさすぎるからだ。メイは不思議ちゃん、すぐりは友人のような元気っ子、コハルは全然わからん状態で、テンプレの域を出ていない及び未詳。メイもすぐりも転入してきた主人公と棗を随分気にかけて面倒を見てくれるすごく良い子なんだけれど、各人物の個別の人格から自覚的にそういう行動を取ったというよりも、脚本に書かれているからそうなっているような予定調和的な不自然さが感じ取れる。もうちょっと動機が欲しいと思ってしまうんだろうな。メイはわからないけれどもすぐりは主人公に対して動機があるようにも思えるが、棗にも手をさしのべている様子からすると元々本人が持つ性質がそうさせているようである。なんだろうなー(ここまで書いておいて何だけど結論は出てない)……良い人たちすぎてちょっと引いちゃってるのかもしれない。キャラクターに対する好感度としてはだから、棗>メイ=すぐり≧コハルになるのは殆ど明白なことなのでは。見た目ではコハルが一番だと思うんだけれど、前述の通りあまりにも出番が少ない。そしてやはりテンパリ少女に我々は惹かれてしまう。割と表情多彩であるが、最初は潜入に緊張していたのか人付き合いが苦手なような大人しさを見せ、主人公とメイとすぐりに触れ合う中で子供のような素顔を見せてくれる棗はぼくも好ましく思う。問題は「このゲームの中で」という制限を課すれば棗が可愛いと断言可能だけれど、例えば『のーぶる☆わーくす』と比して尚それが言えるかと問われると口を閉ざすしかなくなる。
しかし救いは単体キャラクターよりも気になる陰謀や謎の存在だ。そちらに意識を移して自分を偽っているんじゃねーの?と言われれば……ごめんなさいするしかないんだけれど、これがもしかしたら本当に面白くなるかもしれないという意味で期待。寧ろここに期待するしかない。残念ながら体験版ではどこまで希望を見ていいのか足がかりになるようなものはなかったが、それでも残された光はここにある。
物語の流れは主人公が別命あるまで学院に潜入せよとの命を賜る場面から開始し、順調に周囲に馴染み一ヶ月程が経過する。しかし冷戦時代のドイツや今の朝鮮半島のように日本を二分(所謂歴史改変[alternate history]モノです)する片側の勢力の過激派により主人公が留まり、学院の人々と軍内では得られなかった友情を育んだ街は破壊され、彼自身も市街地に対する攻撃により命を落とす。意識を失う前に見たのは、炎上する街の瓦礫の中にあっても涼しげな顔をする自分と瓜二つの人間だった。しばしの幕間を挟んで主人公の意識は戻る。そこではまたゲームスタート時と同じ状況を体験するが、主人公はあの凄惨な情景を覚えている。メイと出会ったところで主人公は、主観的には再会を果たしたこの少女たちとの生活を、記憶にあるような形で終わらせないことを決意する……というもの。幕間でループは人為的なものだと仄めかされている点にプレイヤーは興味を持つだろう。実際にウェブでの評判も「名作になるかもしれない」としたものが多い。なんか必死に体験版のつまらなさを誤魔化している自分と重ねて視えてしまうのは穿ちすぎか。
人為的にループ状現象が発生させられている設定に魅力を感じるのは本当で、つまりそれは『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」や『CROSS†CHANNEL』、ウェルズ「奇蹟を起した男」のように原理が説明不能な超自然現象ではなく手段が存在するということでSFマインドを刺激される。ループしているように見せている手法として一番現実的なのは、舞台の守乃と同じような劇場を用意して人物もクローンを配置したというものだが、これは早々にバレる可能性が高いので却下。短サイクルでループ回数も少なければこれも可能だが、一ヶ月程の長さが必要になると気象環境を再現した環境を用意しなくてはならなくなる。気象条件とループ回数を考慮して様々な場所に守乃の再現ステージを用意すれば可能だが、動植物の侵入や気候状況など地域差から生じる諸々の情報により被験者に察知される恐れもあり、それ考慮すると物理的にある程度閉じた場所を用意しなくてはならなくなるが、そこまでの特殊且つ大型の施設を建設するような世界観にも思えない。あとはメタ宇宙などが考えられるし、実際にプログラマブルなメタ宇宙が生成/操作できなくても主人公の脳さえ弄ってしまえばその中で全てが事足りる。最後の案は『ユービック』や『マトリックス』っぽいが、これなら他の人物も主人公と同じレベル(愛する対象がAIでも構わないと思うけどね)で実在が可能なので現実味がありそうな気がする。あ、ちなみにコハルが視ていたのは予測シミュレーションね(これも予想だけど)。てなわけで、もしかしたら面白いSF的展開があるのではないかと期待する部分もあります。
ところで主観的な意味に於ける実在のコピーが存在するにせよ、メタ宇宙で世界が繰り返されているにせよ、主人公や周りの全ての人物という現象自体は死しても再現される。ループものに於ける目的は大抵はループから脱することだけれど、ここで意識され難いのは被ループ対象は再現性があるから一定区間内で死を体験しても、また特定期間が来れば再現が確定している不死の存在なんだよね。そういう場合では、果たしてループから脱するのは幸せか否かという問題にぼくはいつも直面するんだけれどこの問題は大抵の物語で無視される。永遠に繰り返す夏休みとかマジ羨ましいし!『鋼の錬金術師』で人間は生まれた時のままの身体が最も自然なもので最良だとされるイメージがあったが、そのように感覚的な自然を尊重する理由がぼくはわからない。(嫌いな作家だけれど、)こういうイメージに対して否を唱えた山本弘「地球から来た男」はその自然崇拝に対するアンチテーゼとして評価できるでしょう。本作も落としどころはどうなるかわからないけれど、納得できるかどうかもまた大きな問題だ。本来は不可能な個人の拡張というこの問題をエロゲに持ち込んで、しかもそれを解決できたら嬉しいことこの上ないのだが。
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