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2009年12月23日水曜日

大槍葦人『大槍葦人画集 Chronicle LIMITED EDITION』


 「また画集か!」。大槍葦人を追っている人の殆どが、この画集が発表されたときにこう思ったことだろう。でもいいの。この作家が好きな人だったら、何も考えなくていいの。イッツ、オートマティック!
 限定版は今年中くらいなら、都内の大型書店を巡れば容易に発見できるんじゃないだろうか。受注生産のハズだけれど、新宿の書店でいくつか見かけた。通常版のアリスカラーも可愛くていい。



 パッケージがでかい。寸法:40 x 33 x 4.4。


 他の化粧箱ズと比較してみてもでかい。


 どうしてもエロゲーを思い出さずにはいられない梱包。大槍葦人関連のモノはこういうところに矜持を感じる。ゲームの特別版や会報第一弾も恐ろしい箱で送られてくる。特に会報第一弾の赤い箱は洒落ていて、「エロゲー会社じゃねぇ……」とツッコミを入れずにはいられなかった。そう思い返すと、あれらに比べたら今回の画集は常識的なパッケージなのかもしれない。


 限定版なので三冊収録。


 ハードカヴァーの画集本体。やはり巧い。充分愉しめる内容だった。限定版だと、後述の『ALL ABOUT OYARI ASHITO』と『BETAGRAPH』が特典として付いてこなくてこれだけなのだけれど、その二つが個人的には値段分の価値があるのか疑問だったので通常版でも良かったかもなあなどと思ってしまう。画は今年のものから順に時代を遡行してLittle Witch以前まで収録。


 『ALL ABOUT OYARI ASHITO』というタイトルのインタビュー冊子。16ページ。短いし、今までにも大槍葦人のエッセイやインタビューをあちらこちらで読んでいた身としては目新しさもない。


 毎度お馴染み、『BETAGRAPH』。最初のページから『リトルウィッチ学園』のスケッチとは思わなかった。初公表の画もいくらかあったけれど、今までの『BETAGRAPH』シリーズとの違いは、作家自身の文章が一切入っていないことだろう。

2009年12月20日日曜日

シオドア・スタージョン『時間のかかる彫刻』(大村美根子訳)


 シオドア・スタージョンの晩年の作品を主に集めた短編集。スタージョンは初読みだけれど、がっかりしてしまった。率直に言って、この短編集はまったく面白くない。つまらないと断言できるほどでもなく、収録されている作品の良さが理解できなかったのだ。奇想コレクションの、何が楽しいのかわからないものを読んでいる時の気分。読んでも、「だから何!?」とか、「ふーん」という風になってしまう。そんなわけで大した感動を得られなかったのではあるが、スタージョンと言えばSF業界ではかなりの大御所。ここまで自分に合わないと、逆に気になって世間の評価を調べてしまうというものだ。ここでは知ったかぶり読者ではなく、特にスタージョンの本をしっかり読んで、作家を知っている読者の意見が欲しいということで、当然のように2chのスタージョンスレにいきつく。やはりこの『時間のかかる彫刻』はスタージョン好きの中でも良い評価はされていないように思った。もちろん、そうしっかりと批判されているわけではないが、話題にならないし、なったとしても面白いだとか肯定的な意見は見られない。推測するにこの本は、スタージョンの今までの作品を殆ど全て読んでから補完としてこれを読む、という位置にあるんじゃないだろうか。入門は『輝く断片』か『夢みる宝石』、それかSF初心者これだけは読んどけリスト(あんまり信用してない)に入っている『一角獣・多角獣』か。逆に『人間以上』は回避した方が良さそうだ。これは矢野徹の訳なので、ぼくも苦手だし。
 いちばん古い作品が一九五四年の「ここに、そしてイーゼルに」。他のものは全て六九年から七一年に発表されたもので、もっとも新しいものは一九七一年の「ジョーイの面倒をみて」。一応、創元SF文庫ではあるが、内容は奇想コレクション以上に普通小説的なものが多い。これもがっかりした原因で、SFだと思っていたのに完全に肩すかしを食らうことになった。SFっぽいものもいくつかあるけれど、しゅんごーい発明とかしゅんごーい能力とかを抽象的にボカして画いているので、H・G・ウェルズっぽく、しかもそれから更にSF成分を抜いたような。ウェルズとバラードとヴォネガットを足して割った感じ?
 冒頭からいきなりSFじゃない「ここに、そしてイーゼルに」は巻末解説で、収録作の中では最後に読むのが良いとあった。おい、今更遅いがな!小説の解説はネタバレが怖いから最後に読むのだ……でも最初に読んでも良いと思う。主人公はスランプに陥った画家で、彼は突然見当識を失って騎士オルランドとして魔法使いのアリオストと闘ったり、ヒポグリフに乗ったりする、と思うとまた突然オルランドは見当識を失い、一人の画家に戻ってしまう。こういうことが何度か繰り返され、二つの事象の進行を読むことになる。これが結構バランスよく出来ていたと思う。仮に片方のみを読ませられていたとしたら、退屈だったのだろうけれど、大金を手にした画家の滅茶苦茶な振る舞いと、オルランドの緩慢な振る舞いのどちらも飽きることなく読めた。しかしこの二種類の事象の転換も大勢の読者に不評で、ここで挫折したり読みにくいと感じたりする人が多いようだ。なるほど、解説であった後回しにせよというのは、こういうところで読む手を止める人のことを考えてのことだろうか。でもこういうのは、さあ新しい本読むぞ-!と気合いを入れて、冒頭から一気に読んでしまうという手もあるのでは。ところで騎士譚の方のモトネタは『狂えるオルランド』というルドヴィーコ・アリオストによるルネサンス期イタリアの叙事詩。おお、結構なお値段……オルランドって『コゼットの肖像』にも出てきたけど関係ないよね?

 「時間のかかる彫刻」は一番まともなSFなんだけど、別に美味しく頂けはしなかった。話の筋とガジェットがあんまり関係なかったような。
 「きみなんだ!」。頭の中でだけ想像していた、自分にとっての究極の美女を見つけた男。彼女に合わせて自分を変えていくのに表面上苦痛は感じていなかったが、実は鬱憤が溜まっていた。結局は彼女と一緒にいると自分は幸せでないし、かといって彼女が自分に合わせてくれば、それは究極の美女像から外れてしまうので別れるしかなかった。
 トラブルを頻繁に起こすちびのジョーイと、ジョーイの面倒を見る男を観察する人物の視点を画いた「ジョーイの面倒をみて」。なんでそんな二人を観察するのかと言うと、この面倒を起こす奴とそれをフォローする奴の間柄が気になるからだ。彼は無償で助けの手を差し出す人間がいるなんてことを信じたくなくて、それを目撃したら自分の世界は壊れてしまうと言う。だからその二人が気になって仕方ない。結局ジョーイとその面倒を見る男は一種の利害関係によって一緒にいるだけというのが明らかになるのだが、二人を追った先々で手助けしてしまった自分こそが、無償で人を助ける人間だと言われて絶望する。
 「箱」は何か予想できてたけどちょっとホロリな話。子供たちは不時着した宇宙船から街まで箱を運ぶことを、女性教官に指導される。女性教官は病気か何かで宇宙船の不時着後に亡くなってしまうけれど、彼女が最期に子供たち一人一人に遺した言葉が街までの旅を支える。
 「人の心が見抜けた女」はその名の通り。人の心が見抜けても、どいつもこいつもワタシの外見しか見てないし、思ってもない愛の言葉を囁くのね!みたいな感じ。
 「ジョリー、食い違う」はジョリーという少年がいて、何が食い違うかというと……うーん、人生?非行少年気味なジョリーが真っ当に生きていくぞーと決意するも、両親のダメっぷりが結局彼の決意をぶちのめし、反社会的行動に走らせた。
 「〈ない〉のだった――本当だ!」は掴みが強烈すぎる。収録されているものの中では、そのアイデアの奇想天外さを武器に、一番ぼくを惹き付けた。でもこういうのを面白いと言ってしまうのは他の作品の良さを理解できないが為に、ということになりがちなのでナンか悔しい。感想は2ch風に言うと「お前、天才じゃね?」、「鬼才すぎる」というところだろう。解説で"バカSF"って言われていて、バカSFと明言されている他の作品って『時間衝突』くらいしか知らなかったりするのだが、この「〈ない〉のだった――本当だ!」の方が好きだ。『時間衝突』はあらすじや、物語の中で登場する異種知性体は魅力的なんだけれど、引っ張った挙げ句ソレかよ的なガッカリ感を味わう。「〈ない〉のだった――本当だ!」は短編ということで綺麗なところで終わり、自ら掘り進めてはいけないようなところは手を触れずに、作品の自滅を避けていた。そうか、バカSFはヒット・アンド・アウェイで、どこまでも尖ったのを尽きだした後は、サッと幕を下ろすのがいいのか
 ちなみに〈ない〉というガジェットは説明するのもバカバカしいのだが、まずトイレットペーパーの切れ込みを思い出して欲しい。あの切れ込みはトイレットペーパーが〈ない〉部分だ。にもかかわらず、ああいう切れ込み部分はちゃんと切れずに〈ある〉部分が破れることがある。そこから推測するに、〈ない〉部分は〈ある〉部分よりも強力なのではないだろうか?全てを〈ない〉にしたら最強じゃね?――というものだ。なんというか……そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。いや、嘘です、そんな風に考えられません。
 「茶色の靴」はある発明家の物語。牧歌的な田舎の発明家だった男だったのが、世界的な発明を思いつく。その発明の詳細は語られないのだけれど、とにかく世界に与える影響が大きいことを彼は自覚する。自分はもはや田舎の趣味人発明家でいられないと悟り、愛する女性の元を離れて、自分の技術が適切に運用されるようにするために政治的な努力を始める。その社会的な行動が魅力的に書かれるというワケではないのだが、とにかく彼のもくろみは成功して田舎に帰ってくる。しかしそこで昔日に愛し合った人が、牧歌的な生活だけを望んでいたことを吐露して、しかも発明の運用まで携わるのは愚かだということを言われてしまう。発明は世界だけでなく彼の個人的な生活も変えてしまった。彼女は発明を理解できない人間だったのだ。
 「フレミス伯父さん」は人のケツを引っぱたいて気合いを注入するオジサンの話。フレミス伯父さんは元は田舎町の人間で、機械を直していたりしていたんだけれど、その直し方やとても豪快で、チョップやキックを食らわせて直すのだ。都会の医者にその才能を見込まれて、著名人にリキ入れる仕事をはじめる。もちろん見知らぬオジサンに叩かれるなんてことは、お偉いさん的には納得できないので、実際にフレミス伯父さんが治療する際には催眠状態にしておく。これを田舎町出身の借金少年に教えたら、彼も是非叩いて欲しいとのこと。ガツーンと一発食らわせると、たちまち真人間になったのだ。ただしフレミス伯父さん療法の効果は期間限定で、また借金したくなったりイライラが溜まったりしたら、また引っぱたいてもらう必要がある。治療法こそ特殊なものの、普段から我々が使っている薬とそう変わるものでもないような。
 「統率者ドーンの〈型〉」は現政権の統率者を暗殺しようとした青年の話。統率者は成長を続けるが、欠点は寿命で、それさえなければ一時的に不備は生じるが、どんどん優秀な統率者として社会を導いていくと予想される。ならば統率者に不死性を付加すれば問題ナシ。これで人類は宇宙進出しましたとさ、なんてラストにオマケのように付け加えられちゃってる。うーん……
 それで「自殺」がこの作品集の最後に収録された短編なんだけど、これはぼくの理解が及ぶところではないかった。最後に消化不良気味になってしまって残念。

参照:シオドア・スタージョン(Theodore Sturgeon)翻訳作品リスト

2009年12月12日土曜日

グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(山岸真訳)


 今回の短編集は、前に読んだ短編集『しあわせの理由』に比べて、客観的事象としてわかりやすい事件が起こらない話が多い。大抵の場合、登場人物は内面を描写され、より自己を理解するだけに留まる。そのぶんだけ、人物の内面が画かれているので、ワカラナイ&ムズカシイを代表するSF作家のイーガンの作品ながら、実はSF初心者でも読めるし、ぼくもやっとテーマ的なものがつかめたように思えた。それともぼくが、イーガン&山岸真コンビに着実に調教されてきているということだろうか。だとしても嬉しいことではある。それでも量子論初心者お断りな中編が二つあったし(「オラクル」と「ひとりっ子」)、テーマなんておもしろければどうでもいいんだけれど。
 「行動原理」と「真心」は、共に神経インプラントというガジェットが登場する。神経インプラントというのは、本書の中では、以下のように説明される。
神経インプラントの大半は、要するに脳を改変して、ほかの手段では不可能な、精神状態や技能、信念などへのユーザーのアクセスを可能にする製品だ。娯楽としての幻覚から、五分で身につく北京標準語まで。信仰心なり性的嗜好なり政治的忠誠から迷いをとりのぞいて確固たるものにすること(あるいはすっぱりとすてさること)にはじまって、有益な道徳的規範を植えつけたり、不適切な規範を除去することにいたるまで。崇高きわまりなかろうと、平凡のきわみであろうと、神経の働きのうち、インプラントによってユーザーの要求どおりに仕立てなおせないものはない。
(グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(山岸真訳)四六頁「真心」)
 イーガンの前短編集に収録されていた「しあわせの理由」や「適切な愛」などが思い浮かんだが、神経インプラントを用いたこのシリーズは、自己の意識に対して、それ自体によって物理的に制限を課せることが大きな違い。つまり自分で決めた操作を行えるのだ。「しあわせの理由」も操作していたが、あれは操作できたのではなくて、操作しなくてはならなかった。神経インプラントは『順列都市』で出てきた精神ソフトウェア的なハードウェア(ナノマシンが神経に作用する)で、本当にあったら欲しいし、フィクションとしても色々なシーンに使えそうなガジェットだ。話の内容としては、心境小説風というか、そういう話があったからといってどうにも……と思わなくもないが、けっこう好きだったりする。自然食物主義的嗜好の人というのは、魔術から開放されていないような人のようにぼくは思う。すべての物理的系がコントロールできたら素晴らしいことだ。それと同じように、肉体を制御することはとても理性的な行為に思えて羨ましい。
 「ルミナス」は数学SFでテッド・チャンの「ゼロで割る」みたいに、既存のスタンダードな数学大系の他に、ノン・スタンダードなオルタナティヴ数学大系を見つけてしまったという話。いくつか特定の数学的論理の名前は出てくるけれど、それらが一つずつ重要な地位を占めるワケではないので、数学ワカリマセーンな低学歴読者たるぼくでも普通に愉しめた。この短編集の中では、客観的にわかりやすい事象を画いた作品だと思う。もっとも、作品の中で登場する数学理論が理解できればもっとおもしろいのだろうが。『順列都市』シリーズの〈コピー〉のように、コンピュータ内の存在でないのに、スタンダード数学の普遍性が社会インフラを構築する重要点であるのは理解できるが、実在に重要になるのかはイマイチわかりかねる。物理系を数字で表現することはできるけれど、数字に意味がなくなったら物理系が崩壊するだろうか……本文にあった"不安定"ってそういう意味だよね?最近の物理理論は物理系=情報系らしいから、なんとなーくわからんでもないような気がするけど、でもそれは理論ではないのだろうか。しかしオルタナティヴ数学というまったく異なる大系からなる世界というのは、すごくカッコいいアイデアだ。ルミナスというスーパー・コンピュータの設定もスゴイ。ただのスーパー・コンピュータではなくて、スーパー・コンピュータ・システムを瞬時に構築するスーパー・コンピュータ。すごく卑近な表現になってしまうが、ほぼ自動的に最適なヴァーチャル・コンピュータを構築してる感じだろうか。理系っぽいアイデアが詰まりまくった短編だ。
 「決断者」はより心境小説風なSFで、自分の思考を抽象画像で捉えることができるガジェット――〈百鬼夜行(パンデモニアム)〉がインストールされた眼帯(パッチ)――を手に入れた男の話。自身の思考がトレースされるということは、自らの中で決断を下す自らを確認できる。自分の行動はあくまで自分の中の絶対的な個人が決断していると確信しようとしたが、結局それは自分が機械論的総体であるということを鮮明にしただけだった。
 ここに登場した〈百鬼夜行〉の詳細モデルはデネット『解明される意識』、ミンスキー『心の社会』が参考書に挙げられている。
解明される意識 心の社会

 「ふたりの距離」はあるカップルの話で、お互いがより深く理解しあおうと身体を交換したり、相手のクローンに意識を乗せたり、最終的には体や記憶をまったく同一の個体に乗せて一時的に同一化し、そののちに再び分離する。相手を理解しすぎて、結局のところ一人でいるのと変わりがなくなってしまったから、それに失望して二人は別れることになる。他人を理解したいという基本的な欲求の、完全な理解の果てを画いた話だった。個体としては分離した後にも認識できる、というか別段同一化する前とあまり変わらないのだろうけれど、そこにいる彼、或いは彼女に対して意味を見いだせなくなってしまったのだろう。
 「オラクル」と「ひとりっ子」は量子コンピュータに関する大まかな知識がないとつらいシリーズもの。『宇宙をプログラムする宇宙』を読んでいてよかったなあと思うことが読書中に度々あった。量子ビットも出てくるし、多世界解釈も出てくるし、デコヒーレンスとか、量子コンピュータの遮蔽の必要性だとか停止問題だとか諸々。ちょっとしたギャグでコヒーレンス阻害薬を注入したシーンで「ゾンビのお通り!」っていうのがあってこれは個人的には面白かったんだけれど、説明がすごく面倒だぞ。もったいない。
 まず「オラクル」は読んで、ついつい「おお、『ディファレンス・エンジン』だ!」と思った歴史改変モノだ。さらにタイムトラベル要素に見える多世界の分岐先移動という、かなーり無茶のあることをしているが、ソコは流石と言うべきか、そんなことをやっても古くさくない。その移動をするネタ明かしはされていない(ぼくが理解できていないだけかもしれない)ので、オイオイと思うが、しかしすごいのは分岐先に移動してあくまで自分にとって最適な分岐を選ぶとかそういう話ではないというところだ。多世界解釈を用いた並行世界モチーフの物語だと、あっちのバージョンの世界がダメだったからこっちのバージョンの世界でリトライというのがよくある。しかしダメだった側のバージョンは依然としてダメな状態のまま存在して、リトライするバージョンでもリトライが成功する分岐と失敗する分岐を、行動を起こした時に生み出してしまって、結局のところ宇宙の物理的リソースが許す限りの数(とは書かれていなかったけれど。無限ではない筈。)の多様性を保つだけに過ぎない(今、多くの作品の感動をブチ壊した)。しかし量子的なゆらぎを生じさせない、絶対的な選択を行える存在がいたとしたら、その存在の選択は分岐することがない。だから別のバージョンを持たないひとりっ子な訳だ。読んでいた時はそんなにだけど、こう整理するとめちゃくちゃポジティブな物語に思えてくる。とても強い子だったし。しあわせを探しに行こう、的な。「オラクル」がその存在の旅の一幕を画いた物語で、「ひとりっ子」はそんな存在の誕生の物語。それぞれ一〇〇頁程度の長さのもので、なかなか物語的にもダイナミックだったので長編で書いてくれてもおもしろそうだなあと思えるものだった。
 量子コンピュータの解説書については巻末の解説でジョージ・ジョンソンの『量子コンピュータとは何か』が挙げられていた。これは単行本で刊行されているが、十二月末にハヤカワ文庫NFの装丁で手軽に入手できるものが刊行予定。期待したい。個人的にはこの前読んだセス・ロイドの『宇宙をプログラムする宇宙』もオススメ。
量子コンピュータとは何か (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ) 宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?

2009年12月5日土曜日

神林長平『戦闘妖精・雪風〈改〉』


 かなり昔に観たアニメ版とは随分印象が違うのだなあ。アニメ版は、ラスト以外は本書から構成と順番を変えている。原作では雪風がスーパーシルフからメイヴに機体変更するのは巻末の話だし、トムもジャムのコピー人間ではないし、リン・ジャクスンに地球で会うのは零がスーパーシルフに乗っている状態だった。そして何より雪風はアニメで零にデレデレだったのに、原作ではかなりツンツンしている。零もそれに合わせてなのか、アニメ版よりも雪風と心を通わせていないというか、人間味溢れる感じがする。自分は雪風しか信じないと言っておきながら、他の登場人物に対しても冷たくなりきっていない。この登場人物が評す零の冷酷・無感動という評価と、実際に読者が感じる零の人間らしさの相違点は、巻末に収録されている石堂藍による作品解説にも書かれていた。非人間的な人間と言えば、『DARKER THAN BLACK』の契約者やドールが思い浮かぶのだが、零よりもずっと非人間的な彼らでさえも多くの場合に人間らしさを見てとれる。また、SF小説などに登場するソフト/ハードウェアやその他諸々の現象で精神状態や思考形式が変容して、どんなに人としての在り方が変わってしまっても、人間から見たら人間は非人間的だとは思えないのではないだろうか。どうしてもぼくらは擬人化せずにはいられないのかもしれない(メイヴちゃんとか、ディナさん(『Xenosaga』の設定資料集『Xeno Emission』に登場)のコトを言ってるのではないよ!)。
 先にも書いたとおり、雪風はアニメ版では人間に、というか零に完全に味方するような画かれ方をされていたが、原作では正体はわからなくとも敵だという認識をされているジャムよりも不気味なものに感じた。人間は雪風をはじめとするコンピュータに頼らなければ、ジャムに対抗することはできない。しかしコンピュータたちはもしかすると、人間の為に戦うのではなく、人間を犠牲にしてでもジャムを打ち倒そうとしているのかもしれないような書かれ方がされている。実際に作中では正統な理由によるものではあるが、機械の動作によって死亡する人物もいた。ジャックはこのことに気付き初めていたが、どうにもできないという不安感だけを生み出すことになった。こうしてコンピュータが人間にとって必ずしも友人たり得ないということが書かれると、もしかするとジャムはコンピュータによって危機的状況に陥った異種知性体が、人間ではなくコンピュータを殲滅するために行動しているのではないかとぼくは想像を働かせてみたのだけれど、どうだろう。アニメ版の第一話≒原作第八話でようやくジャム製のコピー人間と零は邂逅するのだが、ここでもコピーたちは零よりも雪風に興味を持っていたことからも、人間が彼らにとってあまり重要ではないように思える。あるいはジャムはコンピュータ的異種知性体で、地球のコンピュータと競争して進化を果たそうとしているのかもしれない。
 人間らしさを失ったと揶揄されても、未だに人間でしかいられないブーメラン部隊の戦士と、異種知性体の目的や正体も目が離せないが、それと同じくらいこの作品で輝いているのは緻密な工学設定の描写だ。ぼくは残念ながらミリオタではないので(しかし尊敬するメカデザイナーの設定を読み込みたいのでミリタリー方面に詳しくなりたいとは思っているのだが……)、細かいところまではわかりかねるが、これはかなり精緻を極めているのではないだろうか。『エースコンバット』や『エアロダンシング』といったフライトシミュレータ・ゲームやwikipediaでちょっとだけ仕入れた知識から、ある程度は単語の意味を類推することができるけれど、まったく興味も知識もない人からすると、意味不明な文章が多いのかもしれない。でも聞きかじりの知識で、ここまで愉しませてくれるのはスゴイのではないだろうか。量子論を用いるSFとかだと、ギミックの仕組みが一気にわからなくなってこうはいかない。一時的に読み飛ばしてもなんとか大丈夫な点は戦闘機モノの強みだ、という、不真面目なコトを思ったりした。すいません、そのうちちゃんと理解したいと思います……