月面調査員が、真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。綿密な調査の結果、この死体はなんと死後5万年を経過していることが判明する。果たして現生人類とのつながりは、いかなるものなのか?

「な、なんだってー!」
この小説は理屈っぽいとか言われるが、その指摘は正しい。そしてそれが楽しい。地球外に存在した知性体の痕跡という巨大な謎に驚愕しながらも専門家たちが、ああでもないこうでもないと仮説を打ち立て、更なる新事実がその仮説を打ち崩し、その新事実を糧にまた新たな研究に取り組み……というドキュメンタリー調のエンタメ小説、ってこれやっぱり『MMR』にしか聞こえない。
雰囲気も明るく活気があり、それはこの小説が書かれた時期(一九七七年)が良かったんだろうけれど、現代の我々が夢に見る科学進歩が綴られているところに起因するのかもしれない。惑星間航行技術をはじめとして、その他細かい部分で未来的な情景を伝えるために、「単純に」予測可能な世界が画かれている。これは例えば、今やデッドメディアのビデオテープがDVDにその座を譲らずに、より高性能化された状態で我々の知る概念を保っているということだ。パラダイムシフトが起こらない。高度に発達した技術(それか、それに代わるもの)によって、「わたしはわたしである。他人ではない」という意味を喪失する種類のSFというものが多い中、そういった不安感を与えない明るい見通しが、この作品が長年エンタテイメントとして嗜まれる、ひとつの要素なのではないだろうか。だからこそ読者は、なかなか確実な進展を成さない学者たちの理論にも不満を感じることなく、むしろ学者視点に相乗りして興奮を味わうことができる。そして、最後までやっぱり人間賛歌な物語だった。印象的だった部分を引用して終わりにする。二三二頁、主人公のハントがガニメデに立っているときのことである。ここで彼は、自己以外の不確かさ(非「えいえんの世界」的な)を語ることによって、反対にテクスト外で自己のみを確かなものとして感じている。
ハントは、現実とは相対的な<量>であると考えるようになった。時を経てふたたびそこに立ち帰っても以前と変わらない、絶対的なものではない。今、彼にとって唯一の現実は宇宙船である。一時的ではあるにせよ、彼が背後に残して来たものは非存在と化したのだ。










