やはりマッケンはいい――と言えるホド、マッケンを読んできたわけでもないけれど、これは面白い。面白いというと、少し違うかも。おどろおどろしい内容でも、楽しい内容でもなく、美しい内容の幻想小説だったので「素敵だった」と言うべきだろうか。郊外にあるんであろうの森の描写とか、少女の妖しさの書き味がいい。前に読んだ怪奇小説『怪奇小説傑作集5』はイマイチだったので、自分は古典ホラーがあんまり好きじゃないのかとも思っていたのだが、そうではなくて、モノによるのだと改めて考え直した。
内約は短編「白魔」と中編「生活のかけら」と『翡翠の飾り』という短編集からショートショートの「薔薇の園」、「妖術」、「儀式」を収録した全五作。訳は平井呈一でないのが、最初は不安だったのだけれど、『怪談の悦び』の訳をした人だった。平井呈一とはまた違った良さがある。解説の少し砕けた感じの文章がツボ。
「白魔」は京極夏彦の語りっぽい隠遁者と、その隠遁者の話に興味を持った男の会話からはじまって、隠遁者は大切にしているノートを男に貸し出す。このノートが異界と接触した少女の手記になっていて、それが本編の肝になっている。「パンの大神」もそうだったけど、マッケンは女の子を書くのがけっこう好きなのだろうか。「白魔」は the white people の意訳で、作中では森の中で白い人たちと出会い、乳母の手ほどきもあって女の子は知られざる世界と接触していく。乳母が地味にすごいけれど、お前はナニモンなんだよ……なんとなく泉鏡花の『高野聖』や柳田國男の『遠野物語』っぽさがあるのは、その白い人たちの書かれ方であったり、ある意味で優しい異界の在り方が伺えることが起因するのだろうか。異界の在り方は普通人の常識からしたら恐ろしくもある。しかし悪意のある狂気の侵略者ってワケでもなくて、彼らは彼らなりの生き方をしていて、少女を受け容れてくれている。だから単純な怖さではなくて、幻想の美しさを感じたりもできる。ダンセイニの『ペガーナの神々』をあの世界からではなく、我々の知っている世界から触れたような感じか。
「生活のかけら」はなかなか物議を催している作品らしい。ぼくもこの小説はいまいち好みではない。ある夫婦の日常の話が淡々と進み、しかも怪奇小説っぽくなってきたら、そこで話が終わってしまう。巻末にある解説には
「生活のかけら」は、しかし、どう見ても怪奇小説の部類には入りません。初めのうちは私小説かと思われるくらい、所帯じみた話であります。ともある。一方で平井呈一は、この作品が好みでないと言う人は真のマッケン愛好家に非ず、と述べたらしい。でもまあ、いいんだ。ぼくは肩肘張らずに楽しめればいいので。
『翡翠の飾り』からの三編は「薔薇の園」が特に文章が綺麗に感じられたし、「儀式」はエロい。このへんは解説でも同じことが書かれていて、この三作に対してすぐに感じることは誰しも同じなのかなと思った。ショートショートは発する情報が必然的に少ないから、読者が感じることも最初は似たようになるのだろう。もちろん、時間が経つと色々な方向に展開することはあるだろうけれど。「妖術」と「儀式」は「白魔」スピンオフ作品になっていて、これらを読んで「白魔」はかなり「パンの大神」と似通っているところがあると思った。石像と石碑が繋がるし、少女が異界の存在に見初められるところなど。
そして『白魔』は久々に読んだ光文社新訳古典文庫だった。岩波文庫にあったりするものをどんどん新訳で出してくれてるけれど、こっちの方がずっと読みやすくていい。このレーベルは信頼できるなあ。

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