2009年9月30日水曜日
六塚光『ペンギン・サマー』
釣られてしまった……というのが最初の感想。今年の復刊によって、プレミア価格大暴落SF本トップ3にランクインしたジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』を髣髴とさせる名前を冠したこのライトノベル。ナンチャラ・サマーなんて名前はありがちだけど、ここまで時期も語感も合わせてくるのは狙ってるとしか。
ある種の理不尽小説である気もする。登場人物の行為がはちゃめちゃなのはいいんだけれど、納得できるものと、そうでないはちゃめちゃっぷりというものがある。なんというか、コントっぷりが前面に出すぎていて、これでどう納得すればいいのかわからない理不尽さ。あ、よく見たらあらすじに"ひと夏のトンチキな物語"ってあるので、トンチキな物語を望んでいない自分はお呼びでなかったワケか。まあ、そんなお呼びでない人も取り込んじゃう小説だったら良かったんだけれど。
それにSF要素がちょっと入ってるだけで、声高にSFというのは厳しい。自分は古本で買ったのでオビは付いてなかったのだけど、本来そこには「○○SF」みたいに伏せ字されていて、それ自体がトリックになっていたらしい。ぶっちゃけるとこれはタイムスリップものである。タイムスリップものとなると、最近は時間が衝突したり封鎖したり逐次的意味を失ったりして大変なんだけれど、そんなことまったくない軽さ。これは読者にもある程度の軽やかさが要求されたってことなのだろうか。
特徴的なのは視点変更と時間軸変更のトリックが使われていて、これ自体に目新しさはまったく感じないけれど、それぞれの語り口の変わりっぷりは思いきった書き方だと思う。たとえば最初の章は主人公からのごく普通な視点で描かれるが、次の章からは民俗学解説よりの抜抄を模したり、手記調になったり、科白のみで進行する文章だったりする。けれど実はそれが上手くいっていない風に感じた。それぞれがそれなりの分量がある文章なのだけれど、そのひとつひとつに魅力があってこそ、こういった分業は許容されるのであるが、これは単純に読んでいて面倒というか、先がまったく気にならない。ラノベという媒体のおかげで、ダレても内容が把握できずページが進まないということがないのが救いではある、のか?
絵はちょっとアレな出来で、挿絵があるページになると手で見えなくしてた。イメージを上回らない絵だと、どうしてもこんな扱い。でも絵の分量がライトノベルはそうでない小説より多いんだから、適当にお茶を濁すことは出来ない。まあ恐ろしいことに、これも世間の評判と自分の感覚に隔たりを感じてしまうことも非常に多くあるので商売的にはイケてるのかもしれないけれど、個人的には許容できかねる。
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