Saturday, July 11, 2009

署名をするならこちら - MIAU「児童買春・児童ポルノ禁止法改正についての緊急声明」

 「架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名」というのが何故か一部で流行り、署名した方も多かったとは思うが、それならMIAU「児童買春・児童ポルノ禁止法改正についての緊急声明」の方に署名して欲しい。
 前者の署名は制定内容に目を通すとかなり問題があるように思えた。法によって規制することを法によって規制するという不思議でがんじがらめな思想に感じられた。ぼくと同じように署名をせずに批判したりネタにした人間も決して少なくなかった。
 その後に児童ポルノ改正案審議の内容が国会中継などで知られることになったが、今回の改正案は予想していた以上に思想弾圧的というか社会主義的な要素を盛り込まれることが明らかになる。もう前者のような署名では幼稚で効果がない状況だと思った。まず単純所持に規制がかかる範囲がとても広く曖昧である可能性が出てきた。たとえばジャニーズも規制対象だとか宮沢りえの写真集『Santa Fe』を所持しているならば廃棄しなければならないだとかが挙げられた例だ。もちろんデジタルデータの保持も禁じる意向であるようだ。どれだけこの改正案がわれわれの既存の文化と財産を破壊するものであるかはこれ以上例を挙げなくても十分だと思う。
 しかし、この上さらに雲行きが怪しくなる。先日あったBBSのURL書き込みで逮捕されたというアレ。児童ポルノのサイトにリンクを張ったとして、神奈川県警がネット掲示板の書き込み者と開設者を摘発した。これはいろいろな問題を孕むが、ぼくは特に怖いと思ったのが、審議中の改正案が通った場合には、このリンク、URLだけで逮捕されてしまう適用範囲が広がるだろうということだった。
 社会に対する理解と、知性に対する良識によって、今回の改正案は取り消されるべきだと思うがどうにも議論の流れはそうではないのが悲しいところだ。MIAUの声明は規制実施に際してブレーキを掛ける、とてもマトモな署名だ。署名は「MIAU : 児童買春・児童ポルノ禁止法改正についての緊急声明」から。それらの内容の解説については「MIAU : 児童ポルノ禁止法改正案緊急声明についての解説」を参考にされたし。最前の「架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名」と比べて読むのは些か面倒な量だと思う。けれどそれは、しっかりと正確性を持っているからだ。これを読んで信頼できなければ仕方ないし、でも曖昧すぎて正義を騙った危険思想というものとは違うことが感じられる。MIAUがんばれ、超がんばれ。

Thursday, July 9, 2009

レコ




 パンツを穿いていなくて誰が咎めよう。ベルニーニやロダンの彫刻も穿いていないものは多い。つまりまあ……うん、マエバリって久々に見たような気がするなあ。
 シューティングゲーム『虫姫さまふたり』の主人公レコ(Reco)のフィギュア。制作はマックスファクトリー。もっと写真を見たいなら公式の紹介ページ「はいてない!?スジクッキリ「虫姫さまふたり レコ」レビュー」を参考されたし。原型師名は発表されてないが、多分だけれど志賀弘臣の制作。氏が個人出品したガレージキットをリファインしたものと思われる。その当時のものの写真を見ると今回の完成品とはかなり異なる部分があるから、もしかしたらリファインは別の人がやったのかもしれない。
 筋肉がしっかりしていて良い。写真に撮った腋、腹部、脚が特に美しい。三角筋や胸筋の細いながらも腕を上げることによって盛り上がってる部分にも思わずニンマリ。個人的には胸より、その周囲の形に惹かれる。可愛らしさや、服飾の細やかな部分の再現も重要だけれど、最近は良くできているものが本当に多くて、個人的なフィギュアの選別方法は人体のプロポーションを優先するようになっている。どうしても原作イラストの再現となると画面的な見栄え重視で筋肉などが描かれていないものをそのまま立体に起こすことがあるけど、やはり立体になる際には肉と骨を感じさせる作りがより大切になってくると思う。とは言ってもこのレコの場合は原作イラスト担当のHACCANも筋肉表現をしっかりするタイプのイラストレーターなので、そこまで大胆に肉付けをしたと言えないのかもしれないが、ともかく非常に美しい人体である。
 クリアパーツも大抵の場合は違和感が先行するけれど、これはとても良い効果を発揮している。光の当たり方にもよるけれど、髪のピンクから黄色へのグラデーションもクリアパーツでなかったらこんなに綺麗にきまらなかったのかも。ちなみに原作だと束ねた部分の髪先はオレンジだし、多くの部分はもっと紫がかっている。この変化の理由は気になる。塗りも担当がいる筈だが、そういうのはなかなか表に出てこない、いわば舞台裏の作業である。ミカタンブログとかよりも、業界のテクを知らしめるべく制作陣のインタビューとかをやって欲しい。まあ、企業秘密だと言われてしまえばそれまでだけれど。
 もはやフィギュアの話ではないけれど続ける。レコのデザインはあざといけど可愛いで留まらない良さがある。まず『虫姫さま』の設定が卑怯で『地球の長い午後』+美少女って言えば『ナウシカ』だけど、『ナウシカ』以降だってそのアイデアの使い方は健在で、まだまだ魅力的なパワーを秘めている。そこで土臭くないビジュアルを投入しつつもアンバランスにならないあたりがセンスという名の努力の結晶だ。綺麗で、可愛らしくて、優しげで、しかもちょっとエロティック。アニメーターを目指しはじめてから、こういうデザイン面での深い思慮がどうしてもできなくなってしまう。こういう面での観察眼も時には必要とされることがあるだろう。良い機会なので『虫姫さま』のイラストレーションをじっくり観てみることにしよう。
 ちなみに原作ゲームはゲーセンでプレイしたことあるけれど無理だった。『東方』とかならまだしも、あんな本格弾幕は……ウルトラモードのDVDに記されているフレーズは"虐狂の極悪上弩へようこそ"。可愛いビジュアルに騙されたオタクは多いと思う。

Sunday, July 5, 2009

希『紅殻町博物誌 紙の体験版』

紅殻町博物誌 紙の体験版
 注:"こうかくちょう"と読むと攻殻機動隊みたいで未来チックですが違います。(『月刊うそ。 volume.31』表紙の文章より)

 いかにも文庫っぽい――というか文庫なんだけどゲームの体験版。あーもう、どうやってこれ表現すればいいんだ?つまりライアーソフト、通称嘘屋のファンクラブ会員であるぼくのところには定期的に『月刊うそ。』なる会報が届けられるのだが、先月届いた封筒に入っていたのはいつものA5サイズのものではなく文庫判の……文庫だったのだ。
 raiL-soft(レイルソフト)というのはこの『紅殻町博物誌』が二作目になる嘘屋の姉妹ブランド。処女作の『霞外籠逗留記』は体験版だけはやったところ、明治末から大正初期あたりの文学作品というかちょい古めの和風文学語りで、具体的に言うと泉鏡花とか日夏耿之介とかたぶんそのへんから影響を受けているんだろうと思われる言葉の使い方をする。文章自体はそうでもないけど、今回の『紅殻町博物誌』にしても廂間とか葦簀とかがそれっぽい。尾崎翠チックに瓶も罎と表記して欲しかったけど。で、やってみると良い意味で「これ、エロゲーの文章じゃねーよ……」と呟きたくなるものだった。そういうテクストはむしろ心地良さを感じさせるものであったのは記憶に残っている(不適切な放浪: 『霞外籠逗留記』体験版雑感)。今回もその雰囲気を継続させて、最早開き直ったのか「レイル文庫」なんて記してまんま文庫で攻めてきた。いや、本編はゲームらしいんだけど……嬉しいしすごいけどややこしい!
 いまさらな話ではあるけれど、エロゲーのシステムというのはクリックすると文章がどんどん出てくるものではあるが、それは一覧性に欠けるし、クリックする手間は実際の本の頁をめくるのに比べると随分めんどうなものであると思っている。だからまず形式だけでもこうやって読みやすい形になってくれるのは嬉しい。それってエロゲー否定じゃないかとも思われるかもしれないけれど、まあどっちにも良いところがあって、それぞれの善し悪しをここで列挙しようとすればいささかめんどうであるので僅かに指摘するに留めておくけれど、最前述べた本のリーダビリティに対して、エロゲーには映像作品とはまた違う独自な時間性(あるいは空間性といってもいいかもしれないけれど)が認められるだろう。モニターの中、あるいは一つのウィンドウの中でのみ展開される活劇は読み返しや読み飛ばしがしにくいけれども、その中で絵(エロゲーレイアウトのつまらなさや、微妙に立ち絵が動くことによる虚しさはひとまず忘れて)と音楽が用意されていることによって独特の臨場感をプレイヤーに与えてくれるのはノベルゲームやAVGを体験したことがあるのなら同意されることだと思う。画面的には気持ちいい動きなんてものがないどころかむしろ逆だったりするのに、声や音楽や効果音が巧みにくっつくとそのシーンが忘れられなくなったりする。『Wind -a breath of heart-』のみなもの問い詰めとか、『水月』の花梨と二人きりで会っていた日の夜、別れ際に和泉にその場面を目撃されてしまったところとか、『ひぐらしのなく頃に 綿流し編』原作の目とか、体験版しかやってないけど『Trample on Schatten!!~かげふみのうた~』の冒頭とか、等々。しかし腰を据えてやるのならまだしも、体験版でちょろっとやりたいとなるとモニタの前でクリック作業を繰り返すより、文庫本をそのへんに持ち歩いたりできるのが便利だ。具体的に例を挙げると便所とか。まあ結局机の前の椅子に座って読むんだけどこう手軽さが違う。さらに今作のような文章なら、ぶっちゃけ本編も書籍の形でもまったく構わない……というのは言い過ぎか。実際に声を聞いたりしたら、その力に抗えなさそうな気はしている。『霞外籠逗留記』体験版での草柳順子の声はパンチ力があったし、嘘屋ゲームに出演している野月まひるの声はカリスマ的な魅力があるからなあ。ベタだけど北都南の声も好きだし、芹園みやとかも……(もう止まれ)
 脱線から戻って文章について。大方のエロゲーはリヒテンベルクが述べた "ゲーテが冗談を口にするときは、きっとそこに問題が秘められている" というようなはっとする細やかさは少なく、文章量は大抵の長編小説を圧倒するけれど、結局はくだくだした言い回しやがっかりイベントに費やされることは多い……懸命に仕事をしているライターさん達には悪いけれど、これがちょろちょろエロゲーをやる人間としての真実の実感だ。けど嘘屋でスチームパンクシリーズを手掛ける桜井光にしろ今作のライターである希にしろ、文章自体の心地良さを感じさせる書き手だ。他のエロゲーで画かれているようなヒロインとのイチャイチャとかはないんだけれど、その長くはないけれど重みのあるシーンの描写は鋭さを伴って世界の美しさを語る。スチームパンクシリーズの副題となっている What a beautiful world(/people/tomorrow) というフレーズを思い出す。レイルソフトの作品も仮に副題を付けるのならば、その美しさに準ずるものを携えるに相応しい作品だと思う。もっともモニタの中の女の子とイチャイチャできるのは前述したエロゲーの独自性があってこそのもので、それはそれで楽しいんだけど、ぼくの場合は実際にその状況に行き着けばまだしも、進んでそこまでのトランス状態に入りたいとまで思ってはいない。日常の充足を補うハングリー精神(飢餓感)よりも好奇心の方が強いから、想像のつかない未知の世界で冒険して謎を解きたい。これも一種の厨二病なのかもしれないけど、SFにしろミステリにしろ何かしらの謎解きは、自分が正義のヒーローになって悪を倒すという体験よりもわくわくする。そういった謎解きの興奮を与えてくれる状況にあっては、イチャイチャはむしろもどかしく感じてしまうあたり自分の余裕のなさが浮き彫りになるけれど、やっぱり消化試合より確実に確信に近づくような理知的な主人公に便乗させてもらうのは爽快だ。
 物語について全然書いてないからちょっと捕捉しておく。サイト見てもらえばいいとは思うんだけど。『紅殻町博物誌』は現代の日本にありながら不思議なことが起こる田舎町を舞台にした物語。正確にはこの町だけにある珍奇物品が不思議な現象を引き起こすのだが。『Forest』の新宿みたいな感じかとも思うが、不自然さが自然さと調和したノスタルジックというか優しさが混じり合った幻想譚っぽい。これは都会が持つ性質と、田舎のそれの差異を顕しているといってもいいように思えて、そのハーモニズムにはかなり惹かれるものがある。感覚がおかしくなる不思議さがあるのに、物質性をしっかりと捉えられるからどこか安心感が得られる。主人公の宮里智久が幼少の砌に訪れた紅殻町に再び訪れ、叔父により記された珍奇物品に関するノートにその記録を書き足していく。なんとなく物語に必要とされる欠如(登場人物の飢餓感)が足りないような気がするけど、本来的には都会の人間である宮里青年がこの不思議とどう融和していくのか、どう決まりをつけるのかが楽しみ。これは製品版をプレイすると思う。その前に『霞外籠逗留記』に着手しなくちゃだけど。

Wednesday, July 1, 2009

パースと解剖学の参考書を再読



 先月は昔読んだ参考書をふたたび開いていた。読んだのは上の二冊。参考書っていうのはどうにも一冊だけでは足りない部分があるから何冊か同じ系統の本か、あるいはこういった実用書であるなら、本当に実用しているサンプルが載っている本なんかが(まあ絵なのでネットに画像ファイルがあればそれでもいい)欲しいところ。
 パースはいろんな参考書にオマケ程度には解説されてるけど、専門的に扱っている本で持っているものは『マンガでわかる遠近法』とPhilip William Metzgerの『 初めて学ぶ遠近法』というものの二冊だけ。後者の『初めて学ぶ遠近法』はあまりに基礎的すぎて、ほとんど役に立たなかった記憶がある。反面『マンガでわかる遠近法』は詳しいことまで載っているけれど、こっちのキャパシティーを上回りかねない。漫画だから楽しく学べるって言ってるレビュアーもいるけど、あれは嘘だ。本気でわかろうとしたら根気がいる。翻訳者がわかってるのかも訝しんでしまうところもあって、原本の方で意図的に間違った絵をコマに入れている場合なんかはそれが伝わりにくかったりする。
 それから大抵の本はそうだけど、特にこの参考書は「Lesson 1」とかのよくある実践的な部分もないし、参考になる絵も少ない。漫画形式だからしょうがないんだけど。つまりこの技術を使ってどうなるものかというのが具体的にわかりにくい。そこで他の本が必要になる。個人的にそこで役立つと考えているものの一冊がScott Robertsonの画集だ。『 Start Your Engines: Surface Vehicle Sketches & Renderings from the Drawthrough Collection』か『 Lift Off: Air Vehicle Sketches & Renderings from the Drawthrough Collection』がいい。この画集を見て、ぼくは遠近法の真実な重要性に目覚めた、少なくとも自分ではそう思った。Scott Robertsonは知ってからもう数年経つが、いまでも最も尊敬するアーティストの一人だ。下の画像は『Start Your Engines』から。

 『やさしい美術解剖図』の方は学生の時に学校の図書室に置いてあったものを使っていただけだから今回は購入した。この値段でこの内容はお得すぎる(しかもAmazonのギフト券で買った。このブログを通して買ってくれた方に感謝します)。この本は簡易な解剖学書としてドローイングの役に立つように書かれていて、参考になる絵もたくさん載っていて内容が充実している。模写しながら学べるタイプの本だ。筋肉や骨格を意識させたり、それどころかそのものを描いていたりする絵はネット上にも結構あるし、それらと見くらべながら読むのもいい。

Sunday, June 28, 2009

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』インプレメモ


 なんだかんだで初日に観に行って、本編はじまってからずっと嬉しさでニヤニヤしながら観てた。とりあえず雑駁なものになっちゃうだろうけれど感想をば。ネタバレは多分ほとんどなし。

 CGは使いどころによっては良かったと思う。問題は手描きならどうなっていただろうと常に想像してしまうところ。でもCGなりに良かったと思えるシーンはあって、まずこれはパンフレットの最初のページにも載ってるけど、アヴァンの仮設5号機と第3使徒が辺獄エリアからの最終封印を破って地上に出るカット――それにここでは画面が暗いからごまかしは効く――や、それから第8使徒の落下ポイントに初号機を間に合わせるために最初の緊急コース形成をしてワイドショットでエヴァが街を走るカットとかは、いやここはギリギリかな……でもまあ良かったんじゃないかと。あれくらいのロングショットならCGを使っても問題は少ないのだと思う。両方とも細かくて速い繰り返しの動きと画面内で物体が空間を移動する描写だった。だからそういった動きに特化した被写体である第8使徒がはじめてネルフの司令塔のモニタに映し出されたカットでは、抜群の効果があった。
 しかしもっと被写体が近くなってしまう場合では、まあ好みの問題ではあるんだろうけど流石に手描きの方が好きだ。歪みとか省略とか癖とか、やっぱりそういう部分も逆の性質の正確さと総合して気持ちよさを与えてくれてるんじゃあないかと思うので……こういう比較は無意味だろうが、補説として書くと、つまり旧劇場版の『Air』でエヴァ弐号機と量産機が最高のスタッフで最高のアクションをする。あの時の快哉を呼び起こす作画は、こういうとアレかもしれないけれど3DCGじゃできないものだと思う。それこそアニメータが手描きにこだわって、観る側もそこから離れられない理由なんだろうし。斯様、『破』において『序』以上に挑戦的に取り組んだ3DCGはスタッフの労力を減らしたというプラグマティックな功績はあるのかもしれないけれど、『序』のような使い方でなければ正直、映像の気持ちよさは下がってしまうのかなあ……これは誹謗している訳ではない。何年も続いてる課題の一つだと思う。結局いろんなアニメで「3DCGの使い方が良かった」なんて言われることはあっても、上手い手描き作画より良かったかという冷厳な疑問を提示されると言葉に窮してしまうような状態は誰もが本当は理解してることだと思う。
 それから当然A.T.フィールドの描写はたぶん全てCGになっていて、これはいろんなことができて便利な一方、ちょっと目立ちすぎなのかもしれないと思わされる。2号機と第10使徒の戦闘で「零距離ならば」って実弾銃を何カ所も撃ち込んでもフィールドに弾かれるカットなどでは目立ってたわけじゃないけれど、その前のワイドショットで画面左下から2号機が画面右上の使徒に銃撃を浴びせようとしても多段フィールドで遮られるカット。つまり「A.T.フィールドが強すぎる」って科白の1カット前と、それから第10使徒と初号機交戦時に三次元的なフィールド描写になって使徒を吹き飛ばすカットは他の部分よりフィールドの描写が目立つ。これは『序』で第6使徒についての評判がとても良かったから、そのフィードバックとしてなんだろうけれど、その使徒の時って長距離戦だったから他の被写体と一緒に画面内に入り込むことがなかった。けれど今回はその典型的CG描写をそれ以外のものと一緒に画面内に配置しなければいけなくなって、これはとても難しい部分だと思う。外連味という点ではいいけれど、古典的アニメ好きとしてはやっぱり手描き部分でもっと色々見たい。けど多分次回の『Q』ではもっとこの典型的CG描写と手描き作画のものが混じってくるんじゃないかと思う。それも上手い具合に。もちろんそのときにも違和感はぬぐい去れないだろうけれど、そこが挑戦のしどころなんだろう。
 余談、あんまり関係ないけれど『咲』もそれなりに上手くCGを使ってる作品だと思う。クローズアップで牌と指先だけを映すカットは劇中何回も使われるけれど、あんまり違和感がない。少しカメラが引くと一気に違和感が出てくるけれど、あれはなかなか凄いんじゃないだろうか。
 それからエヴァって他の作品よりも現象の描き方は気が利いてるなあと思うところがある。演技とかは上手いけど、京アニやボンズとそこまで差がつくかは正直ぼくにはわからない。でもこういった巨大ロボットものってスケールが大きい割に、ハリウッドのVFXフル使用の映画に観られるような事態の大きさがちゃんと画かれていることが少ないけど、エヴァはそれがちゃんと描写されてる。たとえば前述した緊急ルート形成も(ご都合すぎだろ!って突っ込みはナシで)そうだし、『序』のヤシマ作戦で地形が大きく変わってた部分や第6使徒の攻撃の衝撃波で周囲が吹き飛んでたのもそう。今回一番良いと思ったのは第8使徒の迎撃で初号機がカメラから離れたところを高速で移動した後、カメラに向かって衝撃波が迫るところ。やりすぎかもしれないけれど、こういう非日常的な物理現象がわかる描写っていうのは好き。
 余談再び、現象といえば結構気になっているものがあって、『亡念のザムド』第一話の伊藤秀次がやった校舎が爆発するカット。ここで校舎は爆発して一端破片が周囲に飛び散るけど、そのあとに爆心地に向かって破片や周囲の人間が吸い込まれるような突風が起こる。まあ爆発によって空気が失われて、そのあと周囲の空気と均される自然現象のために風が吹き込んだんだろうとも思ったけどこれは違うっぽい。破片が空中で一端静止しているのでそういった現象ではないと思うし、それならすこしやり過ぎだと思う。この現象はどうなっているのか結局わからない。誰かわかる人いたら教えて下さい。余談終わり。
 ということもあって、これは巨大ロボットアニメとしてすごく良くできたものだったし、ストーリィは……まあ完結してないのでなんともだけど、観てる限りでは普通に面白い。今後のロボットアニメ制作にまたエヴァの壁が立ちふさがるなあと思う一方、ぼくはこの映画を観れてとても嬉しかった。良い意味でニヤニヤしながら観られる映画なんてそうそうないし。これは十以上年前に『エヴァンゲリオン』がぼくに植え付けた衝撃のせいなんだろうけど。ということは、ぶっちゃけるともう映画を観る前に最終的な勝負は付いてるんだ。あとはもう自分の眼がどのくらい凝らせることができるかが問題なわけで。