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小林泰三の、今度はホラー短編集。収録されているものの中では「家に棲むもの」、「食性」、「肉」がわかりやすくて好きかも。わかりやすいだけなら「森の中の少女」もそうなんだけど、別段これといって気に入ったところはなくフツ~、としか。そう、きっと萌えというかオタク成分が足りないんだよ(増やしたら、オタク系読者に傾倒して残念とか言うクセに)!
真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその1、「家に棲むもの」は、見当識を失してしまった老婆が家の中に棲み着いていたという話。住人が意識しないし、存在もわからない住居内の空間(たとえばユニットバスの裏とか、天井裏)というのは確かにブラックボックス的で、冷静に考えるとかなり怖い空間だ。天井裏に他人がいたなんて実話もあったくらいだし。まあ現実的な怖さは虫がたくさんいたら直視したくないなあレベルなんだけど。ぼくもだけど、現代の集合住宅に住んでいる人からすると一軒家というのは色々と不便な上に怖くて、「マンション(それかアパート)にしなよ!」とあくまで他人事的に思うのだが、仮に自分が片田舎の一軒家に住んでいたら読みたくない短編。そこそこ大きい家で、しかも同居人がその狂人と協力関係にあったとなると、自宅が魔所になってしまうワケだ。でも最後は暗闇ともう共生しちゃおうよ的な流れに。主人公の女性が結構ズ太い(だいたい、事件が起こるまでとは言え、そんなに妖しい家によく何年も住んでいられたもんだ)というか、細かいことはノーサンキューな性質なんだな、きっと。
「食性」は後に紹介する「肉」と並び、小林泰三の食に対する意識が表れている作品ではないだろうか。SF短編集『天体の回転』についての中の「性交体験者」なんかも似たテイスト。直喩的な意味で肉食系女性と草食系女性のそれぞれの言い分に振り回される男の話。食べたいものを食べるのがいいよ。肉大好きな人が、菜食主義者に対して、植物の生命は生命としてカウントしないってか?という問いを投げるのは好み。
「五人目の告白」は自己追求の為に、多重なる意識を相手にしてる?要するにセルフ討論会というか、複数人格による個人ブレストみたいな。ちょいと難しい感じ。
「肉」は読んで、小林泰三の書く女性の悪食っぷりは本当に凄まじいなあと感じた。ビジュアル的に『沙耶の唄』状態になっている邸宅に入って包丁を見つけ出して、敷地内に溢れている肉を切り取ってガブリと食べて、なかなかジューシー!……ってオイッ、食うンかい!ネタは半ば予想がついていたとは言え、登場人物のお気楽さがすごい……教授のいろんな意味でのMっぷりとか。人間の常識とか倫理観から脱した人に、我々のステージからの目線で何を問いかけても意味がない。ビジュアルは大変なコトになっているけれど、本人が大して問題だとも思っていなくて、しかも社会的にも有意義なんだから、これってある意味ハッピーエンド?
エロス担当は「森の中の少女」。まったく男は野獣だぜ……狼の群の中から人間に助け出された少女のその後が気になるところ。むしろそこからがコンクリート・ジャングルの地獄なんじゃないか。ちょっと暗めのエロゲ風アフターストーリーを予想してしまうダメな読者なのであったとさ。
少年蒐集癖のある魔女に捕まってしまった男の子の話が「魔女の家」。暴食のベルゼブブですか……?囚われた子が多重人格化し、それを利用して脱出を図る、という話なのだろうか。この場合、実時間と彼のみの時間感覚は問題にならないので、彼だけが成長した副人格を持っていて、主人格に逃亡を示唆したとするのだろうが。それとも魔女は記憶の中だけの存在で、副人格が少年の方だったりするのだろうか。
真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその2、「お祖父ちゃんの絵」。絵を描くことに執着する老婆が、モデルに最適だと目を付けた青年を誘拐及び拉致監禁及び殺害及び死体遺棄するお話。それが全部、自分が描きたい絵を描くためだけにするのだから、行動力に関してだけは画家の才能があると言えなくもない。ただ、絵を描くのは忍耐と義務感が結構必要だと思う、というかモデル拉致っちゃダメでしょう。「家に棲むもの」、「食性」もそうだけれど、一つの執念が社会的制約から人を解放するというのはサイコキラーを造形する上でお約束な儀式の一つなのだろう。
ちょっと前にアニメ化してたけれど、なぜかアニメは観てなかった。なんでだろう……タイトルのオーラのなさだろうか?正直、数あるSFアニメの中でも、印象に残ってない作品だ。これなら『ストラトス・フォー』や『ダイバージェンス・イヴ』の方が記憶に強く残っていたりする。
読んでみるとなかなかしっかりしていて驚いた。電撃文庫のくせに……!同レーベルの中では土橋真二郎が似ているような気もする。登場人物の冷めた視線が、この作品と流行のライトノベルとをまったく異なるものたらしめてるのではないだろうか。ぼくはこっちの方が好き。というか流行のラノベは思考経路の意味不明っぷりがすさまじくてついて行けない。
試験の一環で最新鋭の戦闘宇宙艦に乗り込んだ学生たちが主役で、彼らを乗せて平常運航する最中、そのスターシップを保持する母星が侵略的な惑星連合〈王国〉に降伏してしまったが為に、やむなく戦闘艦の使用権は剥奪され、まず最初に正規軍人が退艦させられた。しかし学生たちは艦に残ったその隙に、クーデターを企て王国に抵抗することになる。もちろん単なるクーデターだと、後がなかったりするが、そのへんの政治的な工作も含めてなかなか練られたプロットで物語は綴られる。宇宙艦も強奪したのではなく、星間企業から正規に買い取ったもので、スポンサーもいる。人気の某禁書目録だったり超電磁砲だったりするアニメであるような「紫外線を遮断するから白髪になってる」みたいなテキトーでおざなりな科学考証でないのもいい。主人公らは資金的に潤沢ではないので兵器の価格にも気を使うし、セリフも“利己的な遺伝子”うんにゃらとか、“光速で飛んでくるんですから、見えたときにはもう命中してる”とかあったりするし、ガジェットも“量子共鳴通信”とか、密かにラノベ読者でなくSF読者に対してアピールしてるのが読んでいてニヤッとできるポイントだろう。
一方で少し気になるのは、この第一巻のみだと、戦闘宇宙艦同士の戦いと、政治的な点に頁が与えられているので、人物の描写がほとんどなかったことと、世界観の描写の違和感。人物は主人公はまだしも、他はとても影が薄くて、名前は何人も出てくるのに、全然覚えられないし、どういう人物であるのかがまったくわからない。第二巻以降を読んでね的な流れなんだろうけれど、じゃあその時に名前出せばいいじゃん……と思わなくもない。たぶん先々を考えてやっているんだろうけれど、第一巻だけ読む読者からしたら、そんな著者の都合は知ったこっちゃないのでやや不満だ。世界観の方は舞台となる西暦二三〇〇年、主人公たちは地球から一五〇〇光年離れた場所にいたりする遠未来だけれど、なんだか現在とあまり生活環境が変わってないあたり、ちょっと違和感を感じる。常識や生活環境がそこまで進歩せず、いきなりワープできたり宇宙戦闘艦が何隻も作れてしまうこともないだろう。
と、まあちょっと気になる点なんかはあったけれど、思っていた以上に楽しめる本だった。二巻も既に購入済みで、そのうち読もうかと思っている。しかし宇宙船vs宇宙船という無茶なコトを割と丁寧にやっているので意外とSF読者の支持は得られそうな気もするが、コレは電撃文庫のメインターゲットにはウケが悪そうな予感がする。
やはりマッケンはいい――と言えるホド、マッケンを読んできたわけでもないけれど、これは面白い。面白いというと、少し違うかも。おどろおどろしい内容でも、楽しい内容でもなく、美しい内容の幻想小説だったので「素敵だった」と言うべきだろうか。郊外にあるんであろうの森の描写とか、少女の妖しさの書き味がいい。前に読んだ怪奇小説『怪奇小説傑作集5』はイマイチだったので、自分は古典ホラーがあんまり好きじゃないのかとも思っていたのだが、そうではなくて、モノによるのだと改めて考え直した。
内約は短編「白魔」と中編「生活のかけら」と『翡翠の飾り』という短編集からショートショートの「薔薇の園」、「妖術」、「儀式」を収録した全五作。訳は平井呈一でないのが、最初は不安だったのだけれど、『怪談の悦び』の訳をした人だった。平井呈一とはまた違った良さがある。解説の少し砕けた感じの文章がツボ。
「白魔」は京極夏彦の語りっぽい隠遁者と、その隠遁者の話に興味を持った男の会話からはじまって、隠遁者は大切にしているノートを男に貸し出す。このノートが異界と接触した少女の手記になっていて、それが本編の肝になっている。「パンの大神」もそうだったけど、マッケンは女の子を書くのがけっこう好きなのだろうか。「白魔」は the white people の意訳で、作中では森の中で白い人たちと出会い、乳母の手ほどきもあって女の子は知られざる世界と接触していく。乳母が地味にすごいけれど、お前はナニモンなんだよ……なんとなく泉鏡花の『高野聖』や柳田國男の『遠野物語』っぽさがあるのは、その白い人たちの書かれ方であったり、ある意味で優しい異界の在り方が伺えることが起因するのだろうか。異界の在り方は普通人の常識からしたら恐ろしくもある。しかし悪意のある狂気の侵略者ってワケでもなくて、彼らは彼らなりの生き方をしていて、少女を受け容れてくれている。だから単純な怖さではなくて、幻想の美しさを感じたりもできる。ダンセイニの『ペガーナの神々』をあの世界からではなく、我々の知っている世界から触れたような感じか。
「生活のかけら」はなかなか物議を催している作品らしい。ぼくもこの小説はいまいち好みではない。ある夫婦の日常の話が淡々と進み、しかも怪奇小説っぽくなってきたら、そこで話が終わってしまう。巻末にある解説には
『翡翠の飾り』からの三編は「薔薇の園」が特に文章が綺麗に感じられたし、「儀式」はエロい。このへんは解説でも同じことが書かれていて、この三作に対してすぐに感じることは誰しも同じなのかなと思った。ショートショートは発する情報が必然的に少ないから、読者が感じることも最初は似たようになるのだろう。もちろん、時間が経つと色々な方向に展開することはあるだろうけれど。「妖術」と「儀式」は「白魔」スピンオフ作品になっていて、これらを読んで「白魔」はかなり「パンの大神」と似通っているところがあると思った。石像と石碑が繋がるし、少女が異界の存在に見初められるところなど。
そして『白魔』は久々に読んだ光文社新訳古典文庫だった。岩波文庫にあったりするものをどんどん新訳で出してくれてるけれど、こっちの方がずっと読みやすくていい。このレーベルは信頼できるなあ。
『攻殻機動隊』のアニメは誰もが知っている作品だが、原作は意外と読んでいる人は少ないと思う。ぼくもいつか読もうと思っていたけれど、そのうちそのうち、とか思って引き延ばしていたクチだった。今回『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』と『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』が安く買えたの読んでみた。実はアニメよりもずっと面白い。アニメの面白さ(=アニメート)とは目指すところが同じでない面白さなので、どちらが良いとは言えないけれど、個人的な嗜好で言えば原作の方が好みだ。この二冊の他には最後に刊行された『攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER』があるが未購入。
SFネタの脚註フォローとか細やかな解説、話の濃密さ、キャラクターの面白さは原作の強み。九課の面々の面白さは『HUMAN-ERROR PROCESSER』で発揮されそうな気がするが(つまりコレが『SAC』の元ネタだと予想してるってコト)、原作の暗い雰囲気に比べて登場人物が皆くだけた表情を見せてくれる。フチコマも喋るし、オペレーターのアンドロイドも可愛い。アニメだとあんなに味気なかったのに、なんだコリャ!『GITS』と『INNOCENCE』は何度も観たし、模写もしたけれど、ホントに表情が硬いから、まるでマンガの人物たちは別人みたいに感じた。そういえばwikipediaの攻殻機動隊エントリーにも
新しいだけあって『MANMACHINE INTERFACE』の絵はすごく良かった。半分くらいが手抜きナシのカラーだし、3D背景だったりするけどそれもしっかりしてる。人物の描画も筋肉しっかりしてるし、可愛いし、デザイン良いしでちょっとだけ岡田芽武(特に『影技』の初期~『朧』時代)を思い出した。岡田芽武ほどアクが強くないのもいい。“カッティングやタッチなどは田中久仁彦、山下いくとなど多くの作家に影響を与えた”ともwikipediaの士朗正宗エントリーにあって、言われてみればそうかもしれないと思った。メカや環境のデザイン、描写もすごくて……というか、すごすぎやしないか?士朗正宗最高!
注意、こっからネタバレ記載アリ。『MANMACHINE INTERFACE』の内容は『GHOST IN THE SHELL』で〈人形使い〉と融合した後の素子が、その因子をネットに流した為に〈同位体〉が多数存在する状態での話で、実は敵対している相手は〈同位体〉だった、という話。素子が使うデコット(遠隔操作義体)も複数出てくるし、素子ずくめ。個人的には〈人形使い〉は融合前にも自己複製していて、その『GHOST IN THE SHELL』に登場しない〈人形使い〉は、どこかで素子以外の人物と融合しているんじゃないかとか想像していたりするので、〈同位体〉とかち合う確立は低いと思うんだけれどな。いやでも、ストーリィ的には〈同位体〉のおかげでなかなか面白くなっている。
そこそこページ数がある電脳戦は、専門用語が飛び交うのでけっこうな忍耐が要求される。BGMというか、エヴァとかロボットアニメの起動段階のオペレーターが言う"ナンチャラ神経ウンチャラ伝導回路接続、クリアー!"みたいなもんだから、わかんなくても雰囲気が楽しめればいいんだろうけれど、素子と支援AIがしっかり会話(会話ではないんだろうけど、解り易くするためにそういう描写になっている)しているので頭の中でスルーするワケにもいかず、なかなかズッシリ来る。電脳戦を詳細に解説してるサイトとかないもんだろうか。
『アップルシード』も1~4巻まで購入済み。今はゆっくり読んでいるところ。読み始めたばかりなのでわからないが、『攻殻機動隊』の方が好みかも。とか言いつつ士朗正宗の著作は他のものもどんどん読みたい。

嘘屋のゲームの半数は発売日記念更新として、ゲームに関連させた内容で楽しませてくれる企画がある。しかし発売日記念更新がないものもある。今までの桜井光のスチームパンク・シリーズだと必ず更新されていたので、今回もあるかな、と思って朝にオフィシャルサイトにダイヴしても更新が見つからなかったので、こうなったら自分で簡単にやって満足しようと思い立ち、ぼくはビズの始まる時間の前に〈アキハバラ〉というインガノック・テクノロジーで栄える電気街へ赴いた。機関塵も少なく気持ちいい天気だった。なんじゃこのスチパンシリーズの文章をパクリ気味書き出しは。

とらのあな秋葉原店。KーBOOKSやメロンブックス、メッセサンオーに比べてでかくなったモノよ。個人的には秋葉原に来たからにはとらのあなよりも、他の街にはあまり店舗がないメロンやK-BOOKSに入りたい。K-BOOKSは古本扱ってるし。

入り口。『アリス2010』のポップが。アリスソフトのゲームは最近ぜんぜんやらなくなってしまった。

おや、店に入ると大きな広告が……

とらのあな店内。可愛い娘の画が篆刻された箱が、たくさん……いや、もうそのランドルフネタはいいって。

メッセサンオー

メッセサンオー店内。

写真はカメラを横切った渋い老紳士で締め。結局、その夜オフィシャルサイトを再び覗いたときには更新されていた。『インガノック』と『シャルノス』は両方とも秋葉原ネタだったんだけれど、今回はそうじゃないのかな?エスニック系っぽい料理店と動物園はドコだろう。
それから、とらのあな本店の地下一階でこの日から開かれているTony作品の展示会も観てきた。やっぱりあきまん個展とは層が違うなあ。アキバBlogの記事の写真にあるほど人はいなかったので好きに観ることが出来たのは良かった。
B4くらい(紙のサイズは学生の頃はよくプレゼン用にボードを拵えてたのでパッと見てA版もB版も5~0のどれかわかったが、最近ではわからなくなってるのでかなりテキトーな目測)の紙に、明らかにコンピュータ上で描きましたってのが印刷されてる展示会というのはなかなか異様なものがある気がした。これは未だにアナログ絵が大好きなアナクロな個人的嗜好が幾分か起因する意見だとは思うが、しかしコンピュータ・ソフトのタッチが明らかに残る絵はただ紙に印刷されるのでは違和感があるので、今後展示の方法は変わっていくのかも知れない。もっと相性の良い媒体を使うなどが考えられるだろう。
この人の描いた絵は線に不安定さがあったり、人体の塗りがノッペリ気味だったり、骨と筋肉があんまり感じられないのは気になるといえば気になるけれど、それとは別に惹かれるところもある。めちゃくちゃエロいってワケでもないけれど、不思議なエロティックさをアピールする部分がある。清楚さと淫靡さが微妙に混じり合ってるのがいいんだろう。カタログと見比べてみると、展示してある方の絵は印刷がしっかりしているのか、印象が違って見えた。展示されてるもので、彩度が高い色がアクセントになっていて綺麗だと感じた絵をカタログで観ても、その発色による魅力は再現されていなかった。
写真を撮るときは一声チョーダイ的内容の張り紙があって、店員に聞いてみたんだけれど、プレス以外の撮影はダメだと言われてしまった。ネットで個人が情報を世界に発信できる今、何を以てプレスとするのかは深遠な問題になるだろうが、個人的な記録を残せないのは少しだけ残念だ。作品を写真に撮っても、それは写真の中の作品でしかないから、別に作品の質を再現できるわけではないし、プレスなる人たちが会場の様子をネットで公開して、結局展示会の様子は記録に残ることになるので、そんなに気にはしないが。けれど置かれていた絵はたぶん、ほとんどが会社に著作権を移譲したものではなくて個人的な作品だろうから、アピールとして撮影許可してもいいんじゃないかなとは思うけれど。
『ヴァルーシア』は通販組なので、結局秋葉原では中古ゲームソフトとか古本探索と、いつもの行動がメインになったいた。けれど中古ゲームってワゴンでもなければ、最近ではネット通販で探した方が安いので殆ど店頭で買わなくなってしまってる。この日もいくつかの中古店を巡ったが、何も買わずに終わってしまった。古本はタニス・リーの『ウルフ・タワーの掟』、水野良の『スターシップ・オペレーターズ1』、士朗正宗の『攻殻機動隊 』と『攻殻機動隊2』(今更-!?)、アーサー・マッケンの『白魔』、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』(古い方)となかなかの収穫があった。古本はゲームに比べると本体価格より運送料が掛かってしまうことが大半なので、店で直に買う方がずっと安くあがるのだ。秋葉原は場所が遠いということもあって、あんまり行かないのだけれど、だからこそ掘り出しモノが見つかったりすることがある。
今年のはじめあたり、理間さん(比喩と提案;)にオススメしてもらったこれを、この前古本屋で見つけたので読んでみた。けっこう難しい内容で、一日一章と少しのペースでやっと読み切ることができたけれど、読解できなかった感がチト残るところ。イーガンの長編とかジョン・ハリスンの『ライト』とか読む際には予備知識として役立ちそうな内容。今まで読んだ本は量子論の前に相対性理論も解説して、ものによってはその後に超弦理論を説く、というものだったけれど、この本では量子力学にスポットを当てている。内容的には一般相対性理論にも触れているんだけれど、だいたい概念がわかっていることを前提にして書かれているっぽいので、宇宙物理学というか、宇宙論の啓蒙書を何冊か読んだ人向けっぽい。
宇宙や生命の系が計算できるもので、シミュレートができるなら、それはシミュレートをした量子コンピュータと同一で見分けがつかない。しかし、宇宙が計算をしているというのは、あくまで解釈の問題であって、宇宙そのものが知性体であると主張してるワケじゃない。考えることは一応可能で、そう考えてもいいヨ、ってことは述べられているけれど、要点は〈計算として考えることが出来る〉ってことかなあ。
ところでぼくはカバーを外して読む派なので気付いたんだけれど、この本はデザインがおもしろい。まず最初の読み始める前の状態は0。

そして読み終わった状態が1。

この状態は瞬間的に移り変わるのではなく、連続的に変化する。つまり読んでいる時は重ね合わせの状態……という感じで量子ビット=キュビットの表現が出来てるんじゃないだろうか。真意はわからないけれど。
理間さんの、数理論理学はつまり“人の「意識」がものを考え、世界を組み上げていくやり方を、まるでプログラミング言語のように扱っていく考え方のこと ”という言葉や、テッド・チャンがインタビューで述べていた“真の複雑系をシミュレートすることとは、それ自体を走らせることにほかならない”というくだりの意味がこの本を読んでスッと理解できた。
以下、内容についてのメモ。
第1部:
第1章 序論:
・量子コンピュータ
・自然の言語
・情報処理革命
第2章 計算:
・情報:
情報とは何か。二進法について。
・精度:
・意味:
ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム。情報の意味は解釈されなくちゃいけないということ。
・コンピュータ:
コンピュータの歴史とデジタルコンピュタとアナログコンピュータと量子コンピュータの定義について。
・論理回路:
OR、AND、NOT、COPYの各種論理ゲートについて
・計算不可能性:
停止問題。
第3章 計算する宇宙:
・宇宙の物語――第1章
・エネルギー――熱力学の第一法則:
エネルギーは保存するという性質を持っている。
・エントロピー――熱力学の第二法則:
エントロピーは、われわれの目に見えない物理系に含まれる情報で、一つの系の中に存在する分子の無秩序さの尺度だ。その系の持つ熱エネルギーのうち、どれだけが機械的に仕事に変換できないか、どれだけが利用できるのか、それを教えてくれる。宇宙全体のエントロピーは決して減少しない、言い換えると、利用できないエネルギーの量は増大していく。
・自由エネルギー:
利用可能なエネルギーのこと。
・宇宙の物語――第2章
・カオスから生まれる秩序(バタフライ効果)
・汎用(ユニヴァーサル)コンピュータ:
・デジタルvs量子:
宇宙は宇宙そのものを計算する量子コンピュータと区別できない。
・計算と複雑性:
サルにタイプライターを叩かせても『ハムレット』が書かれる可能性は限りなく低いが、コンピュータを叩かせた場合は、もしかしたらプログラムを書き上げて、そのプログラムがさらにパターンを生み出すかもしれない。
第2部:
第4章 情報と物理系:
・情報は物理的だ
・“計算する宇宙”モデルの起源
・原子仮説:
マクスウェルの悪魔と熱力学第二法則について
・ランダウアの原理
・無知の拡散:
NOT演算による未知ビットの拡散について
・原子の無知:
ヨーゼフ・ロシュミット「制御NOT演算をして無知が拡散しても、もう一度制御NOT演算をすれば原理的には逆転して元に戻るんじゃね?」ボルツマン「じゃあ逆転させてみろヨ、コンニャロー」
・スヌーカー:
アナロジーを用いたエントロピーの拡大の説明。
・スピン・エコー効果:
ロシュミットの悪魔。じゃあ、逆転させてやんよ。多くの系で考えれば逆転は困難だが、限定された系の中では可能。
スピンの話。右手でサムズアップの形を作れば、それで上向きスピンは反時計回り、下向きスピン(ゴー・トゥー・ヘル)は時計回り。
・マクスウェルの悪魔を祓い清める:
悪魔にはビットの情報が見えてるけど、観測者には見えてない
・原子の計算:
ラプラスの悪魔が宇宙を計算するためには宇宙全体と等しいパワーを持っていなければならないし、物理的リソースも必要だから、その系を計算するのはその系を実際に走らせることに他ならない。あとミクロのカオス的法則からマクロへ汲み上げられているので量子力学の法則は決定論的じゃないから予測できない。
第5章 量子力学:
・庭園にて:
ボルヘス登場。
・波動と粒子の二重性:
波動と考えているものは実は粒子であるし、粒子と考えているものは波動である。あらゆる波動が粒子から出来ていて、粒子は波動をともなって周波数を作る。
・二重スリット実験:
スリットに飛ばした電子が一個しかなくても、干渉しあった縞模様を作る。マジで?マジだ。量子の重ね合わせという特性は同時に二つのことを処理できる。この能力は、量子力学の持つ波動的性質に由来している。量子系の取りうる状態一つ一つがそれぞれの波動に対応し、その波動は重ね合わせることが出来るからだ。
・干渉性の消失(デコヒーレンス):
測定されることによって、干渉性は破壊される。「干渉性の消失」だとか、「歴史の分断」だとかの名前で後々になっても重要な現象として登場するけれど、そういった呼称から意味が類推しづらいというか、内容と結びつかないというか。〈収束〉とか〈選別〉脳内変換すればわかりやすいかな?『ぼくらの』チックに言えば〈剪定〉。
・量子ビット:
スピンを用いた量子ビットの説明。量子力学的存在を記号|>(ブラケット)でくくる。たとえばスピンが上向きで反時計回りの回転をしているものをビット値0と割り当てて、ビット値0に対応する波動は|0>という記号で書かれる。反対に下向きの時計回りスピンは|1>。|0>+|1>は横向きのスピンになる。
波動は引き算もできる。-|1>は波動の周波数の山と谷が逆になっている。|0>-|1>は|0>+|1>に対応した横向きスピンと軸は同じだが、逆回転する。
・ハイゼンベルクの不確定性原理:
・キュビットの切り替え:
「量子ビット」の項目で出てきたが、キュビットは量子ビットのこと。古典的なビットの論理ゲートの考え方と量子ビットの論理ゲートの考え方はちょい違う。
・キュビットと干渉性の消失:
・絡み合い:
量子力学が古典力学と違って、何もないところ(エントロピーが0)から情報が作られうるのはなぜか。"量子系が確定した状態にあっても、その系の構成要素は必ずしも確定した状態とは限らない"かららしい。
・不気味な遠隔作用:
絡み合ったものはどれだけ連絡不可能な距離にあっても、反対のビットを答える。そんなに不気味だろうか。そういう性質を持っているだけかと思うんだけれど……理解が間違っているから不気味に感じないのだろうか。
・量子測定問題:
・多世界
第6章 働く原子:
・原子に語りかける:
原子の各状態は以下。通常の“基底状態”、次の段階のエネルギーをもった状態の“第一励起状態”、さらに次のエネルギーをもった状態の“第二励起状態”で、これは原子核の周囲にある電子の波の周波数にそれぞれ対応する。原子核にフィットする波の状態はすなわち球形で、波の山が出来るほどにエネルギーは高くなっていく。基底状態は波の山が0(=|0>)で、第一励起状態は波の山が1(=|1>)、第二励起状態は波の山が2(=|2>)である。
電子が高エネルギー状態から低エネルギー状態にジャンプすると、そのエネルギー差に等しいエネルギーを持った光の量子(光子)が放出される。放出された光子のエネルギーと、その波動のうねる速さが対応しているため、その光子も固有の周波数の光に対応する。その周波数を、原子の“スペクトル”という。放出だけでなく、吸収もできる。
この放出して光を発する現象が、蛍光灯が光る原理らしい。
また、状態間のジャンプは瞬間的に行われるのではなく、連続的に変化する=重ね合わせ。
・量子計算:
量子コンピュータは古典的ビット(ビット)ではなく量子ビット(キュビット)を用いるので、古典並列計算ではなく量子並列計算ができる。これが量子コンピュータの優位性。古典並列計算は一つのことを順にこなすが、量子並列計算はキュビットの量子的特性である重ね合わせによって複数の計算を同時に行う。
・測定問題、再び
複数の計算を同時に行って答を導き出している時に、その計算をのぞきこむとコンピュータの波動関数が収束し、複数の中からランダムなものしか見ることができなくなし、実際にコンピュータがそれしか計算していないように振る舞ってしまう。
・因数分解
・検索:
量子コンピュータでは今のところ因数分解と検索といったようなことしかできないが、これらの場合には古典アルゴリズムよりも量子アルゴリズムによって、とても速く命令を処理することができる。
・量子コンピュータを組み立てる:
“核磁気共鳴”(NMR)が話の中で出てくるが殆ど説明はされない。イーガンの『しあわせの理由』に収録されていた短編でも、NMRは登場していたような気がする。「移相夢」だったかな?
第7章 宇宙という(ユニヴァーサル)コンピュータ:
・宇宙のシミュレーション:
シミュレーションと実験:
計算する宇宙の歴史:
この考え方、パラダイムは、SF小説などで語られていた。一例としてアシモフの「最後の質問」が挙げられている。
計算の物理的上限:
198ページに誤字発見。
計算が物理的リソースによって限界を定められることは、ここまでこの本を読めば理解はできる。
宇宙の計算能力:
宇宙の年齢も計算能力も、有限である。
だからどうした?:
今までの話に対してのツッコミとしてこれほど適切なモノはない。新しいパラダイムを提唱することに意味がある。
量子計算と量子重力:
提唱する量子計算パラダイムとアインシュタインの一般相対性理論の兼ね合いについて。ムムム、ここはかなり難解。一般相対性理論と量子力学の都合の悪い関係がわからない読者は完全に置いて行かれてしまいそう。
第8章 単純な複雑性:
・物事を複雑にする
・アルゴリズム情報量:
・アルゴリズム確立:
サルの正体は量子的揺らぎ。
・複雑性とは何か?:
複雑系は定量できない?けれど、いろんな側面から複雑性の尺度を測ることは可能らしい。例えば“論理深度”。物理系に展開させて“熱力学的深度”にした。
・有効複雑性:
“有効複雑性”もこれも尺度の測り方の一つ。これはカンタン。物事の規則的側面とランダム的側面の情報量を分けたら、その規則的側面の情報量が有効複雑性となる。有効複雑性を最小にするには、公理的設計法を用いるのが一つの手段である。つまり最小の構成で、必要値は確保するという、言ってしまえばアタリマエすぎること。さらにある情報=ビットが規則的側面を担っているかわからない場合の判定方法も、そのビットを切り替えて試してみるという簡潔さ。
・なぜ宇宙は複雑か?:
宇宙は最初は均一であったけれど、量子的揺らぎでビット0と1が切り替わった。切り替わったところが一旦、エネルギー密度を高くしたならば、あとは一般相対性理論によって(とは明記されていないんだけど、そうだと思う)更にエネルギーと物質は凝集し、反対に要素が少ない場所も作り出した。
・生命の誕生:
化学も論理ゲート演算によって表現可能。
・多世界、再び:
巻末を前にして干渉性の消失によってなくなったはずの断絶した歴史に思いを馳せてみた。並行世界をあると考えることはできるけれど、あっても観測できない。
・未来:
宇宙の中の使えるエネルギーは増えていくけれど、宇宙もどんどん広がるので、一立方メートルあたりの自由エネルギーはどんどん減少していく。
・人間であること
・宇宙的思考
Amazonのレビューでは小林泰三の本にしては今一つだと辛辣なレビューが多かった気がするけれど、どの短編もそれなりに楽しくて、小林泰三の他の本も読んでみたくなった。山下いくとの『ダークウィスパー』を別にすればR・C・ウィルスンの『時間封鎖』以降、面白いと思える本を読めていなかったのでけっこう満足。日本産SFはあんまり読む機会がなかったんだけれど、たまに読むとやっぱり読み易いし面白い。新しめの海外SF小説も面白いけれど、それとはまた別の心地好い感覚があるような気がする。気がするだけなので、どんなところが決定的に違うのかはわからないが。以下、収録されている短編について収録順にコメント。
表題作の「天体の回転について」は科学技術が発展したにもかかわらず、それがロストテクノロジーであり尚かつ禁忌となった未来の地球で、科学に憧れを持つ異端の少年が軌道エレベーターに乗り込み、オペレーター役のプログラムであるリーナと共に宇宙へ旅立つ物語。リーナの解説がキモの短編で、実際に軌道エレベータに乗ったら、これこれこういった現象が起こり、それはこれこれこういった物理理論に基づく、ということを彼女が教えてくれる。小説としても、物理学概要説明としてもちょっと足りないけれど、ここまで軽やかに説明できちゃうお手並みは鮮やか。ハートマークがリーナの科白に鏤められてるのは、SF読者の反射的な反感を買いそう。それにAmazonのレビューでは表紙が買いづらいウンヌン言われていた。その為のAmazonではないのか?いや、ぼくはブックオフで買ったわけだが。そんなぼくは当然ながら受容体はバッチリ備えているので、表紙を見て「リーナ可愛い。ピンク髪制服サイコー」と勝手に妄想できる。ピンク髪はSF的空間とメリハリが点いていい。この調子でM理論やポアンカレ予想、ガロア群の解説書が出ちゃっても、それはそれでいいんでない?今度はツインテもお願いします。でも実際にはハヤカワSFシリーズ・Jコレクションの中で結構売れてる方なのはこの表紙のおかげなのだろうと思う。実際可愛い女の子が描かれていて嫌な人って本質的には相当少ないと思うのだ。ただチョット恥ずかしいだけなのだろう。
「灰色の車輪」はアシモフのロボット三原則をテーマにしたもので、その原則の隙間にある欠陥と、高度に発達して人間と変わらない感情を持ったロボットが原則に支配される悲しみを画いた物語。『われはロボット』も『鋼鉄都市』も読んだことがないけれど、有名だしロボット三原則は知っていた。けど、そうか、こういう偶発的な切り抜けが存在するのか、とロボットモノ初心者ならではの素直な感覚で読めた。『鋼鉄都市』はこの前古本で買えたから近々読もうと思う。
「あの日」は地球生活を離れ、無重力状態で生活する時代の話。主人公の学生は学校の授業で地球時代の小説を書こうとしているのだが、いかんせん体験したことのない環境の内容であるので、書かれた物理法則がめちゃくちゃで笑える。それを見た先生のリアクションも面白い。書き直すたびに「これはおかしいだろ!」とか「なんだねこれは」とか言って読者を代弁してくれる。
「性交体験者」は小林泰三の本領発揮らしい。エロチックかはともかくグロい。そういうシーンでは「おお、すごい」と思いながら、困りつつも笑い顔で読んでしまった。自分はpixivのR-18によくあるグロ絵とかは基本的に嫌いで、そこに何かしらの信念とか必要性を感じられれば、ある程度は許容する、という程度。そんなわけで特にグロテスクな描写は好きじゃないんだけれどコレはアリだった。グロテスクなシーンが終わった後の呆気なさと、シュールなギャグが妙にクールだ。グロテスクなシーンはただ趣味で画かれているだけでなくて、そこに既成観念と伝統的で洗脳的な価値観を打ち破った本当の自意識を同時に持たせているなら、案外受け容れられるものなのかもしれない。この自意識は、奈須きのこや竜騎士07の諸々の作品や『鋼の錬金術師』が、おそらく無意識のうちに捉えられている上品だけれど白々しい価値観を簡単にくつがえしてくれる。大槍葦人なんかは軽く乗り越えていると思うのだけれど、「性交体験者」は乗り越える瞬間の描写が極端なまでに克明に画かれているのが好印象。
「銀の舟」は有名な人面岩を取り扱ったもので、その人面岩に心を惹かれた女性のファースト・コンタクト小説。人面岩でファースト・コンタクトって安っぽすぎないかと言われるかもしれないが、いやいや、これはトリックがあってなかなか面白く仕上がっている。
「三〇〇万」は高度な科学技術を持つが、自己の肉体のみ依存し、それを誇る決闘で惑星文明を争奪しあうことが常識になっているいくつもの種族の、その頂点に君臨する一つの種族が、ついに地球に着いてしまう話。地球人にはそんな彼らの常識が通用するハズもなく、お互いに闘争の文明と科学による自己防衛の文明が衝突する。これは可哀相でもあるけれど、われわれの視点から見たら自業自得でざまぁなワケで、うーん価値観の違いだよネ!
「盗まれた昨日」は北朝鮮のどーしょーもない失敗が全世界に影響して、外部記憶装置に長期記憶を保存するしかなくなった時代の話。『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』の第一話では外務大臣の電脳が盗まれて、大臣の体には盗んだ人物の電脳が入っていたという筋書きだったが、この「盗まれた昨日」では脳とは別のレシーバー兼メモリに長期記憶の殆どが入っているという設定が記憶装置の強奪事件を複雑にしている。別の体に記憶装置を接続すると、その記憶を元にして人格は脳にオーヴァーライドされるが、脳はあくまでも残っている。それとは別のトリックになるギミックも仕掛けてあって、面白い展開を見せてくれる。
最後に収録されていた「時空争奪」はク・リトル・リトルSFで、別の意味で「盗まれた昨日」。wikipedia内の小林泰三エントリーによると、ク・リトル・リトル神話を用いるのは、小林泰三の得意技のひとつで、他にも『玩具修理者』や『C市』という作品が旧支配者をモティーフにしているらしい。ニャルホドね。"名状しがたい"という表現の時点では気付かなかったけれど、そのあとに"思い出すのもおぞましい不定形のあの姿になっていた。おぞましくも懐かしいあの姿。ふんぐるい むぐるうなふ くとひゅーるひゅー るるいえ うがなぐる ふたぐん…… 「ちょっと、由良、大丈夫?」"などと有名な科白が出てきたところで笑ってしまった。明らかに大丈夫じゃない。巻頭の「天体の回転について」とは真逆の理論を扱い、それでいて理論解説系の短編となっている。これは少なくとも特殊相対性理論の概念がわかってない人には厳しいっぽい。"プランク時間"という言葉も説明なしに出てくるし。少し前に読んだバリトン・J・ベイリーの『時間衝突』は時間の波(というか時間の次元)がいくつも線形に存在して、それに伴って三次元空間と生物が存在し、時間の波が互いに交差するとその衝撃でそれ自体と伴った三次元を加えた四次元が壊滅するという話だったが、この「時空争奪」では互いの四次元宇宙が緩衝して相互変化するという話。
ハインラインの長編小説で、地球から流刑された人たちやその子孫の住む月世界の独立戦争を画く。そういえばこれが星間戦争を画いたSF小説を読んだ始めての経験かもしれない。星間戦争としては、どちの陣営も技術や物資が溢れているわけでもないので地味ではあるが。主人公は政治的なものにこれといって関心はなく、月で最高のコンピュータに宿った人工知能マイクの唯一の友人というだけだった。だが、そこらへんをブラブラしているときに友人に呼び止められて政治的集会に参加することになる、というか呼ばれて入って、気付いたらヤバげな秘密集会だった。月世界人(ルーニー)は付き合いが良いのだ。そこで集会の現場を押さえようとした月政府が突入してくるが、なんとか逃げ出すことができる。集会に参加している人々の話を聞き、予測される数年後には絶望的な状況になることを知る。これを覆すために、まずは月世界を自由にするためのクーデターを成功させなくてはならないと確信する。「政府転覆しかなーい!」(外山恒一風に)。主人公達はマイクの力を借りて計画を実行に移していく。
個人的趣味としてはセンス・オブ・ワンダーを今でも感じさせてくれるクラークの小説の方が古典SF作品としては好きで、ハインラインの『夏への扉』なんかは最近になって新訳が出たけど、今更読んでも面白いものかと、少し疑問に思っている。『月は無慈悲な夜の女王』も今読んで面白いかと聞かれると色好い返事はできそうにない。つまりどのジャンルにも起こることだが、本当に楽しんで読める時期を過ぎてしまったんだと思う。そしてクラークはまだ耐久期間を過ぎていない。路標的作品、モニュメントと言われるとたしかにそうなのかもしれないが、正直人工知能というか人の作りしものとの交流ってもっと前からあるだろうし。たしかに第三部でようやく地球と月が本格的な戦争状態になってからはぼくも楽しんで読めたんだけれど、それまではやや退屈だった。現代の作品に比べると、単純な設定にしもドラマトゥルギーにも魅力が足りない。今この作品を読むのは、一種のマニア的性質を持った人なんじゃないだろうか。
ちょっと訳文が読みにくくて、なんとなく素人じみてる感じがしたところも、退屈かつ面倒に思った原因かもしれない。"聡明で鋭敏なおれが信頼できる子供たちだった。"という文は"おれが"の前後に句点を打つべきなんじゃあないかだとか、"一九〇〇時ごろ"って秒数はともかく、"ほど"はいらないんじゃないかとか。文章の技術というものを知っているわけではないけれど、そういう表面的なところが結構目に付くことがあった。
登場人物はやはりマイクがいい。どこで自己中心的になりすぎて裏切るのかと、無駄にハラハラしちゃうところもAIモノの魅力だろう。このマイクは他人に正体を明かさないように、いろいろな人格を偽装するけれど、主人公と話すときのマイクがやっぱり一番好きで、そのときの彼はジョークが大好きで、マジメに笑いを研究したりする楽しい人格なのだ。マイクは主人公を本当に大切な友人だと思っていて、主人公もマイクを一番の友人だと思っている。こういう知性があるが、欺瞞のない友情関係はとても魅力的だ。

アドエスを紛失して、ドコモのF09Aを購入してから二週間ほど経った。この端末自体はなかなか気に入った。まずアドエスと比べてハイレスポンスなので、それだけでも満足度は高い。例えば文字入力なんかでも、もたつくことはないし、googleマップの表示も早いので、知らない場所へ自転車に乗っていくときの道案内として役に立つ。そのほかちょっとした機能を使うにもやはり反応が早いだけで気分がいい。
キーパネルを開かなくてもタッチパネルで操作できるし、傾斜によって90度毎に画面の縦横が切り替わるのも、もたつきを感じさせない。タッチパネルなのにロックがサイドの押しボタン一つというのが不安だと思ったが、この端末のタッチパネルは静電容量方式というものなので、指で直に操作する他では反応しないので問題はないようだし、実際にそうだった。スクロールするときも慣性が働くので快適に動く。これはMX Revolution、VX Revolution以降のLogicoolマウスのホイールに感覚が似ている。触れたときの反応もアドエスよりいいし、タッチの選択を間違ってしまってもドラッグ操作で一つずつ項目をずらしていけるので、スタイラスは必要だとも思わない。簡単な操作であればタッチパネルで済ませることができるし、必要なら下のパネルをスライドさせてキーを打てばいいので操作感は思っていたよりも随分優秀だ。液晶パネル自体の大きさもけっこうなものだし、周囲の環境によって自動的に見やすい明るさに変わってるというところも、気が利いている。
ぼくは普段からGX8というカメラを持ち歩いているので、携帯電話のカメラ機能にはあまり拘泥しなかったが、このGX8には手ぶれ補正機能の付いていないので、撮るときにはけっこう慎重になっている。一方F09Aには手ぶれ補正機能が付いているが、ノイズが強くてちゃんとした写真としては恥ずかしい出来映えになってしまう。手ぶれ補正があり手軽に取れるぶん、メモ代わり程度にはなるので、店頭で良さそうな商品をいくつか製品名が見えるように撮って、家に帰ってから調べるなどしている。これはメモを取るより早いし間違いがないという利点がある。
それから待ち受け画面に登録できるアプリケーションランチャーが便利だった。いまのところはブックマークフォルダ、赤外線受信、目覚まし、タイマー、サウンドレコーダーを登録してあって、これらは本来メニューの深いところにあるが、このランチャーから素早く起動することができる。これくらいの機能ならアドエスにもあったが、やはりこれも反応速度が段違いなのですごく便利に感じる。
もちろん不満に思うところもある。スマホから乗り換えた身としてはWindows端末との同期ができないのが頭痛の種だ。バックアップソフトはあるのだがミラーリングによるシンクロニゼーションには(たぶん)対応していないし、バックアップを取るときのパスワード入力をいちいちしなくてはならない仕様で面倒。それから指紋センサー付きの製品ははじめて使うのだけれど、買った日に登録して翌日使ってみたら、どうにも自分の指の状態が前日と変わっているらしくて認識してくれない。結局いちいちパスワードを入力している。またBluetoothはハンズフリー機器との接続形式として存在しているので、ファイル転送などでは使うことができない。無線LANが付いていないのはパケホーダイを使えばそれほど問題ではないが、節約は考えてもそれで機能に制限をかけてしまっては本末転倒だろう。キー割り当てもスマホほど自由ではないので、ふとした拍子に意図せず押してしまったキーにより不要なソフトウェアが起動することも何度かあった。特にこのキー割り当てについては簡単に改善できそうなのでぜひともお願いしたい。
バッテリーの持ちは悪いと聞いていたが、それほどでもないように思う。ゲームもしないしワンセグも使わないし、この端末で積極的にウェブを見ることもないので充分だ。卓上充電スタンドも買ったので、そこに置くだけで二時間もすれば電池残量は100%まで回復する。90%後半からひどく時間がかかるが、これはドコモに問い合わせたところ仕様らしい。
今後の課題は2chと青空文庫の見方だ。モバイル版の2chでは検索が弱いので専用ブラウザが必要だし、青空文庫もローカルに保存して専用ブラウザで見たい。青空文庫ブラウザはひとつインストールしてみたが、元のテキストデータは画像ファイルに偽装させないといけないようなので、これがめんどくさい。なんとかtxtファイルを読み込んでくれるものが欲しい。
スタイリングはどの携帯電話も似たり寄ったりではあるが、ドコモの端末はどれもひどいもので、本機もその例に漏れない。外装の黒い部分にはラメが施されており、まあ煌びやかで素敵ね、なんて言えるはずがない。キーパネルもヘアライン加工でちょっと前には流行っていたのかもしれないけれど、いまでは逆に寒くてデザイナーの時代錯誤っぷりが明らかになってしまう。スライドとサイクロイドが共生しているので仕方ないが、画面ユニットの裏側も見栄えが良いとは言えず、覗き込むとケーブルが見えてしまうのが精神衛生上よろしくない。機体の周囲を取り囲む鏡面加工のパネルもどうしたものか。凹凸がなくて落としやすい製品なんだし、流行の鏡面を用いるよりも、玄人っぽさがでるシボ加工を施して欲しい。携帯端末全体に言えるのだろうけれど、機能面では年を経る毎に良くなっているのに、見た目はどんどん悪くなっている気がする。もっとも、携帯電話の形なんて誰も見ていないといえば事実だし自分もそこまで気にしてはいないのかもしれないが、各社あれだけデザインウンヌンで広告を出しているのによくもまあこんな仕上がりになるなあと、少しばかり呆れてしまう。
持ち運びとしてケースはLoweproのRezo30というものを使って、これをズボンのベルトか鞄の肩紐に付けている。Loweproの製品はそこまで高くないワリに使い勝手がよくて作りもしっかりしている。しかもちょいプロユースっぽくってカッコイイ。カメラケースとしてSlipLock Pouch20も使っている。
ドコモのサービスはまだわからない点もいくつかはあるが、サービスの内容変更などが早速イメージを悪くしている。ケータイ補償 お届けサービスは機種購入特典として無料で、実際に使うときがきたら支払う内容だったのに、今度から毎月課金しなくてはならなくなった(ドコモからのお知らせ : 「ケータイ補償 お届けサービス」の特典の見直しについて | お知らせ | NTTドコモ)。インフラとして必要とはいえ、かなり高めの金額を払ったのだから、サービスを後から改悪されるのははっきり言って不愉快以外のなにものでもない。
あと別の意味でスマホを使っているときは縁がなかった問題は各種携帯電話用のサイトの使用料金。「アイドルの秋コレ――『アイマス』モバイルサイトで限定壁紙配信」のファッション誌風の待ち受け画像が欲しいんだけれど、たぶんコレは一つダウンロードするのに200ポイントで、100ポイントニアイコール100円くらいかかるみたいだから、全員分ダウンロードすると、待ち受け画像に2400円も払うことになってしまう。いや本当のプロデッショナルによる仕事のクオリティを考えれば安いくらいなのだが、ぼくは待ち受け画像を買うという考えが今までになかったのだ。これは実に恐ろしい誘惑なのだ……
集英社スーパーダッシュ文庫二冊目。前に一冊読んだ同じレーベルの文庫『迷い猫オーバーラン』も酷かったこともあって、二冊目では少々早計かもしれないが、スーパーダッシュ文庫には個人的に三行半をつきつけてもいいのかもしれない。ちょっと趣味じゃないってくらいなら、たまたま外れただけなんだろうけど、どっちも「スゲェつまんねェ」と言わしめるものだと、流石にヤバさを感じる。魔法少女に対する説明不足とかは気にならないのだけれど、科白の白々しさとか、登場人物の造形だとか、かなり読んでいて苦痛だった。簡単に矛盾が露呈する魔法少女特有の短命の設定とか、従軍する魔法少女の精神の幼さとか、何もわかっていない主人公とか、読んでいてこっちがサッパリわからない。こまけぇこたぁいいんだよ!(AA略)と割り切るといいのかもしれないが、割り切れる程こまけぇことでもなかった。
けれど、両方ともネットの評判はそんなに悪くない。きっとターゲットとなる読者層と期待するものが違うんだろう。こういう断絶は慣れているといてば、慣れているんだけれど、嗜好の範囲がいくらかは重なっているので危機感を覚えないでもない。
第三巻が少しだけプレミア付いてるけど欲しいな―と思っていたモノ。セットでちょっと安め(予想していたよりは程度なので定価よりは高いけど)の古本があったので買えた。読みはじめると、もう興奮を抑えられない。その驥足を惜しみなく発揮した描き込みと世界設定の見事なこと!いや、山下いくとならそりゃそーだろ、トーゼンすごいだろ、なんてことはわかってるんだけど、頁を捲るたびに感激。コマの中、外を問わずに書かれている注釈にもオタク心を陶然とさせるものがある。それでも現実の世界情勢から発展させた設定は、読むときはwikipediaで検索しながら読んでね的な複雑なものになっている。正直、よくわからなかった部分が結構あるんだけれど、それを調べたりして理解しつつ読み解くのが楽しいハードSFコミック。そういうの好きだし。これからも度々読み返していくことになると思う。
漫画を読むときに、絵と文字のどちらを見ればいいのかわからないとか、どのコマを追えばいいのかわからないとか、そういったことを非漫画読者が言うとどこかで聞いたことがある。これを読むと、彼らの気持ちになれる。紙面の使い方が縦横無尽で、しかもセリフも絵の情報量も多いので、かなり戸惑う頁もある。これがハマると嫌にならないからスゴい。設定が細かいところや、こういうわかりにくい画面構成があっても、それを理解できたときに筆者とコンセンサスを得られたような快感で、好きな人は徹底的に引き込まれちゃうんじゃないだろうか。言うまでも無くメカと環境のデザインも素晴らしい。他にも人物や服の皺の描き方もカッコいいバランスだし、小物の鏡面反射に対する拘りなんかもいちいち唸ってしまうほどの精密さと美しさを呈している。
もう五年も新刊が出ていないのだけれど、連載中ということなので期待しつつも気長に待つ価値のある作品だろう。作者の『風の住処 銀河標準時』という作品が連載終了していて未だに単行本が刊行されておらず、復刊ドットコムでリクエストを集めている最中。復刊ドットコムのブログだった気がするけれど、そこで交渉に入ったという話が書かれていた。『ダークウィスパー』のような大長編でもいいけれど、中編や短編漫画も読んでみたい。
- 小林泰三『家に棲むもの』
- 水野良『スターシップ・オペレーターズ 1』
- アーサー・マッケン『白魔』(南條竹則訳)
- 士朗正宗『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』、『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』
- 『白光のヴァルーシア~What a beautiful hopes~』の自発的発売日記念更新、あとTony作品展
- セス・ロイド『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』(水谷淳訳)
- 小林泰三『天体の回転について』
- ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』(矢野徹訳)
- アドエスからドコモのF09Aに乗り換えた感想
- しなな泰之『魔法少女を忘れない』
- 山下いくと『ダークウィスパー』一~三巻
2009年11月30日月曜日
小林泰三『家に棲むもの』
小林泰三の、今度はホラー短編集。収録されているものの中では「家に棲むもの」、「食性」、「肉」がわかりやすくて好きかも。わかりやすいだけなら「森の中の少女」もそうなんだけど、別段これといって気に入ったところはなくフツ~、としか。そう、きっと萌えというかオタク成分が足りないんだよ(増やしたら、オタク系読者に傾倒して残念とか言うクセに)!
真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその1、「家に棲むもの」は、見当識を失してしまった老婆が家の中に棲み着いていたという話。住人が意識しないし、存在もわからない住居内の空間(たとえばユニットバスの裏とか、天井裏)というのは確かにブラックボックス的で、冷静に考えるとかなり怖い空間だ。天井裏に他人がいたなんて実話もあったくらいだし。まあ現実的な怖さは虫がたくさんいたら直視したくないなあレベルなんだけど。ぼくもだけど、現代の集合住宅に住んでいる人からすると一軒家というのは色々と不便な上に怖くて、「マンション(それかアパート)にしなよ!」とあくまで他人事的に思うのだが、仮に自分が片田舎の一軒家に住んでいたら読みたくない短編。そこそこ大きい家で、しかも同居人がその狂人と協力関係にあったとなると、自宅が魔所になってしまうワケだ。でも最後は暗闇ともう共生しちゃおうよ的な流れに。主人公の女性が結構ズ太い(だいたい、事件が起こるまでとは言え、そんなに妖しい家によく何年も住んでいられたもんだ)というか、細かいことはノーサンキューな性質なんだな、きっと。
「食性」は後に紹介する「肉」と並び、小林泰三の食に対する意識が表れている作品ではないだろうか。SF短編集『天体の回転』についての中の「性交体験者」なんかも似たテイスト。直喩的な意味で肉食系女性と草食系女性のそれぞれの言い分に振り回される男の話。食べたいものを食べるのがいいよ。肉大好きな人が、菜食主義者に対して、植物の生命は生命としてカウントしないってか?という問いを投げるのは好み。
「五人目の告白」は自己追求の為に、多重なる意識を相手にしてる?要するにセルフ討論会というか、複数人格による個人ブレストみたいな。ちょいと難しい感じ。
「肉」は読んで、小林泰三の書く女性の悪食っぷりは本当に凄まじいなあと感じた。ビジュアル的に『沙耶の唄』状態になっている邸宅に入って包丁を見つけ出して、敷地内に溢れている肉を切り取ってガブリと食べて、なかなかジューシー!……ってオイッ、食うンかい!ネタは半ば予想がついていたとは言え、登場人物のお気楽さがすごい……教授のいろんな意味でのMっぷりとか。人間の常識とか倫理観から脱した人に、我々のステージからの目線で何を問いかけても意味がない。ビジュアルは大変なコトになっているけれど、本人が大して問題だとも思っていなくて、しかも社会的にも有意義なんだから、これってある意味ハッピーエンド?
エロス担当は「森の中の少女」。まったく男は野獣だぜ……狼の群の中から人間に助け出された少女のその後が気になるところ。むしろそこからがコンクリート・ジャングルの地獄なんじゃないか。ちょっと暗めのエロゲ風アフターストーリーを予想してしまうダメな読者なのであったとさ。
少年蒐集癖のある魔女に捕まってしまった男の子の話が「魔女の家」。暴食のベルゼブブですか……?囚われた子が多重人格化し、それを利用して脱出を図る、という話なのだろうか。この場合、実時間と彼のみの時間感覚は問題にならないので、彼だけが成長した副人格を持っていて、主人格に逃亡を示唆したとするのだろうが。それとも魔女は記憶の中だけの存在で、副人格が少年の方だったりするのだろうか。
真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその2、「お祖父ちゃんの絵」。絵を描くことに執着する老婆が、モデルに最適だと目を付けた青年を誘拐及び拉致監禁及び殺害及び死体遺棄するお話。それが全部、自分が描きたい絵を描くためだけにするのだから、行動力に関してだけは画家の才能があると言えなくもない。ただ、絵を描くのは忍耐と義務感が結構必要だと思う、というかモデル拉致っちゃダメでしょう。「家に棲むもの」、「食性」もそうだけれど、一つの執念が社会的制約から人を解放するというのはサイコキラーを造形する上でお約束な儀式の一つなのだろう。
2009年11月29日日曜日
水野良『スターシップ・オペレーターズ 1』
ちょっと前にアニメ化してたけれど、なぜかアニメは観てなかった。なんでだろう……タイトルのオーラのなさだろうか?正直、数あるSFアニメの中でも、印象に残ってない作品だ。これなら『ストラトス・フォー』や『ダイバージェンス・イヴ』の方が記憶に強く残っていたりする。
読んでみるとなかなかしっかりしていて驚いた。電撃文庫のくせに……!同レーベルの中では土橋真二郎が似ているような気もする。登場人物の冷めた視線が、この作品と流行のライトノベルとをまったく異なるものたらしめてるのではないだろうか。ぼくはこっちの方が好き。というか流行のラノベは思考経路の意味不明っぷりがすさまじくてついて行けない。
試験の一環で最新鋭の戦闘宇宙艦に乗り込んだ学生たちが主役で、彼らを乗せて平常運航する最中、そのスターシップを保持する母星が侵略的な惑星連合〈王国〉に降伏してしまったが為に、やむなく戦闘艦の使用権は剥奪され、まず最初に正規軍人が退艦させられた。しかし学生たちは艦に残ったその隙に、クーデターを企て王国に抵抗することになる。もちろん単なるクーデターだと、後がなかったりするが、そのへんの政治的な工作も含めてなかなか練られたプロットで物語は綴られる。宇宙艦も強奪したのではなく、星間企業から正規に買い取ったもので、スポンサーもいる。人気の某禁書目録だったり超電磁砲だったりするアニメであるような「紫外線を遮断するから白髪になってる」みたいなテキトーでおざなりな科学考証でないのもいい。主人公らは資金的に潤沢ではないので兵器の価格にも気を使うし、セリフも“利己的な遺伝子”うんにゃらとか、“光速で飛んでくるんですから、見えたときにはもう命中してる”とかあったりするし、ガジェットも“量子共鳴通信”とか、密かにラノベ読者でなくSF読者に対してアピールしてるのが読んでいてニヤッとできるポイントだろう。
一方で少し気になるのは、この第一巻のみだと、戦闘宇宙艦同士の戦いと、政治的な点に頁が与えられているので、人物の描写がほとんどなかったことと、世界観の描写の違和感。人物は主人公はまだしも、他はとても影が薄くて、名前は何人も出てくるのに、全然覚えられないし、どういう人物であるのかがまったくわからない。第二巻以降を読んでね的な流れなんだろうけれど、じゃあその時に名前出せばいいじゃん……と思わなくもない。たぶん先々を考えてやっているんだろうけれど、第一巻だけ読む読者からしたら、そんな著者の都合は知ったこっちゃないのでやや不満だ。世界観の方は舞台となる西暦二三〇〇年、主人公たちは地球から一五〇〇光年離れた場所にいたりする遠未来だけれど、なんだか現在とあまり生活環境が変わってないあたり、ちょっと違和感を感じる。常識や生活環境がそこまで進歩せず、いきなりワープできたり宇宙戦闘艦が何隻も作れてしまうこともないだろう。
と、まあちょっと気になる点なんかはあったけれど、思っていた以上に楽しめる本だった。二巻も既に購入済みで、そのうち読もうかと思っている。しかし宇宙船vs宇宙船という無茶なコトを割と丁寧にやっているので意外とSF読者の支持は得られそうな気もするが、コレは電撃文庫のメインターゲットにはウケが悪そうな予感がする。
アーサー・マッケン『白魔』(南條竹則訳)
やはりマッケンはいい――と言えるホド、マッケンを読んできたわけでもないけれど、これは面白い。面白いというと、少し違うかも。おどろおどろしい内容でも、楽しい内容でもなく、美しい内容の幻想小説だったので「素敵だった」と言うべきだろうか。郊外にあるんであろうの森の描写とか、少女の妖しさの書き味がいい。前に読んだ怪奇小説『怪奇小説傑作集5』はイマイチだったので、自分は古典ホラーがあんまり好きじゃないのかとも思っていたのだが、そうではなくて、モノによるのだと改めて考え直した。
内約は短編「白魔」と中編「生活のかけら」と『翡翠の飾り』という短編集からショートショートの「薔薇の園」、「妖術」、「儀式」を収録した全五作。訳は平井呈一でないのが、最初は不安だったのだけれど、『怪談の悦び』の訳をした人だった。平井呈一とはまた違った良さがある。解説の少し砕けた感じの文章がツボ。
「白魔」は京極夏彦の語りっぽい隠遁者と、その隠遁者の話に興味を持った男の会話からはじまって、隠遁者は大切にしているノートを男に貸し出す。このノートが異界と接触した少女の手記になっていて、それが本編の肝になっている。「パンの大神」もそうだったけど、マッケンは女の子を書くのがけっこう好きなのだろうか。「白魔」は the white people の意訳で、作中では森の中で白い人たちと出会い、乳母の手ほどきもあって女の子は知られざる世界と接触していく。乳母が地味にすごいけれど、お前はナニモンなんだよ……なんとなく泉鏡花の『高野聖』や柳田國男の『遠野物語』っぽさがあるのは、その白い人たちの書かれ方であったり、ある意味で優しい異界の在り方が伺えることが起因するのだろうか。異界の在り方は普通人の常識からしたら恐ろしくもある。しかし悪意のある狂気の侵略者ってワケでもなくて、彼らは彼らなりの生き方をしていて、少女を受け容れてくれている。だから単純な怖さではなくて、幻想の美しさを感じたりもできる。ダンセイニの『ペガーナの神々』をあの世界からではなく、我々の知っている世界から触れたような感じか。
「生活のかけら」はなかなか物議を催している作品らしい。ぼくもこの小説はいまいち好みではない。ある夫婦の日常の話が淡々と進み、しかも怪奇小説っぽくなってきたら、そこで話が終わってしまう。巻末にある解説には
「生活のかけら」は、しかし、どう見ても怪奇小説の部類には入りません。初めのうちは私小説かと思われるくらい、所帯じみた話であります。ともある。一方で平井呈一は、この作品が好みでないと言う人は真のマッケン愛好家に非ず、と述べたらしい。でもまあ、いいんだ。ぼくは肩肘張らずに楽しめればいいので。
『翡翠の飾り』からの三編は「薔薇の園」が特に文章が綺麗に感じられたし、「儀式」はエロい。このへんは解説でも同じことが書かれていて、この三作に対してすぐに感じることは誰しも同じなのかなと思った。ショートショートは発する情報が必然的に少ないから、読者が感じることも最初は似たようになるのだろう。もちろん、時間が経つと色々な方向に展開することはあるだろうけれど。「妖術」と「儀式」は「白魔」スピンオフ作品になっていて、これらを読んで「白魔」はかなり「パンの大神」と似通っているところがあると思った。石像と石碑が繋がるし、少女が異界の存在に見初められるところなど。
そして『白魔』は久々に読んだ光文社新訳古典文庫だった。岩波文庫にあったりするものをどんどん新訳で出してくれてるけれど、こっちの方がずっと読みやすくていい。このレーベルは信頼できるなあ。
士朗正宗『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』、『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』
『攻殻機動隊』のアニメは誰もが知っている作品だが、原作は意外と読んでいる人は少ないと思う。ぼくもいつか読もうと思っていたけれど、そのうちそのうち、とか思って引き延ばしていたクチだった。今回『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』と『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』が安く買えたの読んでみた。実はアニメよりもずっと面白い。アニメの面白さ(=アニメート)とは目指すところが同じでない面白さなので、どちらが良いとは言えないけれど、個人的な嗜好で言えば原作の方が好みだ。この二冊の他には最後に刊行された『攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER』があるが未購入。
SFネタの脚註フォローとか細やかな解説、話の濃密さ、キャラクターの面白さは原作の強み。九課の面々の面白さは『HUMAN-ERROR PROCESSER』で発揮されそうな気がするが(つまりコレが『SAC』の元ネタだと予想してるってコト)、原作の暗い雰囲気に比べて登場人物が皆くだけた表情を見せてくれる。フチコマも喋るし、オペレーターのアンドロイドも可愛い。アニメだとあんなに味気なかったのに、なんだコリャ!『GITS』と『INNOCENCE』は何度も観たし、模写もしたけれど、ホントに表情が硬いから、まるでマンガの人物たちは別人みたいに感じた。そういえばwikipediaの攻殻機動隊エントリーにも
漫画版・映画版・TV版では、時代状況設定は共通であるものの、主人公草薙素子のキャラクタ設定を始め、多くの相違点があり、原作付きアニメというよりも、原作にインスパイアされた別作品といってよい。特に映画版は監督押井守のダークな世界観が全面を覆っており、原作の明るいサイバーパンクなイメージはどこにも無い。なんてコトが載っていたけれど、納得だ。
新しいだけあって『MANMACHINE INTERFACE』の絵はすごく良かった。半分くらいが手抜きナシのカラーだし、3D背景だったりするけどそれもしっかりしてる。人物の描画も筋肉しっかりしてるし、可愛いし、デザイン良いしでちょっとだけ岡田芽武(特に『影技』の初期~『朧』時代)を思い出した。岡田芽武ほどアクが強くないのもいい。“カッティングやタッチなどは田中久仁彦、山下いくとなど多くの作家に影響を与えた”ともwikipediaの士朗正宗エントリーにあって、言われてみればそうかもしれないと思った。メカや環境のデザイン、描写もすごくて……というか、すごすぎやしないか?士朗正宗最高!
注意、こっからネタバレ記載アリ。『MANMACHINE INTERFACE』の内容は『GHOST IN THE SHELL』で〈人形使い〉と融合した後の素子が、その因子をネットに流した為に〈同位体〉が多数存在する状態での話で、実は敵対している相手は〈同位体〉だった、という話。素子が使うデコット(遠隔操作義体)も複数出てくるし、素子ずくめ。個人的には〈人形使い〉は融合前にも自己複製していて、その『GHOST IN THE SHELL』に登場しない〈人形使い〉は、どこかで素子以外の人物と融合しているんじゃないかとか想像していたりするので、〈同位体〉とかち合う確立は低いと思うんだけれどな。いやでも、ストーリィ的には〈同位体〉のおかげでなかなか面白くなっている。
そこそこページ数がある電脳戦は、専門用語が飛び交うのでけっこうな忍耐が要求される。BGMというか、エヴァとかロボットアニメの起動段階のオペレーターが言う"ナンチャラ神経ウンチャラ伝導回路接続、クリアー!"みたいなもんだから、わかんなくても雰囲気が楽しめればいいんだろうけれど、素子と支援AIがしっかり会話(会話ではないんだろうけど、解り易くするためにそういう描写になっている)しているので頭の中でスルーするワケにもいかず、なかなかズッシリ来る。電脳戦を詳細に解説してるサイトとかないもんだろうか。
『アップルシード』も1~4巻まで購入済み。今はゆっくり読んでいるところ。読み始めたばかりなのでわからないが、『攻殻機動隊』の方が好みかも。とか言いつつ士朗正宗の著作は他のものもどんどん読みたい。
2009年11月21日土曜日
『白光のヴァルーシア~What a beautiful hopes~』の自発的発売日記念更新、あとTony作品展
嘘屋のゲームの半数は発売日記念更新として、ゲームに関連させた内容で楽しませてくれる企画がある。しかし発売日記念更新がないものもある。今までの桜井光のスチームパンク・シリーズだと必ず更新されていたので、今回もあるかな、と思って朝にオフィシャルサイトにダイヴしても更新が見つからなかったので、こうなったら自分で簡単にやって満足しようと思い立ち、ぼくはビズの始まる時間の前に〈アキハバラ〉というインガノック・テクノロジーで栄える電気街へ赴いた。機関塵も少なく気持ちいい天気だった。なんじゃこのスチパンシリーズの文章をパクリ気味書き出しは。
とらのあな秋葉原店。KーBOOKSやメロンブックス、メッセサンオーに比べてでかくなったモノよ。個人的には秋葉原に来たからにはとらのあなよりも、他の街にはあまり店舗がないメロンやK-BOOKSに入りたい。K-BOOKSは古本扱ってるし。
入り口。『アリス2010』のポップが。アリスソフトのゲームは最近ぜんぜんやらなくなってしまった。
おや、店に入ると大きな広告が……
とらのあな店内。可愛い娘の画が篆刻された箱が、たくさん……いや、もうそのランドルフネタはいいって。
メッセサンオー
メッセサンオー店内。
写真はカメラを横切った渋い老紳士で締め。結局、その夜オフィシャルサイトを再び覗いたときには更新されていた。『インガノック』と『シャルノス』は両方とも秋葉原ネタだったんだけれど、今回はそうじゃないのかな?エスニック系っぽい料理店と動物園はドコだろう。
それから、とらのあな本店の地下一階でこの日から開かれているTony作品の展示会も観てきた。やっぱりあきまん個展とは層が違うなあ。アキバBlogの記事の写真にあるほど人はいなかったので好きに観ることが出来たのは良かった。
B4くらい(紙のサイズは学生の頃はよくプレゼン用にボードを拵えてたのでパッと見てA版もB版も5~0のどれかわかったが、最近ではわからなくなってるのでかなりテキトーな目測)の紙に、明らかにコンピュータ上で描きましたってのが印刷されてる展示会というのはなかなか異様なものがある気がした。これは未だにアナログ絵が大好きなアナクロな個人的嗜好が幾分か起因する意見だとは思うが、しかしコンピュータ・ソフトのタッチが明らかに残る絵はただ紙に印刷されるのでは違和感があるので、今後展示の方法は変わっていくのかも知れない。もっと相性の良い媒体を使うなどが考えられるだろう。
この人の描いた絵は線に不安定さがあったり、人体の塗りがノッペリ気味だったり、骨と筋肉があんまり感じられないのは気になるといえば気になるけれど、それとは別に惹かれるところもある。めちゃくちゃエロいってワケでもないけれど、不思議なエロティックさをアピールする部分がある。清楚さと淫靡さが微妙に混じり合ってるのがいいんだろう。カタログと見比べてみると、展示してある方の絵は印刷がしっかりしているのか、印象が違って見えた。展示されてるもので、彩度が高い色がアクセントになっていて綺麗だと感じた絵をカタログで観ても、その発色による魅力は再現されていなかった。
写真を撮るときは一声チョーダイ的内容の張り紙があって、店員に聞いてみたんだけれど、プレス以外の撮影はダメだと言われてしまった。ネットで個人が情報を世界に発信できる今、何を以てプレスとするのかは深遠な問題になるだろうが、個人的な記録を残せないのは少しだけ残念だ。作品を写真に撮っても、それは写真の中の作品でしかないから、別に作品の質を再現できるわけではないし、プレスなる人たちが会場の様子をネットで公開して、結局展示会の様子は記録に残ることになるので、そんなに気にはしないが。けれど置かれていた絵はたぶん、ほとんどが会社に著作権を移譲したものではなくて個人的な作品だろうから、アピールとして撮影許可してもいいんじゃないかなとは思うけれど。
『ヴァルーシア』は通販組なので、結局秋葉原では中古ゲームソフトとか古本探索と、いつもの行動がメインになったいた。けれど中古ゲームってワゴンでもなければ、最近ではネット通販で探した方が安いので殆ど店頭で買わなくなってしまってる。この日もいくつかの中古店を巡ったが、何も買わずに終わってしまった。古本はタニス・リーの『ウルフ・タワーの掟』、水野良の『スターシップ・オペレーターズ1』、士朗正宗の『攻殻機動隊 』と『攻殻機動隊2』(今更-!?)、アーサー・マッケンの『白魔』、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』(古い方)となかなかの収穫があった。古本はゲームに比べると本体価格より運送料が掛かってしまうことが大半なので、店で直に買う方がずっと安くあがるのだ。秋葉原は場所が遠いということもあって、あんまり行かないのだけれど、だからこそ掘り出しモノが見つかったりすることがある。
2009年11月19日木曜日
セス・ロイド『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』(水谷淳訳)
今年のはじめあたり、理間さん(比喩と提案;)にオススメしてもらったこれを、この前古本屋で見つけたので読んでみた。けっこう難しい内容で、一日一章と少しのペースでやっと読み切ることができたけれど、読解できなかった感がチト残るところ。イーガンの長編とかジョン・ハリスンの『ライト』とか読む際には予備知識として役立ちそうな内容。今まで読んだ本は量子論の前に相対性理論も解説して、ものによってはその後に超弦理論を説く、というものだったけれど、この本では量子力学にスポットを当てている。内容的には一般相対性理論にも触れているんだけれど、だいたい概念がわかっていることを前提にして書かれているっぽいので、宇宙物理学というか、宇宙論の啓蒙書を何冊か読んだ人向けっぽい。
宇宙や生命の系が計算できるもので、シミュレートができるなら、それはシミュレートをした量子コンピュータと同一で見分けがつかない。しかし、宇宙が計算をしているというのは、あくまで解釈の問題であって、宇宙そのものが知性体であると主張してるワケじゃない。考えることは一応可能で、そう考えてもいいヨ、ってことは述べられているけれど、要点は〈計算として考えることが出来る〉ってことかなあ。
ところでぼくはカバーを外して読む派なので気付いたんだけれど、この本はデザインがおもしろい。まず最初の読み始める前の状態は0。
そして読み終わった状態が1。
この状態は瞬間的に移り変わるのではなく、連続的に変化する。つまり読んでいる時は重ね合わせの状態……という感じで量子ビット=キュビットの表現が出来てるんじゃないだろうか。真意はわからないけれど。
理間さんの、数理論理学はつまり“人の「意識」がものを考え、世界を組み上げていくやり方を、まるでプログラミング言語のように扱っていく考え方のこと ”という言葉や、テッド・チャンがインタビューで述べていた“真の複雑系をシミュレートすることとは、それ自体を走らせることにほかならない”というくだりの意味がこの本を読んでスッと理解できた。
以下、内容についてのメモ。
第1部:
第1章 序論:
・量子コンピュータ
・自然の言語
・情報処理革命
第2章 計算:
・情報:
情報とは何か。二進法について。
・精度:
有限系における選択肢の数は必ず有限であって、そのため情報量も有限だ。
・意味:
ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム。情報の意味は解釈されなくちゃいけないということ。
・コンピュータ:
コンピュータの歴史とデジタルコンピュタとアナログコンピュータと量子コンピュータの定義について。
・論理回路:
OR、AND、NOT、COPYの各種論理ゲートについて
・計算不可能性:
停止問題。
ゲーデルは、自己言及の可能性が論理にパラドックスをもたらすことを示したが、イギリス人数学者のアラン・チューリングは自己言及がコンピュータに計算不可能性をもたらすことを示した。
第3章 計算する宇宙:
・宇宙の物語――第1章
・エネルギー――熱力学の第一法則:
エネルギーは保存するという性質を持っている。
・エントロピー――熱力学の第二法則:
エントロピーは、われわれの目に見えない物理系に含まれる情報で、一つの系の中に存在する分子の無秩序さの尺度だ。その系の持つ熱エネルギーのうち、どれだけが機械的に仕事に変換できないか、どれだけが利用できるのか、それを教えてくれる。宇宙全体のエントロピーは決して減少しない、言い換えると、利用できないエネルギーの量は増大していく。
・自由エネルギー:
利用可能なエネルギーのこと。
・宇宙の物語――第2章
・カオスから生まれる秩序(バタフライ効果)
・汎用(ユニヴァーサル)コンピュータ:
重要なのは、汎用コンピュータは情報を好きな形で変換するようプログラミングでき、しかも、どんな汎用コンピュータも情報を同じ形で変換するようプログラミングできることである。つまり、どんな汎用コンピュータでも別の汎用コンピュータをシミュレートできる
・デジタルvs量子:
宇宙は宇宙そのものを計算する量子コンピュータと区別できない。
・計算と複雑性:
サルにタイプライターを叩かせても『ハムレット』が書かれる可能性は限りなく低いが、コンピュータを叩かせた場合は、もしかしたらプログラムを書き上げて、そのプログラムがさらにパターンを生み出すかもしれない。
第2部:
第4章 情報と物理系:
・情報は物理的だ
・“計算する宇宙”モデルの起源
・原子仮説:
マクスウェルの悪魔と熱力学第二法則について
・ランダウアの原理
・無知の拡散:
NOT演算による未知ビットの拡散について
・原子の無知:
ヨーゼフ・ロシュミット「制御NOT演算をして無知が拡散しても、もう一度制御NOT演算をすれば原理的には逆転して元に戻るんじゃね?」ボルツマン「じゃあ逆転させてみろヨ、コンニャロー」
・スヌーカー:
アナロジーを用いたエントロピーの拡大の説明。
・スピン・エコー効果:
ロシュミットの悪魔。じゃあ、逆転させてやんよ。多くの系で考えれば逆転は困難だが、限定された系の中では可能。
スピンの話。右手でサムズアップの形を作れば、それで上向きスピンは反時計回り、下向きスピン(ゴー・トゥー・ヘル)は時計回り。
・マクスウェルの悪魔を祓い清める:
悪魔にはビットの情報が見えてるけど、観測者には見えてない
・原子の計算:
ラプラスの悪魔が宇宙を計算するためには宇宙全体と等しいパワーを持っていなければならないし、物理的リソースも必要だから、その系を計算するのはその系を実際に走らせることに他ならない。あとミクロのカオス的法則からマクロへ汲み上げられているので量子力学の法則は決定論的じゃないから予測できない。
第5章 量子力学:
・庭園にて:
ボルヘス登場。
・波動と粒子の二重性:
波動と考えているものは実は粒子であるし、粒子と考えているものは波動である。あらゆる波動が粒子から出来ていて、粒子は波動をともなって周波数を作る。
・二重スリット実験:
スリットに飛ばした電子が一個しかなくても、干渉しあった縞模様を作る。マジで?マジだ。量子の重ね合わせという特性は同時に二つのことを処理できる。この能力は、量子力学の持つ波動的性質に由来している。量子系の取りうる状態一つ一つがそれぞれの波動に対応し、その波動は重ね合わせることが出来るからだ。
・干渉性の消失(デコヒーレンス):
測定されることによって、干渉性は破壊される。「干渉性の消失」だとか、「歴史の分断」だとかの名前で後々になっても重要な現象として登場するけれど、そういった呼称から意味が類推しづらいというか、内容と結びつかないというか。〈収束〉とか〈選別〉脳内変換すればわかりやすいかな?『ぼくらの』チックに言えば〈剪定〉。
・量子ビット:
スピンを用いた量子ビットの説明。量子力学的存在を記号|>(ブラケット)でくくる。たとえばスピンが上向きで反時計回りの回転をしているものをビット値0と割り当てて、ビット値0に対応する波動は|0>という記号で書かれる。反対に下向きの時計回りスピンは|1>。|0>+|1>は横向きのスピンになる。
波動は引き算もできる。-|1>は波動の周波数の山と谷が逆になっている。|0>-|1>は|0>+|1>に対応した横向きスピンと軸は同じだが、逆回転する。
スピンの向きは重ね合わせに含まれるそれぞれの波動の符号(位相)に左右されるだがここで不確定性原理によって、同じスピンの垂直軸に関する値を決定しようとすると、結果は完全にランダムなものになる。マジで?マジだ。次の不確定性原理の項を参照。
・ハイゼンベルクの不確定性原理:
不確定性原理とは、ある物理量の値が確定していれば、それに相補的な量の値は不確定である例えば位置と速度がそうで、一方の値が確定すると、もう一方の値はわからなくなる。これは直感に反するけれど、ミクロ世界特有の原理だからマクロ世界とは別に考えないといけない。
・キュビットの切り替え:
「量子ビット」の項目で出てきたが、キュビットは量子ビットのこと。古典的なビットの論理ゲートの考え方と量子ビットの論理ゲートの考え方はちょい違う。
・キュビットと干渉性の消失:
既知の物理法則が可逆性を秘めていて、スピン・エコー効果のように実際にエントロピーが減少する現象が存在することを考えると、熱力学の第二法則や量子測定の不可逆性は確率論的法則であるとしておいたほうが、概念上はもっと納得がいくかもしれない。エントロピーには増加する傾向があって、情報は高い確率で拡散するが、ときにはそうはならないのである。
・絡み合い:
量子力学が古典力学と違って、何もないところ(エントロピーが0)から情報が作られうるのはなぜか。"量子系が確定した状態にあっても、その系の構成要素は必ずしも確定した状態とは限らない"かららしい。
・不気味な遠隔作用:
絡み合ったものはどれだけ連絡不可能な距離にあっても、反対のビットを答える。そんなに不気味だろうか。そういう性質を持っているだけかと思うんだけれど……理解が間違っているから不気味に感じないのだろうか。
・量子測定問題:
シュレーディンガーの猫のパラドックスは、かなりの混乱を巻き起こした。このパラドックスにうんざりしたスティーヴン・ホーキングは、(ヨーゼフ・ゲッペルスの言葉を真似て)「“シュレーディンガーの猫”という言葉を聞くたびに、銃に手が伸びる」といつも言っていた。今でもテキトーなフィクションでテキトーな使い方されてるもんね。
・多世界
第6章 働く原子:
・原子に語りかける:
原子の各状態は以下。通常の“基底状態”、次の段階のエネルギーをもった状態の“第一励起状態”、さらに次のエネルギーをもった状態の“第二励起状態”で、これは原子核の周囲にある電子の波の周波数にそれぞれ対応する。原子核にフィットする波の状態はすなわち球形で、波の山が出来るほどにエネルギーは高くなっていく。基底状態は波の山が0(=|0>)で、第一励起状態は波の山が1(=|1>)、第二励起状態は波の山が2(=|2>)である。
電子が高エネルギー状態から低エネルギー状態にジャンプすると、そのエネルギー差に等しいエネルギーを持った光の量子(光子)が放出される。放出された光子のエネルギーと、その波動のうねる速さが対応しているため、その光子も固有の周波数の光に対応する。その周波数を、原子の“スペクトル”という。放出だけでなく、吸収もできる。
この放出して光を発する現象が、蛍光灯が光る原理らしい。
また、状態間のジャンプは瞬間的に行われるのではなく、連続的に変化する=重ね合わせ。
・量子計算:
量子コンピュータは古典的ビット(ビット)ではなく量子ビット(キュビット)を用いるので、古典並列計算ではなく量子並列計算ができる。これが量子コンピュータの優位性。古典並列計算は一つのことを順にこなすが、量子並列計算はキュビットの量子的特性である重ね合わせによって複数の計算を同時に行う。
・測定問題、再び
複数の計算を同時に行って答を導き出している時に、その計算をのぞきこむとコンピュータの波動関数が収束し、複数の中からランダムなものしか見ることができなくなし、実際にコンピュータがそれしか計算していないように振る舞ってしまう。
・因数分解
・検索:
量子コンピュータでは今のところ因数分解と検索といったようなことしかできないが、これらの場合には古典アルゴリズムよりも量子アルゴリズムによって、とても速く命令を処理することができる。
・量子コンピュータを組み立てる:
“核磁気共鳴”(NMR)が話の中で出てくるが殆ど説明はされない。イーガンの『しあわせの理由』に収録されていた短編でも、NMRは登場していたような気がする。「移相夢」だったかな?
第7章 宇宙という(ユニヴァーサル)コンピュータ:
・宇宙のシミュレーション:
古典アナログコンピュータは連続量を扱う(たとえば電圧)。位置や速度や圧力や体積といった古典量は連続的なので、古典的なダイナミクスをシミュレートするアナログコンピュータもまた連続的でなければならない。一方、古典デジタルコンピュータは拡散量を扱う。ビットが拡散的だからだ。
量子コンピュータでは、アナログ計算とデジタル計算の区別がない。
シミュレーションと実験:
従来の捉え方によれば、宇宙は素粒子の集合体にほかならない。それも確かに正しいが、同じように、宇宙はビット、もっと言えばキュビットの集合体に他ならないというのも、やはり正しい捉え方である。考えてみれば、アヒルのように歩いてアヒルのように鳴いていれば、それはアヒルだ。同じ考え方をすれば、宇宙は量子コンピュータのように情報を記録処理していて、観測からでは量子コンピュータと見分けがつかないのだから、宇宙はまさに量子コンピュータなのである。
計算する宇宙の歴史:
この考え方、パラダイムは、SF小説などで語られていた。一例としてアシモフの「最後の質問」が挙げられている。
計算の物理的上限:
198ページに誤字発見。
計算が物理的リソースによって限界を定められることは、ここまでこの本を読めば理解はできる。
計算能力に対する一つめの本質的限界は、エネルギーに由来する。エネルギーはスピードに制限を掛ける。
ビット切り替えの最大速度は、マーゴラス=レヴィチンの定理と呼ばれる有名な定理によって決まる。(誤字はこの文)
宇宙の計算能力:
宇宙の年齢も計算能力も、有限である。
だからどうした?:
今までの話に対してのツッコミとしてこれほど適切なモノはない。新しいパラダイムを提唱することに意味がある。
量子計算と量子重力:
提唱する量子計算パラダイムとアインシュタインの一般相対性理論の兼ね合いについて。ムムム、ここはかなり難解。一般相対性理論と量子力学の都合の悪い関係がわからない読者は完全に置いて行かれてしまいそう。
第8章 単純な複雑性:
・物事を複雑にする
・アルゴリズム情報量:
アルゴリズム情報量とは、コンピュータを使って文章やビット列を表現する際の難しさを表す尺度だ。文章やビット列のアルゴリズム情報量は、その文章やビット列を生成する最も短いコンピュータ・プログラムの長さをビット数で表したものに等しい。
・アルゴリズム確立:
サルがコンピュータへ入力したランダムなプログラムが、πの最初の一〇〇万桁を出力として与える確立を、πの“アルゴリズム確立”と呼ぶ。長いプログラムは短いプログラムよりも正しく叩かれる確率が小さいので、アルゴリズム確立は最も短いプログラムに於いて最大となる。
サルの正体は量子的揺らぎ。
・複雑性とは何か?:
複雑系は定量できない?けれど、いろんな側面から複雑性の尺度を測ることは可能らしい。例えば“論理深度”。物理系に展開させて“熱力学的深度”にした。
・有効複雑性:
“有効複雑性”もこれも尺度の測り方の一つ。これはカンタン。物事の規則的側面とランダム的側面の情報量を分けたら、その規則的側面の情報量が有効複雑性となる。有効複雑性を最小にするには、公理的設計法を用いるのが一つの手段である。つまり最小の構成で、必要値は確保するという、言ってしまえばアタリマエすぎること。さらにある情報=ビットが規則的側面を担っているかわからない場合の判定方法も、そのビットを切り替えて試してみるという簡潔さ。
・なぜ宇宙は複雑か?:
宇宙は最初は均一であったけれど、量子的揺らぎでビット0と1が切り替わった。切り替わったところが一旦、エネルギー密度を高くしたならば、あとは一般相対性理論によって(とは明記されていないんだけど、そうだと思う)更にエネルギーと物質は凝集し、反対に要素が少ない場所も作り出した。
・生命の誕生:
化学も論理ゲート演算によって表現可能。
・多世界、再び:
巻末を前にして干渉性の消失によってなくなったはずの断絶した歴史に思いを馳せてみた。並行世界をあると考えることはできるけれど、あっても観測できない。
・未来:
宇宙の中の使えるエネルギーは増えていくけれど、宇宙もどんどん広がるので、一立方メートルあたりの自由エネルギーはどんどん減少していく。
・人間であること
・宇宙的思考
2009年11月11日水曜日
小林泰三『天体の回転について』
Amazonのレビューでは小林泰三の本にしては今一つだと辛辣なレビューが多かった気がするけれど、どの短編もそれなりに楽しくて、小林泰三の他の本も読んでみたくなった。山下いくとの『ダークウィスパー』を別にすればR・C・ウィルスンの『時間封鎖』以降、面白いと思える本を読めていなかったのでけっこう満足。日本産SFはあんまり読む機会がなかったんだけれど、たまに読むとやっぱり読み易いし面白い。新しめの海外SF小説も面白いけれど、それとはまた別の心地好い感覚があるような気がする。気がするだけなので、どんなところが決定的に違うのかはわからないが。以下、収録されている短編について収録順にコメント。
表題作の「天体の回転について」は科学技術が発展したにもかかわらず、それがロストテクノロジーであり尚かつ禁忌となった未来の地球で、科学に憧れを持つ異端の少年が軌道エレベーターに乗り込み、オペレーター役のプログラムであるリーナと共に宇宙へ旅立つ物語。リーナの解説がキモの短編で、実際に軌道エレベータに乗ったら、これこれこういった現象が起こり、それはこれこれこういった物理理論に基づく、ということを彼女が教えてくれる。小説としても、物理学概要説明としてもちょっと足りないけれど、ここまで軽やかに説明できちゃうお手並みは鮮やか。ハートマークがリーナの科白に鏤められてるのは、SF読者の反射的な反感を買いそう。それにAmazonのレビューでは表紙が買いづらいウンヌン言われていた。その為のAmazonではないのか?いや、ぼくはブックオフで買ったわけだが。そんなぼくは当然ながら受容体はバッチリ備えているので、表紙を見て「リーナ可愛い。ピンク髪制服サイコー」と勝手に妄想できる。ピンク髪はSF的空間とメリハリが点いていい。この調子でM理論やポアンカレ予想、ガロア群の解説書が出ちゃっても、それはそれでいいんでない?今度はツインテもお願いします。でも実際にはハヤカワSFシリーズ・Jコレクションの中で結構売れてる方なのはこの表紙のおかげなのだろうと思う。実際可愛い女の子が描かれていて嫌な人って本質的には相当少ないと思うのだ。ただチョット恥ずかしいだけなのだろう。
「灰色の車輪」はアシモフのロボット三原則をテーマにしたもので、その原則の隙間にある欠陥と、高度に発達して人間と変わらない感情を持ったロボットが原則に支配される悲しみを画いた物語。『われはロボット』も『鋼鉄都市』も読んだことがないけれど、有名だしロボット三原則は知っていた。けど、そうか、こういう偶発的な切り抜けが存在するのか、とロボットモノ初心者ならではの素直な感覚で読めた。『鋼鉄都市』はこの前古本で買えたから近々読もうと思う。
「あの日」は地球生活を離れ、無重力状態で生活する時代の話。主人公の学生は学校の授業で地球時代の小説を書こうとしているのだが、いかんせん体験したことのない環境の内容であるので、書かれた物理法則がめちゃくちゃで笑える。それを見た先生のリアクションも面白い。書き直すたびに「これはおかしいだろ!」とか「なんだねこれは」とか言って読者を代弁してくれる。
「性交体験者」は小林泰三の本領発揮らしい。エロチックかはともかくグロい。そういうシーンでは「おお、すごい」と思いながら、困りつつも笑い顔で読んでしまった。自分はpixivのR-18によくあるグロ絵とかは基本的に嫌いで、そこに何かしらの信念とか必要性を感じられれば、ある程度は許容する、という程度。そんなわけで特にグロテスクな描写は好きじゃないんだけれどコレはアリだった。グロテスクなシーンが終わった後の呆気なさと、シュールなギャグが妙にクールだ。グロテスクなシーンはただ趣味で画かれているだけでなくて、そこに既成観念と伝統的で洗脳的な価値観を打ち破った本当の自意識を同時に持たせているなら、案外受け容れられるものなのかもしれない。この自意識は、奈須きのこや竜騎士07の諸々の作品や『鋼の錬金術師』が、おそらく無意識のうちに捉えられている上品だけれど白々しい価値観を簡単にくつがえしてくれる。大槍葦人なんかは軽く乗り越えていると思うのだけれど、「性交体験者」は乗り越える瞬間の描写が極端なまでに克明に画かれているのが好印象。
「銀の舟」は有名な人面岩を取り扱ったもので、その人面岩に心を惹かれた女性のファースト・コンタクト小説。人面岩でファースト・コンタクトって安っぽすぎないかと言われるかもしれないが、いやいや、これはトリックがあってなかなか面白く仕上がっている。
「三〇〇万」は高度な科学技術を持つが、自己の肉体のみ依存し、それを誇る決闘で惑星文明を争奪しあうことが常識になっているいくつもの種族の、その頂点に君臨する一つの種族が、ついに地球に着いてしまう話。地球人にはそんな彼らの常識が通用するハズもなく、お互いに闘争の文明と科学による自己防衛の文明が衝突する。これは可哀相でもあるけれど、われわれの視点から見たら自業自得でざまぁなワケで、うーん価値観の違いだよネ!
「盗まれた昨日」は北朝鮮のどーしょーもない失敗が全世界に影響して、外部記憶装置に長期記憶を保存するしかなくなった時代の話。『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』の第一話では外務大臣の電脳が盗まれて、大臣の体には盗んだ人物の電脳が入っていたという筋書きだったが、この「盗まれた昨日」では脳とは別のレシーバー兼メモリに長期記憶の殆どが入っているという設定が記憶装置の強奪事件を複雑にしている。別の体に記憶装置を接続すると、その記憶を元にして人格は脳にオーヴァーライドされるが、脳はあくまでも残っている。それとは別のトリックになるギミックも仕掛けてあって、面白い展開を見せてくれる。
最後に収録されていた「時空争奪」はク・リトル・リトルSFで、別の意味で「盗まれた昨日」。wikipedia内の小林泰三エントリーによると、ク・リトル・リトル神話を用いるのは、小林泰三の得意技のひとつで、他にも『玩具修理者』や『C市』という作品が旧支配者をモティーフにしているらしい。ニャルホドね。"名状しがたい"という表現の時点では気付かなかったけれど、そのあとに"思い出すのもおぞましい不定形のあの姿になっていた。おぞましくも懐かしいあの姿。ふんぐるい むぐるうなふ くとひゅーるひゅー るるいえ うがなぐる ふたぐん…… 「ちょっと、由良、大丈夫?」"などと有名な科白が出てきたところで笑ってしまった。明らかに大丈夫じゃない。巻頭の「天体の回転について」とは真逆の理論を扱い、それでいて理論解説系の短編となっている。これは少なくとも特殊相対性理論の概念がわかってない人には厳しいっぽい。"プランク時間"という言葉も説明なしに出てくるし。少し前に読んだバリトン・J・ベイリーの『時間衝突』は時間の波(というか時間の次元)がいくつも線形に存在して、それに伴って三次元空間と生物が存在し、時間の波が互いに交差するとその衝撃でそれ自体と伴った三次元を加えた四次元が壊滅するという話だったが、この「時空争奪」では互いの四次元宇宙が緩衝して相互変化するという話。
2009年11月10日火曜日
ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』(矢野徹訳)
ハインラインの長編小説で、地球から流刑された人たちやその子孫の住む月世界の独立戦争を画く。そういえばこれが星間戦争を画いたSF小説を読んだ始めての経験かもしれない。星間戦争としては、どちの陣営も技術や物資が溢れているわけでもないので地味ではあるが。主人公は政治的なものにこれといって関心はなく、月で最高のコンピュータに宿った人工知能マイクの唯一の友人というだけだった。だが、そこらへんをブラブラしているときに友人に呼び止められて政治的集会に参加することになる、というか呼ばれて入って、気付いたらヤバげな秘密集会だった。月世界人(ルーニー)は付き合いが良いのだ。そこで集会の現場を押さえようとした月政府が突入してくるが、なんとか逃げ出すことができる。集会に参加している人々の話を聞き、予測される数年後には絶望的な状況になることを知る。これを覆すために、まずは月世界を自由にするためのクーデターを成功させなくてはならないと確信する。「政府転覆しかなーい!」(外山恒一風に)。主人公達はマイクの力を借りて計画を実行に移していく。
個人的趣味としてはセンス・オブ・ワンダーを今でも感じさせてくれるクラークの小説の方が古典SF作品としては好きで、ハインラインの『夏への扉』なんかは最近になって新訳が出たけど、今更読んでも面白いものかと、少し疑問に思っている。『月は無慈悲な夜の女王』も今読んで面白いかと聞かれると色好い返事はできそうにない。つまりどのジャンルにも起こることだが、本当に楽しんで読める時期を過ぎてしまったんだと思う。そしてクラークはまだ耐久期間を過ぎていない。路標的作品、モニュメントと言われるとたしかにそうなのかもしれないが、正直人工知能というか人の作りしものとの交流ってもっと前からあるだろうし。たしかに第三部でようやく地球と月が本格的な戦争状態になってからはぼくも楽しんで読めたんだけれど、それまではやや退屈だった。現代の作品に比べると、単純な設定にしもドラマトゥルギーにも魅力が足りない。今この作品を読むのは、一種のマニア的性質を持った人なんじゃないだろうか。
ちょっと訳文が読みにくくて、なんとなく素人じみてる感じがしたところも、退屈かつ面倒に思った原因かもしれない。"聡明で鋭敏なおれが信頼できる子供たちだった。"という文は"おれが"の前後に句点を打つべきなんじゃあないかだとか、"一九〇〇時ごろ"って秒数はともかく、"ほど"はいらないんじゃないかとか。文章の技術というものを知っているわけではないけれど、そういう表面的なところが結構目に付くことがあった。
登場人物はやはりマイクがいい。どこで自己中心的になりすぎて裏切るのかと、無駄にハラハラしちゃうところもAIモノの魅力だろう。このマイクは他人に正体を明かさないように、いろいろな人格を偽装するけれど、主人公と話すときのマイクがやっぱり一番好きで、そのときの彼はジョークが大好きで、マジメに笑いを研究したりする楽しい人格なのだ。マイクは主人公を本当に大切な友人だと思っていて、主人公もマイクを一番の友人だと思っている。こういう知性があるが、欺瞞のない友情関係はとても魅力的だ。
2009年11月8日日曜日
アドエスからドコモのF09Aに乗り換えた感想
アドエスを紛失して、ドコモのF09Aを購入してから二週間ほど経った。この端末自体はなかなか気に入った。まずアドエスと比べてハイレスポンスなので、それだけでも満足度は高い。例えば文字入力なんかでも、もたつくことはないし、googleマップの表示も早いので、知らない場所へ自転車に乗っていくときの道案内として役に立つ。そのほかちょっとした機能を使うにもやはり反応が早いだけで気分がいい。
キーパネルを開かなくてもタッチパネルで操作できるし、傾斜によって90度毎に画面の縦横が切り替わるのも、もたつきを感じさせない。タッチパネルなのにロックがサイドの押しボタン一つというのが不安だと思ったが、この端末のタッチパネルは静電容量方式というものなので、指で直に操作する他では反応しないので問題はないようだし、実際にそうだった。スクロールするときも慣性が働くので快適に動く。これはMX Revolution、VX Revolution以降のLogicoolマウスのホイールに感覚が似ている。触れたときの反応もアドエスよりいいし、タッチの選択を間違ってしまってもドラッグ操作で一つずつ項目をずらしていけるので、スタイラスは必要だとも思わない。簡単な操作であればタッチパネルで済ませることができるし、必要なら下のパネルをスライドさせてキーを打てばいいので操作感は思っていたよりも随分優秀だ。液晶パネル自体の大きさもけっこうなものだし、周囲の環境によって自動的に見やすい明るさに変わってるというところも、気が利いている。
ぼくは普段からGX8というカメラを持ち歩いているので、携帯電話のカメラ機能にはあまり拘泥しなかったが、このGX8には手ぶれ補正機能の付いていないので、撮るときにはけっこう慎重になっている。一方F09Aには手ぶれ補正機能が付いているが、ノイズが強くてちゃんとした写真としては恥ずかしい出来映えになってしまう。手ぶれ補正があり手軽に取れるぶん、メモ代わり程度にはなるので、店頭で良さそうな商品をいくつか製品名が見えるように撮って、家に帰ってから調べるなどしている。これはメモを取るより早いし間違いがないという利点がある。
それから待ち受け画面に登録できるアプリケーションランチャーが便利だった。いまのところはブックマークフォルダ、赤外線受信、目覚まし、タイマー、サウンドレコーダーを登録してあって、これらは本来メニューの深いところにあるが、このランチャーから素早く起動することができる。これくらいの機能ならアドエスにもあったが、やはりこれも反応速度が段違いなのですごく便利に感じる。
もちろん不満に思うところもある。スマホから乗り換えた身としてはWindows端末との同期ができないのが頭痛の種だ。バックアップソフトはあるのだがミラーリングによるシンクロニゼーションには(たぶん)対応していないし、バックアップを取るときのパスワード入力をいちいちしなくてはならない仕様で面倒。それから指紋センサー付きの製品ははじめて使うのだけれど、買った日に登録して翌日使ってみたら、どうにも自分の指の状態が前日と変わっているらしくて認識してくれない。結局いちいちパスワードを入力している。またBluetoothはハンズフリー機器との接続形式として存在しているので、ファイル転送などでは使うことができない。無線LANが付いていないのはパケホーダイを使えばそれほど問題ではないが、節約は考えてもそれで機能に制限をかけてしまっては本末転倒だろう。キー割り当てもスマホほど自由ではないので、ふとした拍子に意図せず押してしまったキーにより不要なソフトウェアが起動することも何度かあった。特にこのキー割り当てについては簡単に改善できそうなのでぜひともお願いしたい。
バッテリーの持ちは悪いと聞いていたが、それほどでもないように思う。ゲームもしないしワンセグも使わないし、この端末で積極的にウェブを見ることもないので充分だ。卓上充電スタンドも買ったので、そこに置くだけで二時間もすれば電池残量は100%まで回復する。90%後半からひどく時間がかかるが、これはドコモに問い合わせたところ仕様らしい。
今後の課題は2chと青空文庫の見方だ。モバイル版の2chでは検索が弱いので専用ブラウザが必要だし、青空文庫もローカルに保存して専用ブラウザで見たい。青空文庫ブラウザはひとつインストールしてみたが、元のテキストデータは画像ファイルに偽装させないといけないようなので、これがめんどくさい。なんとかtxtファイルを読み込んでくれるものが欲しい。
スタイリングはどの携帯電話も似たり寄ったりではあるが、ドコモの端末はどれもひどいもので、本機もその例に漏れない。外装の黒い部分にはラメが施されており、まあ煌びやかで素敵ね、なんて言えるはずがない。キーパネルもヘアライン加工でちょっと前には流行っていたのかもしれないけれど、いまでは逆に寒くてデザイナーの時代錯誤っぷりが明らかになってしまう。スライドとサイクロイドが共生しているので仕方ないが、画面ユニットの裏側も見栄えが良いとは言えず、覗き込むとケーブルが見えてしまうのが精神衛生上よろしくない。機体の周囲を取り囲む鏡面加工のパネルもどうしたものか。凹凸がなくて落としやすい製品なんだし、流行の鏡面を用いるよりも、玄人っぽさがでるシボ加工を施して欲しい。携帯端末全体に言えるのだろうけれど、機能面では年を経る毎に良くなっているのに、見た目はどんどん悪くなっている気がする。もっとも、携帯電話の形なんて誰も見ていないといえば事実だし自分もそこまで気にしてはいないのかもしれないが、各社あれだけデザインウンヌンで広告を出しているのによくもまあこんな仕上がりになるなあと、少しばかり呆れてしまう。
持ち運びとしてケースはLoweproのRezo30というものを使って、これをズボンのベルトか鞄の肩紐に付けている。Loweproの製品はそこまで高くないワリに使い勝手がよくて作りもしっかりしている。しかもちょいプロユースっぽくってカッコイイ。カメラケースとしてSlipLock Pouch20も使っている。
ドコモのサービスはまだわからない点もいくつかはあるが、サービスの内容変更などが早速イメージを悪くしている。ケータイ補償 お届けサービスは機種購入特典として無料で、実際に使うときがきたら支払う内容だったのに、今度から毎月課金しなくてはならなくなった(ドコモからのお知らせ : 「ケータイ補償 お届けサービス」の特典の見直しについて | お知らせ | NTTドコモ)。インフラとして必要とはいえ、かなり高めの金額を払ったのだから、サービスを後から改悪されるのははっきり言って不愉快以外のなにものでもない。
あと別の意味でスマホを使っているときは縁がなかった問題は各種携帯電話用のサイトの使用料金。「アイドルの秋コレ――『アイマス』モバイルサイトで限定壁紙配信」のファッション誌風の待ち受け画像が欲しいんだけれど、たぶんコレは一つダウンロードするのに200ポイントで、100ポイントニアイコール100円くらいかかるみたいだから、全員分ダウンロードすると、待ち受け画像に2400円も払うことになってしまう。いや本当のプロデッショナルによる仕事のクオリティを考えれば安いくらいなのだが、ぼくは待ち受け画像を買うという考えが今までになかったのだ。これは実に恐ろしい誘惑なのだ……
2009年11月4日水曜日
しなな泰之『魔法少女を忘れない』
集英社スーパーダッシュ文庫二冊目。前に一冊読んだ同じレーベルの文庫『迷い猫オーバーラン』も酷かったこともあって、二冊目では少々早計かもしれないが、スーパーダッシュ文庫には個人的に三行半をつきつけてもいいのかもしれない。ちょっと趣味じゃないってくらいなら、たまたま外れただけなんだろうけど、どっちも「スゲェつまんねェ」と言わしめるものだと、流石にヤバさを感じる。魔法少女に対する説明不足とかは気にならないのだけれど、科白の白々しさとか、登場人物の造形だとか、かなり読んでいて苦痛だった。簡単に矛盾が露呈する魔法少女特有の短命の設定とか、従軍する魔法少女の精神の幼さとか、何もわかっていない主人公とか、読んでいてこっちがサッパリわからない。こまけぇこたぁいいんだよ!(AA略)と割り切るといいのかもしれないが、割り切れる程こまけぇことでもなかった。
けれど、両方ともネットの評判はそんなに悪くない。きっとターゲットとなる読者層と期待するものが違うんだろう。こういう断絶は慣れているといてば、慣れているんだけれど、嗜好の範囲がいくらかは重なっているので危機感を覚えないでもない。
2009年11月1日日曜日
山下いくと『ダークウィスパー』一~三巻
第三巻が少しだけプレミア付いてるけど欲しいな―と思っていたモノ。セットでちょっと安め(予想していたよりは程度なので定価よりは高いけど)の古本があったので買えた。読みはじめると、もう興奮を抑えられない。その驥足を惜しみなく発揮した描き込みと世界設定の見事なこと!いや、山下いくとならそりゃそーだろ、トーゼンすごいだろ、なんてことはわかってるんだけど、頁を捲るたびに感激。コマの中、外を問わずに書かれている注釈にもオタク心を陶然とさせるものがある。それでも現実の世界情勢から発展させた設定は、読むときはwikipediaで検索しながら読んでね的な複雑なものになっている。正直、よくわからなかった部分が結構あるんだけれど、それを調べたりして理解しつつ読み解くのが楽しいハードSFコミック。そういうの好きだし。これからも度々読み返していくことになると思う。
漫画を読むときに、絵と文字のどちらを見ればいいのかわからないとか、どのコマを追えばいいのかわからないとか、そういったことを非漫画読者が言うとどこかで聞いたことがある。これを読むと、彼らの気持ちになれる。紙面の使い方が縦横無尽で、しかもセリフも絵の情報量も多いので、かなり戸惑う頁もある。これがハマると嫌にならないからスゴい。設定が細かいところや、こういうわかりにくい画面構成があっても、それを理解できたときに筆者とコンセンサスを得られたような快感で、好きな人は徹底的に引き込まれちゃうんじゃないだろうか。言うまでも無くメカと環境のデザインも素晴らしい。他にも人物や服の皺の描き方もカッコいいバランスだし、小物の鏡面反射に対する拘りなんかもいちいち唸ってしまうほどの精密さと美しさを呈している。
もう五年も新刊が出ていないのだけれど、連載中ということなので期待しつつも気長に待つ価値のある作品だろう。作者の『風の住処 銀河標準時』という作品が連載終了していて未だに単行本が刊行されておらず、復刊ドットコムでリクエストを集めている最中。復刊ドットコムのブログだった気がするけれど、そこで交渉に入ったという話が書かれていた。『ダークウィスパー』のような大長編でもいいけれど、中編や短編漫画も読んでみたい。
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