2010年1月4日月曜日
フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート』(浅倉久志・他訳)
これも去年読んだもの。新年に入ったけれど、しばらく去年読んだもののエントリーが続くかもしれない。やっぱり一回溜めると書き出すモチベーションが生まれるまでペースが乱れる。
久しぶりのフィリップ・K・ディックで今回は短編集。なかなかわかりやすい話が多く、内容も面白い。殆どの話に皮肉が利かせてあって、結末が笑えてしまえるようなものが多かった。イメージ的には「ちょっと古い普通のSF」というところか。今なお力のある作品として評価するかと言われると難しいような。
表題作の「マイノリティ・リポート」は映画化もされたし、先日放送された『とある科学の超電磁砲』のサブタイトルがこれのパロディだったから(アニメにありがちだけど、内容はまったく関係ない)知っている人も多いんじゃないだろうか。結構昔に映画を観たが、随分内容が違うように思えた。未来予知によって事前に犯罪者を逮捕する犯罪予防局の、長官のアンダートン(映画ではトム・クルーズが演じる)が自覚しない殺人事件の加害者として予知されてしまう、という書き出しは同じ。スピルバーグの映画だとこれは手の込んだ陰謀で、事件は二転三転するが、小説は未来予知によるパラドックスをアイロニカルに画いている。映画より小説の方が面白いというのがマジョリティらしく、たしかにこの短編は上手くまとまっていると思う。だが、映画は映画ならではの面白さがあった。アクションシーンや未来の技術の描写など、トップアーティストを集めていて、なかなか魅せてくれる。むしろ小説を忠実に映像化するより、同じ下敷きで別の物語を画いたあの映画版は評価すべきだと思う。
「ジェイムズ・P・クロウ」。シンギュラリティ後の世界が舞台。ロボットが人間を支配している。人間はロボットにできないことをするために、ロボットによって作り出された生命だとされる。平等を謳っているが、ロボット優先にどうしても作られる社会で、試験を次々にパスしてキャリアを駆け上がる人間がいた。彼は真の歴史を知り、ロボットを他惑星へ移転させ地球を人間だけのものにする政策を打ち出す。そんな彼にロボットの友人が「人間だけでやっていけるのか?」と問いかける。そういえばサターンのCMでロボットが進化して……というものがあった。偽の歴史のイメージビデオはこんな感じか。
「世界をわが手に」。これはオチが予想できた。外惑星探査に疲れ果てた人類の間では個人で育てられるミクロサイズの擬似地球が流行る。ミクロ地球の出来映えを競い合い、熱狂する人々だが、それを自ら破壊したりなどもする。ミクロ地球には生命もいるのに……これは気まぐれな虐殺だった。そしてそんな人たちが暮らしている地球も、さらにマクロな存在の持つミクロ地球だとしたら?
「水蜘蛛計画」は太陽系内宇宙への進出にとどまらず、時間連続体の移動や異種知性体とのコンタクトにも成功した未来の話。ここまでテクノロジーが進歩しているが、地球外植民計画のために運用される亜光速航行は技術上の問題があり、今まで何人もの犠牲者が出ていた。技術的欠陥を解決するために、この時代には存在しない予知能力者(プレコグ)を過去から連れてくることになる。しかし予知能力と未来で言われているが、当時のプレコグたち当人にはその認識はなかった……
ここからが面白くて、彼らはSF作家なのだ。しかも実在するSF作家=プレコグとして書いている。だから彼らが書いていたものは小説ではなくて論文なのだ。アシモフとかハインラインとかが出てくる。連れてくることになったプレコグはポール・アンダースン。妻のカレン・アンダースンも出てくる。ちなみに娘さんはアストリッドというお名前らしい。アンダースンは彼を未来に連れてきた人々のところから逃げ出すのだが、文化様式が大きく変わっている世界なので他の人間とまともに情報交換することすらままならない。しかしそこに助けが入る。突然出会ったダークイエローのスライムはアンダースンの思考を読み取り、紳士的にこの時代のことを教えてくれる。一番手っ取り早いのはアンダースンと同化することだけれど、それは恒久的な同化なので嫌だよね?という気遣いまで。未来で出来た最初の友人が粘菌生物って面白いなあ。当然、この未来旅行の体験を現代に持ち帰り作品とするのだけれど、ぼくはポール・アンダースンの作品を読んだことがないので、これが特定の作品の誕生秘話的なものなのかどうかはわからない。メタフィクショナルSFというとナンシー・クレスの「ケイシーの帝国」があるけど、あれよりずっとエンタメしていて純粋に面白い。ある作品をどう作ったのかを考えて、こんな作品が作れてしまうという手法はなんだか色んな可能性を見せてくれる気がする。
「安定社会」。ああこれは小林泰三の「時空争奪」っぽい。でもイマイチ最後がわからなかった。
「火星潜入」はこの作品集の中では駄作に見える。事実、解説でもかなりどうでもよさそうな扱いをされている。地球と火星が敵対していて火星に潜入した工作員が新兵器の都市収縮機械を使うのだが……工作員がおしゃべりすぎて、自分のやった極秘任務をバラす。こんな口の軽い工作員がいてたまるか!しかも地球と火星の戦いって古い。
「追憶売ります」はおもしろかった。『トータル・リコール』のタイトルで映画化されているらしい。名前は聞いたことがあるけれど未見。
主人公は普通のサラリーマンをしながらも、日々火星に思い焦がれていた。火星なんて、政府から依頼を受けた工作員くらいしか行けないのだから、実際に夢が叶うことはない。そこで彼は自分が火星に行ったという記憶を持とうと、手術を受けることにする。しかし記憶を植えつける段階で大変なことが発覚する。彼は既に火星に行っていたというのだ。火星に行った記憶は政府によって抹消されていた。政府は記憶を完全消去できない彼を危険だと見なして排除しようとするが、男はもう一度自分から記憶消去を選び、政府は彼を見逃すことにする。そこで記憶を消去し、新しいものを植えつける段階でまた大変なことが。彼は地球外の異種知性体と接触した唯一の地球人であり、彼らと友好的なコンタクトを果たしていた。彼らは男が生きている間は地球を侵略することはないという。政府は彼を殺すこともできなくなってしまった。
ありえないことの連続だけど、それが娯楽小説の楽しみだろう。ぼくはこういうバカバカしくもスケールが大きいのは好きだ。
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2010年1月3日日曜日
グレッグ・イーガン『宇宙消失』(山岸真訳)
二〇〇九年に最後に読み終わったモノがこの『宇宙消失』。個人的にはすごく満足できる読書体験になった。イーガンで量子論SFなのにかなりわかりやすい。「ひとりっ子」は、この『宇宙消失』の別アプローチだったんだなあ。イーガンの短編集『ひとりっ子』の表題作「ひとりっ子」(ついでに「オラクル」も)は主人公のアンドロイドがクァスプという量子的ゆらぎを生じさせないという特性を持ったガジェットを搭載していた特殊性から、読んでいても感情移入できなかったし、するような筋の話でもなかった。一方この小説の主人公は、量子的なゆらぎの中で不思議な体験をする。どのくらい不思議かというとファンタジー世界に行くとか、そんなチャチなもんじぇねぇ。有限系の限界に挑戦するという体験を味わったぜ(AA略)。なのにしっかり感情移入できたと自分では思った。ありえたかもしれない可能性世界と、それを摘み取った自分の選択にこれほど思い馳せることのできる小説はそうそうないだろう。これは主人公視点のテクスト(こういう文章を指す名詞ってあるの?)がその威力を発揮したのだと思う。
初期の段階で登場する太陽系を包み込む暗黒球体〈バブル〉 や、その〈バブル〉の混乱から誕生した新興宗教などはウィルスンの『時間封鎖』との類似点となる。しかし物語もまったく違うし、『時間封鎖』では物語の大きな要素として文章を割かれていたそれらの現象や集団が、『宇宙消失』ではかなり影が薄い。〈バブル〉はまあいいとして、新興宗教の方はカワイソスレベルの出番のなさ……冒険小説調だった『時間封鎖』とは違って、サスペンスと心情小説の面白さというものを味わえる作品だった。
さて、最近イーガンが良い感じに自分の中で消化できている。調子がいいので『順列都市』を読み直そうかとも思ったけれど、まだ『ライフゲイムの宇宙』が買えていないので先に『万物理論』に手を伸ばそう。
ここから梗概。相変わらずネタバレを気にしない文章を書いてしまったので、未読の人は自己責任で。
第一部:
フリーランスで探偵業を営んでいる元警察官のニック・スタヴリアノスところに捜索依頼が入る。病院で何十年も寝たきりで、生後半年程度の発達しかしていない脳を持つ女性が失踪したという。ハッカーに情報収集をさせ、彼女が何者かの手によって新香港に攫われたのではないかという仮説を思いつき彼は現地へ赴く。彼女を国外へ運んだ手段は恐らく死体偽装だろうと考え、仮死状態からの蘇生に必要な薬品を取り扱っているところから怪しい場所を特定し、《バイオメディカル・ディベロップメント・インターナショナル》(BDI)(六六頁)社に潜入することになる。そこでローラを発見するのだが警備に見つかり脳神経を再結線(忠誠モッドのインストール)させられ、彼はBDIの母体たる《アンサンブル》に物理的な忠誠を誓うことになる。
第二部:
BDIのエージェントとして 、同じく《アンサンブル》を母体とするASR(《先進(アドバンスト)システム・リサーチ》)に潜入するニック。そこではローラの特殊能力をオリジナルとしたモッドの実験が行われていた。ASRも一枚岩ではなく、忠誠モッドをインストールされている人間はASRもBDIも偽なる《アンサンブル》であると言う。彼らが忠誠を誓うのは真の《アンサンブル》であり、《アンサンブル》とは彼ら自身で定められるものなのだ。真の《アンサンブル》の力にするために、忠誠モッドをインストールされた人々はASRで研究しているモッドを実用可能段階まで状態を移行させ、自分たちのものにしようとする。ニックはそのモッドで実験をしている女性と親しくなったために、彼女の意識がないときにはそのモッドを使えるようになっていた。モッドを完成させるためにはBDIに保管されているモッドも必要になる。ニックはモッドの能力――デコヒレンス、ただし確率的なものではなく、任意の選択が可能――を用いてBDIに再び潜入する。
以下、またもやネタバレGOGOなメモ。
第一部:
初期の段階で登場する太陽系を包み込む暗黒球体〈バブル〉 や、その〈バブル〉の混乱から誕生した新興宗教などはウィルスンの『時間封鎖』との類似点となる。しかし物語もまったく違うし、『時間封鎖』では物語の大きな要素として文章を割かれていたそれらの現象や集団が、『宇宙消失』ではかなり影が薄い。〈バブル〉はまあいいとして、新興宗教の方はカワイソスレベルの出番のなさ……冒険小説調だった『時間封鎖』とは違って、サスペンスと心情小説の面白さというものを味わえる作品だった。
さて、最近イーガンが良い感じに自分の中で消化できている。調子がいいので『順列都市』を読み直そうかとも思ったけれど、まだ『ライフゲイムの宇宙』が買えていないので先に『万物理論』に手を伸ばそう。
ここから梗概。相変わらずネタバレを気にしない文章を書いてしまったので、未読の人は自己責任で。
第一部:
フリーランスで探偵業を営んでいる元警察官のニック・スタヴリアノスところに捜索依頼が入る。病院で何十年も寝たきりで、生後半年程度の発達しかしていない脳を持つ女性が失踪したという。ハッカーに情報収集をさせ、彼女が何者かの手によって新香港に攫われたのではないかという仮説を思いつき彼は現地へ赴く。彼女を国外へ運んだ手段は恐らく死体偽装だろうと考え、仮死状態からの蘇生に必要な薬品を取り扱っているところから怪しい場所を特定し、《バイオメディカル・ディベロップメント・インターナショナル》(BDI)(六六頁)社に潜入することになる。そこでローラを発見するのだが警備に見つかり脳神経を再結線(忠誠モッドのインストール)させられ、彼はBDIの母体たる《アンサンブル》に物理的な忠誠を誓うことになる。
第二部:
BDIのエージェントとして 、同じく《アンサンブル》を母体とするASR(《先進(アドバンスト)システム・リサーチ》)に潜入するニック。そこではローラの特殊能力をオリジナルとしたモッドの実験が行われていた。ASRも一枚岩ではなく、忠誠モッドをインストールされている人間はASRもBDIも偽なる《アンサンブル》であると言う。彼らが忠誠を誓うのは真の《アンサンブル》であり、《アンサンブル》とは彼ら自身で定められるものなのだ。真の《アンサンブル》の力にするために、忠誠モッドをインストールされた人々はASRで研究しているモッドを実用可能段階まで状態を移行させ、自分たちのものにしようとする。ニックはそのモッドで実験をしている女性と親しくなったために、彼女の意識がないときにはそのモッドを使えるようになっていた。モッドを完成させるためにはBDIに保管されているモッドも必要になる。ニックはモッドの能力――デコヒレンス、ただし確率的なものではなく、任意の選択が可能――を用いてBDIに再び潜入する。
以下、またもやネタバレGOGOなメモ。
第一部:
- モッド:
本作の主要ガジェット。神経インプラントみたいなもの。“脳神経を用途別再結線(モディフィケーション)して脳自体にデコード機能をもたせ”、“デコード用再結線(モッド)の暗号書記(ニューロコム社製)、五九九九ドル)は仮想声帯オプションつきなので”(共に九頁)など。脳にナノマシンで“脳神経再結線(インストール)”して使う。 - 〈バブル〉:
太陽を中心にした半径百二十億キロで太陽系を取り囲む謎の現象。ウィルスンの『時間封鎖』と本作の類似点。ちなみに『時間封鎖』では〈スピン膜〉というものが地球を覆う。“表面は非物質で、そのふるまいは、凹面状になったブラックホールの事象の地平線との類似が多い”(三〇頁)。 - アンジェラ・レンフィールドの『楽園』(三七頁):
“このROMはオリジナル・チップからの何十万というコピーのひとつだが、どのチップでも演奏のたびに曲がその回独自のものになることが売りだった。レンフィールドは曲にある程度のパラメータを設定しているが、そこから先は日時や時間、オーディオシステムの製造番号などの擬似ランダム関数で決まるのだ。”
- シュテルン - ゲルラハ装置(一五五頁):
シュテルン-ゲルラッハの実験 - Wikipedia - 状態ベクトルの神経作用による線形分解と、これにつづく選択された固有状態の位相変異および優先的強化(一五八頁):
〈アンサンブル〉。量子的ゆらぎの“状態ベクトル(以下略)”とするとわかりやすい。テレキネシスとは別物。なんでも出来るわけではなくて有限系の中で可能性がわずかでもある状態を任意に選択できる。 - 波動関数の収縮(一六八頁):
デコヒーレンス、歴史の分断、干渉性の消失……呼び方はいろいろ。ここから漸くイーガンっぽくなるのだが、「ひとりっ子」ではデコヒーレンスとかキュビットとかを一切説明なしに物語に絡ませて登場させていた作家が、わざわざ説明してるのはちょっと新鮮。 - ただ観測するだけで、宇宙をずたずたに切り裂いている(一七八頁):
波動関数の収縮は可能性宇宙を消し去っているから。〈バブル〉で太陽系を包んだ〈バブル・メイカー〉はいくつもの可能性宇宙に生態を依存する存在であるとここでは仮定される。 - 形式論理学において、矛盾する公理を組み合わせれば、ほとんどどんなことでも証明できるのに。矛盾原理――AでありかつAでない――がひとつ見つかれば、そこから演繹できないものはありません。ぼくはそれを、ぼくたちに特有の種類の自由のメタファーだと考えたいのです。ヘーゲル哲学にいうジンテーゼなど忘れていい。ぼくたちは、純粋なオーウェル風二重思考をしているのです(二一一頁):
形式論理学?ヘーゲル哲学?その呼称は知っていても内容を知らないんだよなあ。“おれはこの男を引っつかまえて、頭から抽象的たわごとをゆさぶり落としてやりたくなった”(二一七頁)とは主人公談。 - [帰無仮説否定されず(ここでは要するに、サイコロの目の出かたが確率的に予想されるとおりのものであることを意味する)](二四八頁):
仮説検定 - Wikipedia - どちらにせよ、もはやこの先に進む意味はない。(三〇六頁):
このバージョンのニックはここで終了。
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2009年12月23日水曜日
大槍葦人『大槍葦人画集 Chronicle LIMITED EDITION』
「また画集か!」。大槍葦人を追っている人の殆どが、この画集が発表されたときにこう思ったことだろう。でもいいの。この作家が好きな人だったら、何も考えなくていいの。イッツ、オートマティック!
限定版は今年中くらいなら、都内の大型書店を巡れば容易に発見できるんじゃないだろうか。受注生産のハズだけれど、新宿の書店でいくつか見かけた。通常版のアリスカラーも可愛くていい。
パッケージがでかい。寸法:40 x 33 x 4.4。
他の化粧箱ズと比較してみてもでかい。
どうしてもエロゲーを思い出さずにはいられない梱包。大槍葦人関連のモノはこういうところに矜持を感じる。ゲームの特別版や会報第一弾も恐ろしい箱で送られてくる。特に会報第一弾の赤い箱は洒落ていて、「エロゲー会社じゃねぇ……」とツッコミを入れずにはいられなかった。そう思い返すと、あれらに比べたら今回の画集は常識的なパッケージなのかもしれない。
限定版なので三冊収録。
ハードカヴァーの画集本体。やはり巧い。充分愉しめる内容だった。限定版だと、後述の『ALL ABOUT OYARI ASHITO』と『BETAGRAPH』が特典として付いてこなくてこれだけなのだけれど、その二つが個人的には値段分の価値があるのか疑問だったので通常版でも良かったかもなあなどと思ってしまう。画は今年のものから順に時代を遡行してLittle Witch以前まで収録。
『ALL ABOUT OYARI ASHITO』というタイトルのインタビュー冊子。16ページ。短いし、今までにも大槍葦人のエッセイやインタビューをあちらこちらで読んでいた身としては目新しさもない。
毎度お馴染み、『BETAGRAPH』。最初のページから『リトルウィッチ学園』のスケッチとは思わなかった。初公表の画もいくらかあったけれど、今までの『BETAGRAPH』シリーズとの違いは、作家自身の文章が一切入っていないことだろう。
2009年12月20日日曜日
シオドア・スタージョン『時間のかかる彫刻』(大村美根子訳)
シオドア・スタージョンの晩年の作品を主に集めた短編集。スタージョンは初読みだけれど、がっかりしてしまった。率直に言って、この短編集はまったく面白くない。つまらないと断言できるほどでもなく、収録されている作品の良さが理解できなかったのだ。奇想コレクションの、何が楽しいのかわからないものを読んでいる時の気分。読んでも、「だから何!?」とか、「ふーん」という風になってしまう。そんなわけで大した感動を得られなかったのではあるが、スタージョンと言えばSF業界ではかなりの大御所。ここまで自分に合わないと、逆に気になって世間の評価を調べてしまうというものだ。ここでは知ったかぶり読者ではなく、特にスタージョンの本をしっかり読んで、作家を知っている読者の意見が欲しいということで、当然のように2chのスタージョンスレにいきつく。やはりこの『時間のかかる彫刻』はスタージョン好きの中でも良い評価はされていないように思った。もちろん、そうしっかりと批判されているわけではないが、話題にならないし、なったとしても面白いだとか肯定的な意見は見られない。推測するにこの本は、スタージョンの今までの作品を殆ど全て読んでから補完としてこれを読む、という位置にあるんじゃないだろうか。入門は『輝く断片』か『夢みる宝石』、それかSF初心者これだけは読んどけリスト(あんまり信用してない)に入っている『一角獣・多角獣』か。逆に『人間以上』は回避した方が良さそうだ。これは矢野徹の訳なので、ぼくも苦手だし。
いちばん古い作品が一九五四年の「ここに、そしてイーゼルに」。他のものは全て六九年から七一年に発表されたもので、もっとも新しいものは一九七一年の「ジョーイの面倒をみて」。一応、創元SF文庫ではあるが、内容は奇想コレクション以上に普通小説的なものが多い。これもがっかりした原因で、SFだと思っていたのに完全に肩すかしを食らうことになった。SFっぽいものもいくつかあるけれど、しゅんごーい発明とかしゅんごーい能力とかを抽象的にボカして画いているので、H・G・ウェルズっぽく、しかもそれから更にSF成分を抜いたような。ウェルズとバラードとヴォガネットを足して割った感じ?
冒頭からいきなりSFじゃない「ここに、そしてイーゼルに」は巻末解説で、収録作の中では最後に読むのが良いとあった。おい、今更遅いがな!小説の解説はネタバレが怖いから最後に読むのだ……でも最初に読んでも良いと思う。主人公はスランプに陥った画家で、彼は突然見当識を失って騎士オルランドとして魔法使いのアリオストと闘ったり、ヒポグリフに乗ったりする、と思うとまた突然オルランドは見当識を失い、一人の画家に戻ってしまう。こういうことが何度か繰り返され、二つの事象の進行を読むことになる。これが結構バランスよく出来ていたと思う。仮に片方のみを読ませられていたとしたら、退屈だったのだろうけれど、大金を手にした画家の滅茶苦茶な振る舞いと、オルランドの緩慢な振る舞いのどちらも飽きることなく読めた。しかしこの二種類の事象の転換も大勢の読者に不評で、ここで挫折したり読みにくいと感じたりする人が多いようだ。なるほど、解説であった後回しにせよというのは、こういうところで読む手を止める人のことを考えてのことだろうか。でもこういうのは、さあ新しい本読むぞ-!と気合いを入れて、冒頭から一気に読んでしまうという手もあるのでは。ところで騎士譚の方のモトネタは『狂えるオルランド』というルドヴィーコ・アリオストによるルネサンス期イタリアの叙事詩。おお、結構なお値段……オルランドって『コゼットの肖像』にも出てきたけど関係ないよね?
「時間のかかる彫刻」は一番まともなSFなんだけど、別に美味しく頂けはしなかった。話の筋とガジェットがあんまり関係なかったような。
「きみなんだ!」。頭の中でだけ想像していた、自分にとっての究極の美女を見つけた男。彼女に合わせて自分を変えていくのに表面上苦痛は感じていなかったが、実は鬱憤が溜まっていた。結局は彼女と一緒にいると自分は幸せでないし、かといって彼女が自分に合わせてくれば、それは究極の美女像から外れてしまうので別れるしかなかった。
トラブルを頻繁に起こすちびのジョーイと、ジョーイの面倒を見る男を観察する人物の視点を画いた「ジョーイの面倒をみて」。なんでそんな二人を観察するのかと言うと、この面倒を起こす奴とそれをフォローする奴の間柄が気になるからだ。彼は無償で助けの手を差し出す人間がいるなんてことを信じたくなくて、それを目撃したら自分の世界は壊れてしまうと言う。だからその二人が気になって仕方ない。結局ジョーイとその面倒を見る男は一種の利害関係によって一緒にいるだけというのが明らかになるのだが、二人を追った先々で手助けしてしまった自分こそが、無償で人を助ける人間だと言われて絶望する。
「箱」は何か予想できてたけどちょっとホロリな話。子供たちは不時着した宇宙船から街まで箱を運ぶことを、女性教官に指導される。女性教官は病気か何かで宇宙船の不時着後に亡くなってしまうけれど、彼女が最期に子供たち一人一人に遺した言葉が街までの旅を支える。
「人の心が見抜けた女」はその名の通り。人の心が見抜けても、どいつもこいつもワタシの外見しか見てないし、思ってもない愛の言葉を囁くのね!みたいな感じ。
「ジョリー、食い違う」はジョリーという少年がいて、何が食い違うかというと……うーん、人生?非行少年気味なジョリーが真っ当に生きていくぞーと決意するも、両親のダメっぷりが結局彼の決意をぶちのめし、反社会的行動に走らせた。
「〈ない〉のだった――本当だ!」は掴みが強烈すぎる。収録されているものの中では、そのアイデアの奇想天外さを武器に、一番ぼくを惹き付けた。でもこういうのを面白いと言ってしまうのは他の作品の良さを理解できないが為に、ということになりがちなのでナンか悔しい。感想は2ch風に言うと「お前、天才じゃね?」、「鬼才すぎる」というところだろう。解説で"バカSF"って言われていて、バカSFと明言されている他の作品って『時間衝突』くらいしか知らなかったりするのだが、この「〈ない〉のだった――本当だ!」の方が好きだ。『時間衝突』はあらすじや、物語の中で登場する異種知性体は魅力的なんだけれど、引っ張った挙げ句ソレかよ的なガッカリ感を味わう。「〈ない〉のだった――本当だ!」は短編ということで綺麗なところで終わり、自ら掘り進めてはいけないようなところは手を触れずに、作品の自滅を避けていた。そうか、バカSFはヒット・アンド・アウェイで、どこまでも尖ったのを尽きだした後は、サッと幕を下ろすのがいいのか
ちなみに〈ない〉というガジェットは説明するのもバカバカしいのだが、まずトイレットペーパーの切れ込みを思い出して欲しい。あの切れ込みはトイレットペーパーが〈ない〉部分だ。にもかかわらず、ああいう切れ込み部分はちゃんと切れずに〈ある〉部分が破れることがある。そこから推測するに、〈ない〉部分は〈ある〉部分よりも強力なのではないだろうか?全てを〈ない〉にしたら最強じゃね?――というものだ。なんというか……そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。いや、嘘です、そんな風に考えられません。
「茶色の靴」はある発明家の物語。牧歌的な田舎の発明家だった男だったのが、世界的な発明を思いつく。その発明の詳細は語られないのだけれど、とにかく世界に与える影響が大きいことを彼は自覚する。自分はもはや田舎の趣味人発明家でいられないと悟り、愛する女性の元を離れて、自分の技術が適切に運用されるようにするために政治的な努力を始める。その社会的な行動が魅力的に書かれるというワケではないのだが、とにかく彼のもくろみは成功して田舎に帰ってくる。しかしそこで昔日に愛し合った人が、牧歌的な生活だけを望んでいたことを吐露して、しかも発明の運用まで携わるのは愚かだということを言われてしまう。発明は世界だけでなく彼の個人的な生活も変えてしまった。彼女は発明を理解できない人間だったのだ。
「フレミス伯父さん」は人のケツを引っぱたいて気合いを注入するオジサンの話。フレミス伯父さんは元は田舎町の人間で、機械を直していたりしていたんだけれど、その直し方やとても豪快で、チョップやキックを食らわせて直すのだ。都会の医者にその才能を見込まれて、著名人にリキ入れる仕事をはじめる。もちろん見知らぬオジサンに叩かれるなんてことは、お偉いさん的には納得できないので、実際にフレミス伯父さんが治療する際には催眠状態にしておく。これを田舎町出身の借金少年に教えたら、彼も是非叩いて欲しいとのこと。ガツーンと一発食らわせると、たちまち真人間になったのだ。ただしフレミス伯父さん療法の効果は期間限定で、また借金したくなったりイライラが溜まったりしたら、また引っぱたいてもらう必要がある。治療法こそ特殊なものの、普段から我々が使っている薬とそう変わるものでもないような。
「統率者ドーンの〈型〉」は現政権の統率者を暗殺しようとした青年の話。統率者は成長を続けるが、欠点は寿命で、それさえなければ一時的に不備は生じるが、どんどん優秀な統率者として社会を導いていくと予想される。ならば統率者に不死性を付加すれば問題ナシ。これで人類は宇宙進出しましたとさ、なんてラストにオマケのように付け加えられちゃってる。うーん……
それで「自殺」がこの作品集の最後に収録された短編なんだけど、これはぼくの理解が及ぶところではないかった。最後に消化不良気味になってしまって残念。
参照:シオドア・スタージョン(Theodore Sturgeon)翻訳作品リスト
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2009年12月12日土曜日
グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(山岸真訳)
今回の短編集は、前に読んだ短編集『しあわせの理由』に比べて、客観的事象としてわかりやすい事件が起こらない話が多い。大抵の場合、登場人物は内面を描写され、より自己を理解するだけに留まる。そのぶんだけ、人物の内面が画かれているので、ワカラナイ&ムズカシイを代表するSF作家のイーガンの作品ながら、実はSF初心者でも読めるし、ぼくもやっとテーマ的なものがつかめたように思えた。それともぼくが、イーガン&山岸真コンビに着実に調教されてきているということだろうか。だとしても嬉しいことではある。それでも量子論初心者お断りな中編が二つあったし(「オラクル」と「ひとりっ子」)、テーマなんておもしろければどうでもいいんだけれど。
「行動原理」と「真心」は、共に神経インプラントというガジェットが登場する。神経インプラントというのは、本書の中では、以下のように説明される。
神経インプラントの大半は、要するに脳を改変して、ほかの手段では不可能な、精神状態や技能、信念などへのユーザーのアクセスを可能にする製品だ。娯楽としての幻覚から、五分で身につく北京標準語まで。信仰心なり性的嗜好なり政治的忠誠から迷いをとりのぞいて確固たるものにすること(あるいはすっぱりとすてさること)にはじまって、有益な道徳的規範を植えつけたり、不適切な規範を除去することにいたるまで。崇高きわまりなかろうと、平凡のきわみであろうと、神経の働きのうち、インプラントによってユーザーの要求どおりに仕立てなおせないものはない。イーガンの前短編集に収録されていた「しあわせの理由」や「適切な愛」などが思い浮かんだが、神経インプラントを用いたこのシリーズは、自己の意識に対して、それ自体によって物理的に制限を課せることが大きな違い。つまり自分で決めた操作を行えるのだ。「しあわせの理由」も操作していたが、あれは操作できたのではなくて、操作しなくてはならなかった。神経インプラントは『順列都市』で出てきた精神ソフトウェア的なハードウェア(ナノマシンが神経に作用する)で、本当にあったら欲しいし、フィクションとしても色々なシーンに使えそうなガジェットだ。話の内容としては、心境小説風というか、そういう話があったからといってどうにも……と思わなくもないが、けっこう好きだったりする。自然食物主義的嗜好の人というのは、魔術から開放されていないような人のようにぼくは思う。すべての物理的系がコントロールできたら素晴らしいことだ。それと同じように、肉体を制御することはとても理性的な行為に思えて羨ましい。(グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(山岸真訳)四六頁「真心」)
「ルミナス」は数学SFでテッド・チャンの「ゼロで割る」みたいに、既存のスタンダードな数学大系の他に、ノン・スタンダードなオルタナティヴ数学大系を見つけてしまったという話。いくつか特定の数学的論理の名前は出てくるけれど、それらが一つずつ重要な地位を占めるワケではないので、数学ワカリマセーンな低学歴読者たるぼくでも普通に愉しめた。この短編集の中では、客観的にわかりやすい事象を画いた作品だと思う。もっとも、作品の中で登場する数学理論が理解できればもっとおもしろいのだろうが。『順列都市』シリーズの〈コピー〉のように、コンピュータ内の存在でないのに、スタンダード数学の普遍性が社会インフラを構築する重要点であるのは理解できるが、実在に重要になるのかはイマイチわかりかねる。物理系を数字で表現することはできるけれど、数字に意味がなくなったら物理系が崩壊するだろうか……本文にあった"不安定"ってそういう意味だよね?最近の物理理論は物理系=情報系らしいから、なんとなーくわからんでもないような気がするけど、でもそれは理論ではないのだろうか。しかしオルタナティヴ数学というまったく異なる大系からなる世界というのは、すごくカッコいいアイデアだ。ルミナスというスーパー・コンピュータの設定もスゴイ。ただのスーパー・コンピュータではなくて、スーパー・コンピュータ・システムを瞬時に構築するスーパー・コンピュータ。すごく卑近な表現になってしまうが、ほぼ自動的に最適なヴァーチャル・コンピュータを構築してる感じだろうか。理系っぽいアイデアが詰まりまくった短編だ。
「決断者」はより心境小説風なSFで、自分の思考を抽象画像で捉えることができるガジェット――〈百鬼夜行(パンデモニアム)〉がインストールされた眼帯(パッチ)――を手に入れた男の話。自身の思考がトレースされるということは、自らの中で決断を下す自らを確認できる。自分の行動はあくまで自分の中の絶対的な個人が決断していると確信しようとしたが、結局それは自分が機械論的総体であるということを鮮明にしただけだった。
ここに登場した〈百鬼夜行〉の詳細モデルはデネット『解明される意識』、ミンスキー『心の社会』が参考書に挙げられている。
「ふたりの距離」はあるカップルの話で、お互いがより深く理解しあおうと身体を交換したり、相手のクローンに意識を乗せたり、最終的には体や記憶をまったく同一の個体に乗せて一時的に同一化し、そののちに再び分離する。相手を理解しすぎて、結局のところ一人でいるのと変わりがなくなってしまったから、それに失望して二人は別れることになる。他人を理解したいという基本的な欲求の、完全な理解の果てを画いた話だった。個体としては分離した後にも認識できる、というか別段同一化する前とあまり変わらないのだろうけれど、そこにいる彼、或いは彼女に対して意味を見いだせなくなってしまったのだろう。
「オラクル」と「ひとりっ子」は量子コンピュータに関する大まかな知識がないとつらいシリーズもの。『宇宙をプログラムする宇宙』を読んでいてよかったなあと思うことが読書中に度々あった。量子ビットも出てくるし、多世界解釈も出てくるし、デコヒーレンスとか、量子コンピュータの遮蔽の必要性だとか停止問題だとか諸々。ちょっとしたギャグでコヒーレンス阻害薬を注入したシーンで「ゾンビのお通り!」っていうのがあってこれは個人的には面白かったんだけれど、説明がすごく面倒だぞ。もったいない。
まず「オラクル」は読んで、ついつい「おお、『ディファレンス・エンジン』だ!」と思った歴史改変モノだ。さらにタイムトラベル要素に見える多世界の分岐先移動という、かなーり無茶のあることをしているが、ソコは流石と言うべきか、そんなことをやっても古くさくない。その移動をするネタ明かしはされていない(ぼくが理解できていないだけかもしれない)ので、オイオイと思うが、しかしすごいのは分岐先に移動してあくまで自分にとって最適な分岐を選ぶとかそういう話ではないというところだ。多世界解釈を用いた並行世界モチーフの物語だと、あっちのバージョンの世界がダメだったからこっちのバージョンの世界でリトライというのがよくある。しかしダメだった側のバージョンは依然としてダメな状態のまま存在して、リトライするバージョンでもリトライが成功する分岐と失敗する分岐を、行動を起こした時に生み出してしまって、結局のところ宇宙の物理的リソースが許す限りの数(とは書かれていなかったけれど。無限ではない筈。)の多様性を保つだけに過ぎない(今、多くの作品の感動をブチ壊した)。しかし量子的なゆらぎを生じさせない、絶対的な選択を行える存在がいたとしたら、その存在の選択は分岐することがない。だから別のバージョンを持たないひとりっ子な訳だ。読んでいた時はそんなにだけど、こう整理するとめちゃくちゃポジティブな物語に思えてくる。とても強い子だったし。しあわせを探しに行こう、的な。「オラクル」がその存在の旅の一幕を画いた物語で、「ひとりっ子」はそんな存在の誕生の物語。それぞれ一〇〇頁程度の長さのもので、なかなか物語的にもダイナミックだったので長編で書いてくれてもおもしろそうだなあと思えるものだった。
量子コンピュータの解説書については巻末の解説でジョージ・ジョンソンの『量子コンピュータとは何か』が挙げられていた。これは単行本で刊行されているが、十二月末にハヤカワ文庫NFの装丁で手軽に入手できるものが刊行予定。期待したい。個人的にはこの前読んだセス・ロイドの『宇宙をプログラムする宇宙』もオススメ。
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