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2009年10月31日土曜日

J・G・バラード『時間都市』(宇野利泰訳)


 J・G・バラードの短編集。あんまり趣味じゃなかった。SFというよりはユーモアに富む幻想小説と表現すべきだろうけれど、SFのくくりで考えるとワイドスクリーン・バロックとH・G・ウェルズを足したような感じ。自由奔放に画かれた世界ではあるけれど、その世界が読んでいて遠くにありすぎる。
 『最後の秒読み』という『デスノート』の元ネタになっているかと思われる短編には驚かされた。死神とかは出てこないけれど、主人公がデスノート的能力に気付いた後には、その効果を図るために実験するところやなんやらもビックリするほど似てる。
 人口過剰になった未来を画いたものも多い。『至福一兆』は映画『ソイレント・グリーン』を思わせる設定で、居住スペースが市民一人につき4平方メートルに定められた未来。年々法改定されて、今度は一人3.5平方メートルになるとか、徒歩で近場の食堂に行くだけでもコミケというか満員電車並の人の群れという社会の中での皮肉の利いた笑い話。『大建設』も名前がそのまんまだけれど、無限に続くようなアーコロジーの中で、その果てを目指すもの。『時間都市』は人口過剰になって社会構造が一度崩れて、人口が減った後の話。元の社会主義に戻らないために、別の社会主義が形成されているという、これも端から見たら滑稽な物語。
 ヴァーミリオン・サンズという幻想的な美しさを持つ避暑地を舞台にしたものも二作収録。『アトリエ五号、星地区』というのは詩を作り出すのをコンピュータの自動演算に半ば任せてしまった状況に反発する女性がいて、物語の中ではそれは異常なことと認識されるので、主人公の編集者は困り果てるが……ちょっと古典ホラーっぽい雰囲気を出しつつも、最後は爽やかエンドを迎えるというものだった。『プリマ・ベラドンナ』はデビュー作で、歌う植物を扱う花屋と歌姫の話。一応ラブ・ストーリィなのだろうか。ヴァーミリオン・サンズが舞台ではないけれど『時間の庭』もラブ・ストーリィで、綺麗な女性が出てくる。そうなるとちょっと切ないけれど爽やかな感じで幕を閉じる筋というのがどれも同じで、これはバラードの小説に一貫している傾向なのだろうかと類推してみたりした。
 他にも、心理療法は精神を元ある状態から洗脳状態にするとされて禁じられた社会で医者の無力を画く『狂気の人たち』。タイムトラベルをして、恋人を助けようとしたけれどタイムトラベルしたから恋人が死んじゃう『静かな暗殺者』。加速度的に膨張成長する金属のモニュメントから起こった騒動――「いずれ第二、第三の私が現れるだろう」的な『モビル』。以上の全十編が収録されていた。

2009年10月29日木曜日

伏見つかさ『ねこシス』


 一週間の人間インターンに挑戦する化け猫少女の話。期待通りと言ったところ。ほんとうに、それ以上でもそれ以下でもなくて、もちろん驚愕も興奮もなく、かといって暖かな気持ちになれるかと言われるとそれほどでもないが、それでいい。そんな気分だったし、ヘビーなのが読みたいときには間違いなく手に取らないだろうタイトルと表紙。親切設計で、上手いことパッケージにまとめられた本だったと思う。妙なバトル展開や無理のある設定が突きつけられるわけでもなし、そういったものがなくても人物描写がおざなりな点に引っかかって嫌気が差すということもなかった。捨て猫の話は、主人公たちが猫だからある意味ハードなんだけれど、まったくそれを感じさせないあたり狙ったところに落ち着けていると思う。もしペシミズティックな話が読みたいなら、ディックでも読んでる。
 伏見つかさの文章はこれまでに『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』でしか読んだことがなかった。あちらのテクストは主人公の主観から出力された形式だけれど、こちらは客観的な形式。その地の文章がやけにフラットで、所々抜抄するとSF小説みたい。
 人間ならば誰もが当然のように知っていて、日常的に使っている、人間特有のコミュニケーション方法について、思い至ることができない。
(『ねこシス』三八頁)
ほら、これだけなら未知知性体とのファーストコンタクトっぽくなる。(どうでもいいっ!)

2009年10月28日水曜日

R・C・ウィルスン『時間封鎖』(茂木健訳)

時間封鎖 上 (創元SF文庫 ウ 9-3) 時間封鎖 下 (創元SF文庫 ウ 9-4)

 案の定、タイトルで検索を掛けると予想していたエロゲーが引っかかる。実は店頭に置かれたのも、二〇〇八年の十月から十一月の間だから、被る要素は充分にある。まあ、そのエロゲーの話はどうでもいいや。あとイーガンの『宇宙消失』は読んでないんだけど、星空が消えるという設定はどうしてもこれを想起させるものがあって、やはり解説で触れられていた。このR・C・ウィルスンの『時間封鎖』は前三部作の第一作目。簡単に紹介すると、太陽が膨張して地球がピンチ、あと数十年しか残ってない、という状況下で人々の奮闘を画くドラマ。太陽の膨張までには何十億年も掛かる。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ! (AA略)と言うと、地球を突然包み込んだ正体不明の膜の効果が原因。この膜の内側と外側は時間の流れる速さが異なり、膜内での一年がだいたい膜外での一億年に相当する。つまりまだまだ先のことだと思っていた宇宙的問題にいきなり向き合うことになってしまったということ。
 とても面白い本だった。『深海のYrr』と同じく、SF要素はたくさん詰まってるんだけど説明がわかりやすくて、物語の筋もSFに馴染みのない人が楽しめるようになってる。割と気軽に読める作品。気分的に感嘆させるような重圧なSFをゆっくり読みたいときもあるんだけれど、こういうのはこういうので読み始めると止まらなくなる面白さがある。太陽の臨界が来る前に、膜を張った存在はとりあえず何もしてこないので、自分たちでどうにかしようとするのが、人類側の意向で、これがトントン拍子で進むのがいい。なんせ時間差がものすごくて、一秒間が地球で経過する間に、宇宙では三年チョイが経過する。観測衛星を打ち上げれば厖大な情報を一瞬で手に入れられるし、数億年掛かるはずのテラフォーミングもアッという間。惑星開拓時代の一コマを画くなんてことはスパッとスキップされる。ちなみに、そんなに時間経過があるなら、隕石等の衝突が地球にあるんじゃないかと思った人もいるかもしれないけれど、膜は選択性の性質を持つので、隕石は跳ね返す。便利!話は戻って、その大がかりな計画を遠からず近からずの距離で見続けるのが、主人公のタイラー。彼と幼なじみの双子が主要人物で、その双子がそれぞれ膜に覆われた地球の世代の人類史と個人史を代表するような存在で、タイラーがその架け橋となって二つの流れをひとまとめにした視点で物語は綴られる。このそれぞれの筋を互いが包含した書き方を、マルチな視点からでなく、一人の視点から見せていることによって統一性のある読み味を作り出している。人間模様もなかなか感動的な内容だった。しっかり感情移入してしまうあたりが非SF読者にも勧められる証拠。
 この『Spin』という名の原著の後にシリーズは『Axis』、『Vortex』と続く。『Axis』は邦題『無限記憶』として既に刊行されている。このシリーズは確実に読む、いや読まなきゃアカンと思わせるクオリティだった。本屋のポップで見たから漠然とした記憶だけど、賞としては二〇〇六年にヒューゴー賞を取って、この前星雲賞も取ってたような気がする。ちなみに星雲のもう片方の日本SFは『ハーモニー』。なんだかんだで両方とも『幼年期の終わり』を髣髴させる。一方は高位存在が、一方はテーマが、というように。

2009年10月25日日曜日

入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 2 善意の指針は悪意』


 一巻を読んだときの印象が良くなかったのに、二巻を買って読んでみたシリーズ。今月は『Baby Princess』に引き続き第二回目。案の定ダメだった。ぼくの日本語体系を侵蝕して破壊しようとしてるんじゃないかと思うようなテクスト。流石にそれを心地良いと思う程にマニアではない。物語の文章というのは一つの例えとして樹形図を用いることができると思うのだけれど、その樹形図のベーシックなブランチを生やしているものに比べて、本書のそれはすごく細かくて短い枝がいっぱい付いてる感じ。 心理描写とか形容がちょっと突飛な一文で書ききられていることが、思考を乱す枝に思えることの一因か。
 内容は前巻から一ヶ月後の話。一年半前に読んで、しかも気に入った本でもなかったので、あまり前作の内容が記憶が残っていないこちらとしてはいまいちわからない情報が散見されるのも都合が悪かったのかも。かろうじて記憶を手繰れるような、あるいは勝手に捏造できるような書かれ方がされていたので、なんとなくわかるんだけれど。まあ致命的に感じたのは物語自体が大して興味を惹かれるような内容でなかったことだろうか。推理モノではないにしろ、ミステリの構成なのだが、登場人物の嗅覚が妙に鋭くて淡々と物事を処理していく。しかも自己主張が激しい為に、かえってその独自路線が自己主張しないようにも見えて、事実はそうでないにしろ軽薄さを感じさせる。テンプレートから結構距離のあるような登場人物なのに、事件自体は大したことないのがミスマッチに感じたのかも。
 イラストは理想的なまでに巧い。これは『Baby Princess』との共通点。『Baby Princess』二巻表紙で氷柱が巻いているマフラーと、本書でまーちゃんが巻いてる包帯などにも少し無理矢理気味ながらも類似性が……ないことはない、ような気が。みぶなつきも左もラノベどころか、オタク・カルチャー(というのか?)のイラストレーターの中では本物のプロと呼べる数少ない(多いようで少ないという比率の問題?)人材だと思う、眼福眼福。しかし二方ともに『シルバーレイン』とか『鉄道むすめ』とか、ぼくの守備範囲から随分離れたところで活躍しているのが悩みどころ。画集が出たら買うのになあ。

2009年10月23日金曜日

バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(大森望訳)


 ワイドスクリーン・バロックという語が、正確にどの書籍を指すものなのかは難しいところだが、ぼくが認識しているそれらの作品群の中に、この『時間衝突』も分類されるらしい。それにしては、随分爽快で快活な展開だった。というかタイトル的にハードSFを想像していたので、ちょっと拍子抜け。あと表紙のマジメっぷりにも、こいつぁ難しそうなSFだぜ……と戦慄しつつもわくわくしてたのだ(柳田國男チックに書くと「地球人を戦慄せしめよ」)。今だから思うのかもしれないけれど、アイデアもそんなにすごいかなあと少し捻くれた感想になってしまった。実際に時間がマジで正面衝突しちゃうという話なのだが、たしかにそれ自体は今でさえ新鮮だろうけれど、登場人物のやってることが安っぽい戦争物になっちゃってるので、時間衝突という事象にもっと突っ込んで欲しかった。そして個人的好みの話なのだが、作中に出てくる<斜行存在>という『幼年期の終わり』のオーヴァーロードとか『都市と星』のヴァナモンドみたいな超存在とのコンタクトを読みたいとも思ってしまう。戦争モノも嫌いじゃないけど、それについては時間のアイデアを奔放に使った荒唐無稽な感じのものだから、なんとなくぼくが知ってる戦争モノの魅力とは違うかなあと。
 時間ナンチャラってタイトルの付いてる小説を最近運良く連続で古本屋で買えたので、どんどん読んでいこうと思う。さしあたり『時間封鎖』と『時間都市』が手元にある。

2009年10月22日木曜日

書を買って携帯電話を失う

 タイトルは鶴ヶ谷真一のエッセイ集のパクリ。携帯電話を落としてしまった。うわあああ……ぼく個人の情報については大したものは入っていないが、友人知人の連絡先をなくしてしまったのは手痛い。こういうときに、mixiがライトなネットユーザにも普及していてよかったと思う。(マイミクの皆さんへは面倒ではあると思いますが、新調した際にはマイミク限定公開の日記で電話番号と携帯電話のメールアドレスをお伝えします。すみません……)
 とりあえず出来ることは済ませたと思う。落としたと思われるブックオフの店員には携帯電話の形状を伝え自宅のパソコンで受け取れるメールのアドレスを渡したし、通った道は二度往復して探したし、落とした端末にも電話をかけてみたし(不通)、交番にも紛失届を出した。ブックオフの店員も交番の地区担当のおじさんも感じのいい人だった。アドエスの特徴であるフルキーボードの端末は目立つから、ブックオフか警察で見つかればすぐにわかるだろう。あとは運任せ。拾ってくれた人が良い人なら、なんとか連絡をくれるかもしれないが、そこまで楽観的にはなれなかった。リモートロックを掛けて、個人情報にアクセスできないようにした。これで拾った人が個人的にぼくに連絡することは不可能だが、悪意ある第三者が友人知人に迷惑をかけることもできなくなった。
 さて、ドコモの新しいモデルが出るまでキャリア変更はしないでおこうかと思っていたが、すぐに買う口実、というか必要性ができてしまった。ウィルコムには紛失の際の代替品貸し出しサービスもあるみたいで、それを使えば冬モデルの発売までには凌げるけれど、その結果短いスパンで電話番号とアドレスの変更を方々に連絡する手間を考えたら、さっさと現行モデルを買ってしまった方が良さそうだ。

2009年10月19日月曜日

公野櫻子『Baby Princess』二巻


 相変わらず表紙の出来映えが最高。ロゴの色と同色系で衣装をまとめた氷柱が仁王立ちしてるだけなのに、なんでこんなにオーラが漂ってるのか。画集の発売が待たれるところ(出るの?)。
 前巻の印象が良くなかったのに、なぜか買ってしまった。古本屋の棚に置かれたこの本に、妙に惹かれた。これはどこかの魔導書か。内容は例によってむちゃくちゃ。設定が設定なので、今更大したことでは動じないけれど、それにしてもこのコミュニティの排他性はどうか。
「よかった、こうしてお兄ちゃんと話せて。ありがとう、スッキリしちゃった。だから星花、月曜日はちゃんと学校に行きますね。うぅん、コヤマ君の事は全然なんとも思ってないけど――そんな星花の今の気持ちを精一杯、伝えてきます」
 「全然なんとも思ってない」って。お願い、もうちょっとオブラートに伝えてあげて!コヤマ君のライフはもうゼロよ!ラブレターをなぜか勝手に家族にお披露目されてしまった(主に氷柱のせい。勝手に封筒を開けただと……)コヤマ君なのだが、さらにヒートアップしたトゥルー家族は止まらず、当事者の星花はたじろいでしまう。最終的には主人公までも「オレが絶対許さない」とか言い出す始末。お、おまえってやつは……
 そして何と、次巻に続かせるような書き方。売られた喧嘩を買わずにはいられない氷柱だったのである。
 マリアという小説オリジナルのキャラクターも出てきて、彼女もなぜか最初から好感度マックス。はたしてトゥルー家族に太刀打ちできるのか。
 他の姉妹について。春香は相変わらず怖い、そしてエロい。羊の皮を纏った狼。蛍は無邪気すぎる。本当に中学三年生なのだろうか。アクマイト光線は効かなさそう。彼女のコスプレ趣味はいつ発揮されるのだろうか。星花は前巻から引き続き優遇されてる。『三國志』が好きというちょっとだけトリッキィな趣味の女の子だけど、蛍と同じくらい普通に良い子。実際こんな妹がいたら、男が寄ってくると心配になっちゃうもんなんだろう。

大槍葦人『北へ。 NOCCHI ART WORKS』


 大槍葦人の画集。もう何冊目だろう。今度また出るらしく、コトブキヤのサイトでは「大槍葦人の画集発売」とか大々的に宣伝しているけれど、ならぼくの本棚にある数冊の本はいったい……?まあ結局買ってしまうのだが。
 内容は『北へ。』で使われていたものが収録されている。らんららん(こんなテーマソングなのだ)。懐かしい。古くても色あせないゲームっていいよね。いや、むしろ色あせた部分があるから郷愁と、未だに輝く部分がない混ぜになるからいいのか。なんてポエティックな。『北へ』がゲームとしてクオリティが高いかは疑問が募るところではあるが。というか、正直あんまり覚えてない。
 たまにコピックで色を載せたスケッチがあったりするのがいいですなあ。でもこの本に掲載されてるものならデジタルイラストの方が映えている。あとキャラクターのプロフィールも簡単に載せているのは良いんじゃないだろうか。何を描いた絵なのかがはっきりわかる。

ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』(金子司・他訳)


 プロバビリティ三部作が刊行されたばかりと思っていたが、そのまたすぐ後に発売された短編集。これから日本でがんがん売り出すのだろうか。

『ベガーズ・イン・スペイン』:
 遺伝子改変(遺変)によって睡眠が不要になった人類、無眠人(スリープレス)第一世代と有眠人(スリーパー)たちの摩擦を画いた中編社会派SF小説(?)。これを元にした未訳の長編があるらしい。解説(山岸真)で微妙にネタバレしている。主人公が第二部の冒頭で退場って……ええー
『眠る犬』:
 『ベガーズ・イン・スペイン』のスピンオフ短編。これが好き。無眠の遺変を施した犬に妹を殺された少女の復讐劇。放送がはじまったばかりの『DARKER THAN BLACK 流星の双子』の主人公の蘇芳にイメージが被りすぎる。『ベガーズ・イン・スペイン』も双子の話。
 翻訳は山岸真。イーガンの小説を訳してる人だ。けどこの人の文章はたまにわかりにくいことがあって、あまり良い印象がない。
『戦争と芸術』:
 これはどう面白いのかまったくわからない。
『密告者』
 ファンタジイ寄りの世界観の話。プロバビリティ三部作のベースとなった短編らしい。けっこうおもしろい。
 世界(ワールド)人と呼ばれる人々の物語で、彼らは地球人とは異なった文化と容姿を持ち、そして何よりも共有現実を尊重する。共有現実を侵した者は非現実者として実在しないことにされてしまい、祖先の輪に再び還元されることのない死刑に処される。世界人の文明は未発達で、地球人の科学技術に恐怖を抱いている。プロバビリティ・シリーズは地球人と世界人の戦争を画いた長編らしいが、これは地球人の圧倒的勝利が簡単に決まってしまうのではないかとも思うのだが、まあそこらへんは何かあるハズ。
『思い出に祈りを』:
 ショートショートと言われる程には短くないような。自分の基準ではショートショートといえば四頁以内に収まるようなものだ。記憶を消去するか、記憶容量をオーヴァーして死ぬか。死んじゃうくらいなら記憶消去を選択するというのが客観的な選択だけれど、自分もなかなかものを捨てられないタイプだと思うので難しいところ。
『ケイシーの帝国』:
 メタSF。これのせいで変な夢を見た。えっと、たしか……メタ魔法少女ものだった……
『ダンシング・オン・エア』:
 首吊り刑の意味も持つタイトル。内容はバレエ・ダンサーと人体改造。普段から寿命に怯えているぼくだけれど、一方で自分の能力の不足にも失望している。能力を上げる代わりに寿命が短くなるとしても結局それはバランスが変わるだけで得られるものは変わらない気もする。エンジェルのかわいらしさは反則。

 古本なので一つトラブルが。「ところで下の画像を見てくれ。こいつをどう思う?」「すごく……きれいに消えています……」というように、このページの裏はまったく無事なのに、この部分だけ綺麗にインクが消えていた。結局抜けた部分だけ本屋で確認してこのページを補完できるようにメモを挟んでおいた。こんなことがあるから古本は楽しい。楽しめないなら新品を買った方がいい。

2009年10月15日木曜日

フランク・シェッツィング『深海のYrr』(北川和代訳)

深海のYrr 上 (1) (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1) 深海のYrr 中 (2) (ハヤカワ文庫 NV シ 25-2) 深海のYrr 下 (3) (ハヤカワ文庫 NV シ 25-3)

 三冊揃えてカヴァーの絵が揃うとカッコイイ。この本は前から気にはなっていて、たまに感想文を見たりしてたんだけど、「映画化を意識しすぎ」だとか、「アメリカナイズ」だとか、「科学考証に間違いがある」だとか、辛辣な意見(ちなみに最後の一つだけはマトモだけど前二者はマトモに相手にしたくない意見)ばかり覚えていて、ちょっと躊躇していた。さらに各巻五五〇頁くらいの長篇(けっこう字が大きいので、そうでもない気がするけど)ということでなかなか手を出しにくいのもあった。けれど、ブックオフの一〇五円コーナーに揃ってるのが目立ってるので、ウリャッと気合いを入れて買って読んでみるとこれがめちゃくちゃ面白い。かなり早いペースで読み終えてしまい、初期の疑心暗鬼状態から完全に擁護派となってしまったのであった。ほら、怖そうな人が意外と優しかったりすると必要以上に良い人だと思ってしまうみたいな。それ抜きでも良い小説だったけど。
 物語の展開の仕方がとてもスピーディーで、読みはじめると次々に大規模で人智の及ばない事件が起こるので目が離せない。クジラが突然凶暴化したり、未確認の毒素をばら撒く甲殻類が出てきても登場人物は対処できない。ダメージを受けつつも科学者は仮説を立てて、対策を考えようってところでまた別の方面で考えもしなかった事件が起こる。『コードギアス』は物語の展開速さ、情報圧縮の密度の高さということが放送当時にブロゴスフィアで触れられていたのを思い出した。それと海外のスリラー系連続ドラマで使われるクリフハンガーも。けれども、それらより場面の移り変わりの多さも見逃せない。世界各地で事件は物語られることになる。そして中盤、大打撃を被った先進各国はついに協力体制を取ることになり、もとから主人公格として描写されていた海棲哺乳類研究者や地球科学者や海洋生物学者や分子生物学者に加え、CIANSA(国家安全保障局)、ペンタゴンカナダ安全情報局SIS(イギリス情報局秘密情報部)、ZNBW(ドイツ国防軍情報センター)およびBND(連邦情報局)、DST(フランス国土監視局)、各国の軍情報部、安全保障アドバイザー、スパイ、テロリズムの専門家などの面々も加わり、最新鋭の軍事技術までもが導入される。SEITも出てくる。もうこの面子だけで男子たるモノ興奮を隠せないことだろう。しかし、それでも尚彼らを翻弄する未知の事象群。人類マジでヤバいんじゃないですか、しかも原因わからんし、状況に絶望した!と、まあ見る人によっては低俗とされかねない要因がたっぷり詰まってるが、それは純粋な面白さとしてぼくの目に映った。
 これを読んで思い浮かべた作品はいくつかあるけれど、特に『星を継ぐもの』が科学への興味を誘発するという点で似てると思う。『星を継ぐもの』のトンデモっぷりはかなりのモンだったけれど、こっちはそれよりずっと現実と繋がる部分があるから、その分だけ科学知識に惹かれる。本書では人類が未だに理解の及ばない海、特に深海から驚くようなアプローチがあって、科学者はそのアプローチに翻弄されることになる。不可解な事象ばかりが起こり、実験や観察から仮説が唱えられる。しかもこの作品の魅力は風呂敷がすごく大きい。特に生物学と地球科学に関する大量の知識導入には圧倒されつつ魅了された。科学的説明がすごくわかりやすくされてるところもいい。このあたりが本書がエコ・サスペンスと言われる所以の一環なんだろう。レイチェル・カーソンやジャレド・ダイヤモンドの本を読むことに抵抗があるような読者でも、ストーリィと密接に関わり合い、興味を惹く科学知識とそれらの前提を提示して理解できるような環境問題についてのテクストに、どんどん引き込まれてしまうことだろう。
 小説の中や謝辞からもかなりの諮問の上に書かれたものであることがわかるけれど、一部科学者から見ると納得できない部分があるらしい。訳者の問題かも。科学考証についての捕捉は海洋学研究者の日常: 海洋SF「深海のYrr」の補足で数カ所確認できる。このエントリーだけ読んでもけっこう楽しかったり。
 映画化も決定されていて、もうIMDbに情報が。でも普通の映画の尺で、この長篇を収めることができるのかは少し疑問。SF映画は短編から映像化するというものが多いし。それでも期待してしまうのは本書がとてもよくできたエンタメ小説だったからなのだ。原作を忠実に映像化するのならとても面白いものができるのではないかと思う。

2009年10月12日月曜日

土橋真二郎『ラプンツェルの翼』Ⅱ、Ⅲ

ラプンツェルの翼 2 (2) (電撃文庫 と 8-8) ラプンツェルの翼 3 (電撃文庫 と 8-9)

 人間は空っぽの箱を贈り合っているようなものなのだ。箱の中身はわからない。ただ、言葉や表情というパッケージやリボンで装飾をする。そんなコミュニケーション。相手の箱の中身も自分の箱の中身すらも、本質を知ることはできないまま、ただ箱を交換している。
(『ラプンツェルの翼Ⅲ』七〇頁)

 はたして堀口悠紀子を失ってしまった土橋真二郎に明日はあるのか!?とか言ってみるけど、この作家は毎回それなりに面白いものを書くし、もうぼくは信頼しきっているので不安はない。作風がわりと硬派なのがいい。
 この人の書くものはシリーズを重ねるごとに設定がファンタジーになってきてる。『ツァラトゥストラ』ではパルス能力とかいう人間の機能強化系で、今回の『ラプンツェル』は天使と悪魔。天使と悪魔というのは言葉の比喩ではあって、実際に羽が生えたお姉さんがいたりするわけではないけれど、実際に人間ではありえない能力や習性を持っていたり外見であったりする。それらが現代の社会で秘密裏に生活する――というのはラノベじゃあアリガチだと思うんだけれど、土橋真二郎が書く社会はファンタジーっぽさがあんまりないから困る。妙にリアルで、バランスが取れていないような。本当の東京の風景が印刷されてるパズルに、嘘のパズルをいくつか填めこんでしまうような感じ。
 しかし、二巻の舞台は東京を次々と移動する描写はそんなになく、描写される舞台はかなり限定的だったから違和感は一巻よりなかったかもしれない。またもやヴィンチェンゾ・ナタリの『CUBE』みたいな雰囲気の密室でゲームが行われて、参加者同士の疑心暗鬼が始まる。土橋作品ではよくある光景。ニヤニヤ。
 ペナルティとして死亡がありえて、その執行者が間近にいるというスリラーっぽさがいい。会話内容が軽薄だったり、海外文学の翻訳ものみたいな文章が軽妙なところも、この作家の特徴で気に入ってる。惜しむらくは既に二巻を古本屋で買っていたときには、三巻を手に入れていたので絶対的な安心感があったことか。
 三巻は今までに比べてあまり好きになれない内容だった。この巻ではテーマパーク内で事件が起こる。これは今までの主人公とヒロインに対する事件がテストであったのに反して、実際の事件であってルール無用!……かと思いきや洒落の利いた舞台と犯人のおかげで異様にゲーム性が。三人一組でアトラクションを攻略していくとか、ナンジャコリャー!特に今回は主要人物たちに流血とか、そういうフィジカルなヤバさが少なかった。今までに比べたら毒ガスなんてヌルいのである。もっと暴力的な、恐怖の実際的な存在が欲しかった。そういう身体能力が影響するものだと、主人公組が危機的な立場にならざるをえないけれど、そういう逆境でズタボロになるのが、土橋作品のいいところなのだ。
 ちなみに三巻は話が解決せず複数分冊巻の第一巻目となる(さすがにコレで終わるってコトはないと思う)。なぜ表記しなかったし。この物語は天使側にとってかなり大きな騒動なので、次巻以降で設定の根幹に近い部分まで迫るかもしれない。今まで設定は完全に前提として説明をほとんど放棄していたが、どうなるだろう。いつまで今のスタイルを続けるかも気になる。あとミステリ小説みたいに図表を本文に入れてくるのも、この作家のスタイルだけれど、これははっきり言ってまったく意味ないので止めた方がいいと思う。
 『ラプンツェル』では感情移入で利他的行動をする者と、機械的に利己的行動を徹底するものを書き分けられている。これはまあ、よくよく思い出して見れば土橋作品ではずっとあったものだ。これは作品の感想とはまったく関係ないぼくの個人的な思想的問題になるが、利己的行動の方が人間的だと思う。エゴの発露というか。もっとも、利他的行動に見える利己的行動とか、ウルトラダーウィニズム的な合目的性とかあるから、結局のところ、どちらが大切かなんてことはわからないのである。むしろ利己的目的に沿った支配や暴力を、短期間でわれわれの文化で形成した倫理観という画一的なルールで一概に否定してしまうことは赦されざると思うのだが、ハテサテ……
 イラストの植田亮はそれなりに人気がある人だけれど、個人的には挿絵のやる気のなさと描き分けの幅の狭さも気にはなる。表紙を並べても面白くないのも良くない。キャラクター的なヴァリエーションはあって、すぐに見分けられることは見分けられるんだけれど、もっとレイアウト的にも変化があればいいと思う。こんなこと言ってるけど、意外と嫌いなワケじゃなかったりもして。
 堀口悠紀子はイラストレーターとして好きなので戻ってきて欲しい。アニメーターとして業界に大きな影響を与えたのも理解しているけれど、どういうアニメートなのか判別できないし、『けいおん!』の絵はなんだかキャラの顔がゴムっぽいというか、パーツが変に離れていて怖かった。やっぱりあの人はイラストレーションの方が良い印象が残ってる。しかもアニメ誌でやるようなセル塗りじゃなくて水彩の方が。というか正直言って、どちらの業界でも観ていたいです、ハイ。今度発売する『緑魔の町』でイラスト描くらしいので期待。

メモ:
三巻の第二アトラクションについてはモンティ・ホール・ジレンマを参照。

ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』(宮崎嶺雄訳)


 本格推理小説の古典的作品で、密室殺人と言われて思い浮かべるような典型的なもの。古典と言ってもポオやドイルよりも新しいが、以前読んだヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』より少し古いくらい。ポオの『モルグ街の殺人』とドイルの『まだらの紐』と対比させているようで、実際にその二つよりはしっかりしてる。けれど、その二つは個人的にはタイトルは有名だけれど作品としてはどうよ、と思う内容のものである。けれどポオとかコナン・ドイルの魅力って、前者は陰鬱、奇々怪々な雰囲気であり、後者は登場人物のキャラクター性にあるんじゃなかろうか。ミステリ的なデザイン、つまりトリックの厚みはこの『黄色い部屋の謎』の方が堅実だけれど、娯楽小説としてはポオ、ドイルのものには及ばない。そうは言ってもやはりミステリ的なネタはすごいなあと、素直に思う。これはぼく自身、あまりミステリ小説に馴染まないからかもしれないけれど、本当に、全然トリックがわからなかった。以上のように本格推理小説としての評価と、娯楽あるいは文学として見る小説としての評価はやはり分かれていることが中島河太郎の解説でも言われている。マア、古典ってコトで許容されてる感じなんだろう。

喉風邪を患う

 金曜の夜から調子が悪くなって、土曜日の朝には自覚する程度に喉が痛くなってしまっていた。久しぶりの風邪。
 今回罹った風邪は喉仏の前面あたりにだけ痛みを感じて、頭や関節の痛みなどはまったくなかったので気が楽だった。土曜日の昼には常備してあったプレコール持続性カプセルが切れてしまったので、薬局に行って薬剤師に症状を伝えて症状を鎮めるルルアタックIBを買ってきた。総合風邪薬は少し値段が高いけれど、余ったものを持っておき、なくなったら補充して常備しておけば、調子が悪いときに医者の煩わしい診察を受けなくて済むところがいい。特に横になっていても身体中に痛みを感じるような症状の時はなおさらだ。今回の喉風邪は薬のおかげで日曜の昼過ぎには完全に治まった。しかしルルアタックIBは喉風邪以外にも使えるけれど、一日三回で一度につき三錠飲むのは一日二回につき二錠のプレコールと比べると、長引くときには面倒かもしれない。