2009年11月30日月曜日

小林泰三『家に棲むもの』


 小林泰三の、今度はホラー短編集。収録されているものの中では「家に棲むもの」、「食性」、「肉」がわかりやすくて好きかも。わかりやすいだけなら「森の中の少女」もそうなんだけど、別段これといって気に入ったところはなくフツ~、としか。そう、きっと萌えというかオタク成分が足りないんだよ(増やしたら、オタク系読者に傾倒して残念とか言うクセに)!
 真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその1、「家に棲むもの」は、見当識を失してしまった老婆が家の中に棲み着いていたという話。住人が意識しないし、存在もわからない住居内の空間(たとえばユニットバスの裏とか、天井裏)というのは確かにブラックボックス的で、冷静に考えるとかなり怖い空間だ。天井裏に他人がいたなんて実話もあったくらいだし。まあ現実的な怖さは虫がたくさんいたら直視したくないなあレベルなんだけど。ぼくもだけど、現代の集合住宅に住んでいる人からすると一軒家というのは色々と不便な上に怖くて、「マンション(それかアパート)にしなよ!」とあくまで他人事的に思うのだが、仮に自分が片田舎の一軒家に住んでいたら読みたくない短編。そこそこ大きい家で、しかも同居人がその狂人と協力関係にあったとなると、自宅が魔所になってしまうワケだ。でも最後は暗闇ともう共生しちゃおうよ的な流れに。主人公の女性が結構ズ太い(だいたい、事件が起こるまでとは言え、そんなに妖しい家によく何年も住んでいられたもんだ)というか、細かいことはノーサンキューな性質なんだな、きっと。
 「食性」は後に紹介する「肉」と並び、小林泰三の食に対する意識が表れている作品ではないだろうか。SF短編集『天体の回転』についての中の「性交体験者」なんかも似たテイスト。直喩的な意味で肉食系女性と草食系女性のそれぞれの言い分に振り回される男の話。食べたいものを食べるのがいいよ。肉大好きな人が、菜食主義者に対して、植物の生命は生命としてカウントしないってか?という問いを投げるのは好み。
 「五人目の告白」は自己追求の為に、多重なる意識を相手にしてる?要するにセルフ討論会というか、複数人格による個人ブレストみたいな。ちょいと難しい感じ。
 「肉」は読んで、小林泰三の書く女性の悪食っぷりは本当に凄まじいなあと感じた。ビジュアル的に『沙耶の唄』状態になっている邸宅に入って包丁を見つけ出して、敷地内に溢れている肉を切り取ってガブリと食べて、なかなかジューシー!……ってオイッ、食うンかい!ネタは半ば予想がついていたとは言え、登場人物のお気楽さがすごい……教授のいろんな意味でのMっぷりとか。人間の常識とか倫理観から脱した人に、我々のステージからの目線で何を問いかけても意味がない。ビジュアルは大変なコトになっているけれど、本人が大して問題だとも思っていなくて、しかも社会的にも有意義なんだから、これってある意味ハッピーエンド?
 エロス担当は「森の中の少女」。まったく男は野獣だぜ……狼の群の中から人間に助け出された少女のその後が気になるところ。むしろそこからがコンクリート・ジャングルの地獄なんじゃないか。ちょっと暗めのエロゲ風アフターストーリーを予想してしまうダメな読者なのであったとさ。
 少年蒐集癖のある魔女に捕まってしまった男の子の話が「魔女の家」。暴食のベルゼブブですか……?囚われた子が多重人格化し、それを利用して脱出を図る、という話なのだろうか。この場合、実時間と彼のみの時間感覚は問題にならないので、彼だけが成長した副人格を持っていて、主人格に逃亡を示唆したとするのだろうが。それとも魔女は記憶の中だけの存在で、副人格が少年の方だったりするのだろうか。
 真性サイコキラーお婆ちゃんシリーズその2、「お祖父ちゃんの絵」。絵を描くことに執着する老婆が、モデルに最適だと目を付けた青年を誘拐及び拉致監禁及び殺害及び死体遺棄するお話。それが全部、自分が描きたい絵を描くためだけにするのだから、行動力に関してだけは画家の才能があると言えなくもない。ただ、絵を描くのは忍耐と義務感が結構必要だと思う、というかモデル拉致っちゃダメでしょう。「家に棲むもの」、「食性」もそうだけれど、一つの執念が社会的制約から人を解放するというのはサイコキラーを造形する上でお約束な儀式の一つなのだろう。

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