ところで規制推進派にはこのフレーズがふさわしい。グレッグ・イーガン『道徳的ウイルス学者』(山岸真訳)からの引用だ。
あんたは特定の道徳律を生きる指針に選んだ。それはあんたの権利で、がんばりなというほかない。でもあんたは自分のしてることに、ほんものの信念をまるでもってない。自分の選択にどうにも自信がないから、自分は正しいと自分に証明するだけのために、ほかの選択をしたあらゆる人に地獄の業火を浴びせる神を必要としてる。神が願いをかなえてくれないと、自然災害をあさりまわって――地震、洪水、飢饉、伝染病――“罪人たちへの罰”を選びだす。神が自分の味方だと証明したとでも思ってる?あんたが証明したのは、自分の自信のなさだけなんだよ推進派にも反対派にも言えることで、以前ランティスによるアニメキャプチャサイトへの規制を述べたときにも書いたけれど、こうゆう時にやれ道徳だの法律だのを建前にしてのみ自己の正当性を肯定できないのはほんとうに馬鹿だ。そんな一時的なものは、そのときだけを考える政治家にとっては便利な代物だろうし、日々の生活では他人と不和を起こさないためにも、我々にとってだって便利だろうけれど、それが何の疑問を持たずに肯定されるべきものではない。同性愛だって禁止されてるところもあれば、許されているところもあり、歴史をふりかえれば紀元前のギリシャではプラトン先生は公然とそれを語り、またあの時代の人間はほとんど誰もがそれと同じであった。だから前述した道徳・法律を前面に振りかざすだけでは少なくとも真面目に議論をする場合は説得力にならない。
反対派が他のジャンルをスケープゴートにするのもよく聞く話で、たとえばFPSや暴力表現を表に出した他のジャンルのゲームの規制の方が先であるとか、あるいはドラマや映画に見られる暴力・性的表現を見過ごすなというものだ。この主張もひどい。つまりいずれにせよ、それらも含めて自分たちの嗜む表現媒体が規制されるべきであると謳うことに他ならない。まとめて規制されたら納得するのかと言えば違うのだろう。あと反対派の人が未だに勘違いしてる「実際の被害者はいないじゃん」っていう古い論理はさすがにもう突っ込む必要はないだろう。正直そんな発言は、情弱もいいところです。
――十年後くらいに、『レイプレイ2』が発売して「あの衝撃の問題作が帰ってきた!」というキャッチコピーになっていることを期待しながら、エロゲ業界のさらなる発展を祈って。――


